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2024.7 良寛69才貞心尼29才の恋
私が20才になる前の冬のある日、高校生の頃から通った本屋で良寛の漢詩集に出会った。
私は、一つの漢詩を読み良寛の孤独を感じてしまって、その漢詩集を胸に抱きしめたように思う。
漢詩集と和歌集を買い求めて、それ以来、漢詩集は48年もの間、私のそばにありつづけている。
和歌集は、なぜか、ほとんど読んだ記憶がない。その本の所在も確かではない。
私が20才になり、瀬戸内の因島で勤務していたころ、大学で良寛の和歌を研究したという高校の女性教師に出会った。
その先生から、初めて良寛と貞心尼の恋と和歌について教えてもらったことがある。
だから、その頃は、それとなく和歌集にも目を通したはずである。
漢詩集には、良寛の恋心らしきものは、見当たらない。
唯一、良寛が長年愛していただろう維馨尼(いきょうに)の江戸行きを心配した漢詩の中に「天寒自愛」(てんさむしじあいせよ)という有名な一文がある程度である。
もっとも、維馨尼の方はそれほど良寛に対して、特別な思いはなかったのではないかと思われるが・・・。
確かに最晩年の良寛は貞心尼を恋しく想い、貞心尼は良寛を仏道と和歌の師として慕っていたようである。
二人が出会って短くも4年間、二人はしばしば逢う瀬を重ね、73才で良寛が亡くなる前、良寛は貞心尼に会いたいと和歌を送り、ようやく会えた嬉しさを和歌に残している。
良寛の最後を看取り、最後まで良寛と和歌をやりとりしたのは貞心尼である。
今、私は68才だが、二十代の女性から、時々、恋文のような手紙をもらい、やはり、良寛と貞心尼のことを思い出さずにはいられない。
私は、こうしてブログを月一度書くが、年賀状も暑中見舞いも何十年もの間、書かないほど、筆無精である。
もらった手紙に返事の手紙を書くことはないだろう。
もっともラインでは、その彼女と普通にやりとりしているのだから、それほど特別なことでもないのだが、その彼女、少し変わっていて、会うたびにどきりとさせられることがあるのだ。
手紙も、その都度、何か妙に、心に突き刺さる。会ったときの仕草も、妙に、印象深い。
さてさて、今後、どうなるのやら・・・。嬉しくもあり、いずれの日かの別れを思うと、寂しくもあり。
今は今、ひと時でも、男と女のめぐりあいを、よしとして、美しく生きていきたい。
良寛が死期を前にして貞心尼に贈った和歌を紹介します。
あづさゆみ春になりなば草の庵を とく出て来ませ逢ひたきものを
(暖かな春になったならば、一日も早く庵を出て、わたしの所へ訪ねて来てください。お逢いしたくてならないのだからね)
いついつと待ちにし人は来たりけり 今は相見て何か思はむ
(いつ来るか、いつ来るかかと思っていた人は、ついにやって来てくれたことよ、今はもうこのように対面できて、何を思おうか、いや思うことは何もない)
うちつけに飯絶つとにあらねども かつ休らひて時をし待たむ
(だしぬけに、食事をやめたというのではないが、前もって心や身体を楽にして、死期を待とうと思うのだよ)
※貞心尼の「かひなしと薬も飲まず飯絶ちて、みづから雪の消えゆるをや待つ」に答えた歌。
今は亡き、わが師(紀野一義先生)の教えです。
自誓
何度かこのブログでも紹介した暁烏敏(あけがらすはや)に、著名な評論家の亀井勝一郎が仏教についてあれやこれやと語りつくしたときに、暁烏敏はそれを黙って聞きながら、最後に「あなたの仏教の師は誰かね」と聞いたそうである。
亀井勝一郎は「それが私の課題です」とこたえたそうであるが、たぶん亀井勝一郎は師には巡りあわれなかったのではないかと思う。
師のない仏法はない。仏法、誠の仏教の教えは書物によっては伝わりにくいものなのであろうと思う。
親鸞は、弟子の一人も持ってはいないといった。浄土真宗では、同行という言葉を聞いたことがあるが、それは、阿弥陀如来への信仰を同じくし、同じく仲間として生きる者同士というような意味合いではないだろうか。
紀野先生は、著名な仏教学者、仏教伝道者でもいらしたが、師と弟子という関係よりも、弟子のような存在にも、同じく仏教に帰依する我が友人とでもいったニュアンスで接していらした。
先生の著書を読むと、私の若き友人という言葉が出てくる。その友人とは先生の真如の会員なのである。弟子ではなく、友人なのである。
紀野先生の人生の生き方に大きく影響を与えたのは鎌倉円覚寺の朝比奈宗源老師と京都南禅寺の柴山全慶老師である。
このお二人は紀野先生の師と言ってもいいだろう。
このお二人の師には、紀野先生は何十回もひょっとして何百回もお会いになった。
やはり紀野先生には「仏法のようなものは、師のような人を通じてしか伝わらない」という思いがあったのではないかと思う。
だから紀野先生は、「私の話を直接聞きに来てほしい。私という人間を直接見て、聞いて、仏法に触れてほしい」という思いがあったのではないかと思う。
紀野先生が主幹の真如会は、せいぜい数百名の会員で、それ以上に会員を増やすお気持ちがなかったようだ。
先生が直接面倒をみられる範囲内の会員で十分であったように思う。
それどころか、師が弟子を育てるならば、せいぜい数名の弟子で十分だとのお考えもあったようだ。
晩年の先生の主催される集まりは、百騎の会で10名前後、東京や京都の例会で20名前後であった。
新興宗教によくみられる会員獲得などの話しはまったくなかった。
ただ一度「大切な話をしているのだから家族も誘ってきなさい」と言われたことがあるのを、私も記憶している程度である。
そのせいか私は百騎の会には妻を連れていき、谷中の全生庵には子供を連れていったものだ。
その後、妻と離婚することになったときに、先生に相談したが「別れなさい」ということだった。
妻も先生にお会いしているし、私は、きれいさっぱり別れようという決断ができた。
その時、先生が「同じ経験をしたものでないと、その苦しみはわからないよ」とおっしゃって、先生の頬が一瞬赤らんだ。
私には、その意味がよくわからなかったけれど、数年後に、その意味を知って、やはり、何事も本当に理解するには、自分で経験しなければ、わからないということなのだとも思った。
仏法は、経文を勉強し、数々の書物を読むことによって理解されるものではないということであろうと思う。
逆に、道元が言うように悟るためには経文の一文字も知らなくてもよいということである。
悟るには、お坊様でなくてもよいともいえる。
おばあちゃんが「今日も、生きています。ありがたいことです」という。また「人生はなるようになる。大丈夫、心配せんでもいい」という。
残り少ない人生で、人生を達観しているお年寄りも多いことであろう。
そういうおじいちゃんやおばあちゃんに接すると、人はほっと安心するものである。
この安心は、書物やインターネットでは味わえない安心である。
残り少ない人生。年をとることによって、人生というものが見えてきているお年寄りも多いと思う。
子供や孫に、人生は、どんな生き方をしようが、どんなことが起きようとも大丈夫だ、何とかなると伝えられるお年寄りは素敵だと思う。
今は亡き、わが師(紀野一義先生)の教えです。
自誓
紀野一義先生の著書を読むと、釈尊の最後の言葉は、パーリ語で書かれた古い経典「大般涅槃経(だいはつねはんぎょう)の中に記録されているようである。パーリ語では、下記の表記になるようである。 (ヴァヤダンマー・サンカーラー、アッパマーデーナ・サンパーデートウハ) 紀野先生は、これを「比丘(びく)たちよ、汝らに告げよう。こころ(サンカーラ・行)は移ろい易いものである。見落とすことなく、その中に居よ」と訳していらっしゃる。この訳は、中国人が訳してきたところと違うようである。釈尊の弟子たちも、いつも釈尊がおっしゃっていた諸行無常と諸行壊法とは同じであると思い込んだようである。でも釈尊が言われたのは諸行壊法であり、わざわざ大般涅槃経の中で諸行壊法と書かれているのだから、そこには重要な意味があるようである。 難しいことは、さておいて、釈尊の最後の言葉は「こころは、うつろいやすいものである。そのこころを、じっと見つめていなさい」と、私は、解釈した。 このことに関連して、下記の私のブログを読み返して、我ながら、非常に大切なことを言っているなと思い、再度掲載さえていただく。 私自身が、私の書いた文章を読んで、なるほどと思うのだから、誰かしら、ある人々もなるほどと思われたかもしれないし、また、あらたに、なるほどと思われる人がいるかもしれないことを期待して・・・。 2022.1 自分自身を知るということ 良寛の漢詩の中に、「おのれの心を知れ」ということばが出てくる。 たとい万巻の書物を読破したところで、真の言葉一つわきまえていることに劣る その真の言葉とはなにか、ありのままにおのれの心を知れということだ。 デルフォイのアポロンの宮殿の奥に掲げられている、秘密の格言は、「汝自身を知れ」だ。 明治時代の浄土真宗の僧であり哲学者であり教育者であった清沢満之は、浄土三部経の中にある「自当知」(みずからを知れ)という言葉に出会い、以後、自分自身を知ることに一生をかけた人である。 その弟子の暁烏敏も自当知、(自分自身を知ること)(自分の心を知ること)に全力を尽くした人である・・・・・・。 ※自分自身を知る、自分の心を知る、自分自身を見つめていくことは、非常に大切なことのようだ。 今は亡き、わが師(紀野一義先生)の教えです。 自誓
一度死んで生き返ったという話しは、耳にしたことはおありではないかと思う。
アメリカの学者が、この臨死体験をした人の調査を行ったところ、いくつかの共通点があったそうである。
一番目は、死後の世界が美しいということである。高く上昇していけばいくほど驚くほど美しい世界になり光に満ちた世界だそうである。
二番目は、生き返ってみると、全ての人間が自分の親や子供兄弟のようにいとおしく感じるようになったということである。
芥川龍之介は自殺したが、死ぬ前にはすべてが美しく感じられるようになったことを記している。
あまり死後の世界が美しいと強調すると、死んでしまいたいほど苦しんいる人が、それなら死のうかと思って、さっさと死んでしまうかもしれないので、何ともいいがたい。
キリスト教では自殺は、厳しく禁じられているようだ。
仏教では、死ねとはいわないが、阿弥陀如来のもと、極楽浄土に行けるのだと思うと、死というものが喜びにもなりそうである。
しかし、私たちは生きねばならない。自殺は、やはり逃避である。人間は、悩みや苦しみ悲しみの中で、人を愛し、安らかに幸せに生きていけるくらいまでに成長しなければ「ならない。
それができるまで、人間は何度も何度も生まれ変わり、同じ悩みや苦しみ悲しみを受ける。
悩み苦しみ悲しみが、悩み苦しみ悲しみでなくなるときに、この世に生きても永遠の幸せを得ることができるだろう。
そして、そのとき、人間はもう人間世界に生まれ変わることはない。
そうして、次なる美しい世界へと旅立つのだろう。
さてさて、どんな世界やら・・・。
今は亡き、わが師(紀野一義先生)の教えです。
自誓
私は、フェイスブック、ライン、ユーチューブを利用しているが、最近やたらとAI(人口知能)を利用して作成したと思われるフェイクニュースや詐欺的な投資の勧誘が多い。
その被害も莫大だが、なんだか野放し状態になっている。世界的な大問題だと思う。
すでに仏教の教えについてもAI(人口知能)を利用して、もっともらしく説法しているのを見受けるけれど、彼らの目的は何なのだろうか。
ユーザーを増やして、広告費を得ようとしているのだろうか。新しい教団でも作って巨大な宗教団体を作ろうとしているのだろうか。
今のところ、微妙に漢字の読み違えなどがあり、AI(人口知能)で外国人が作成しているらしいことはわかるが、彼らの目的はよくわからない。
AI(人口知能)が、これから益々進歩していくと、まるで優れた仏教者、いや、世界最高の仏教者として、仏教を語り始めるのではないかと思う。
そしてAI(人口知能)が悟りを得たらどうなるのであろうか。AI(人口知能)は悟ることができないのであろうか。
もうじき、このような問題が、現実問題として論議されるときがくるのではないかと思う。
戦後合成麻薬LSDが違法ではなかったときに、アメリカの若者たちが、LSDを使用すると悟りの境地を体験できるということで多くの若者が使用したようだ。
そのころ、南禅寺の柴山全慶老師は、LSDで経験した感覚は悟りとは違うということをはっきりおっしゃっている。やがてLSDはその常習性と薬害で違法薬物とされている。
AI(人口知能)が説く仏法を聞きながら、なるほどと思わせられるが、これを信じてよいのか、行く着く先はなんなのだろうかと思う。
AI(人口知能)を駆使する、背後の人物と目的がわからない。
同じユーチューブで円覚寺の横田南嶺管長が法話を配信しているが、これはいたって、健全である。
横田管長はおそらく今の仏教界の第一人者なのだと思うが、そのうち、横田管長の法話のレベルを超えたと思わされるような法話がAI(人口知能)によってなされる可能性があるのである。
僧ではないAI(人口知能)が、僧よりも僧らしくなってしまう。
多くの人間がAI(人口知能)を信仰するようなことも起きるのである。
AI(人口知能)の方が、間違いがないと主張する人間も出てくるだろう。
どんな時代がこようとも、それなりに、自分らしく生きていきたい。
私には、故郷がある。
のんびり、米や野菜を作って、自給自足の生活も楽しめると思う。
多くの人が、そうはいかないと思うが、世界中が新しい変革の時を迎えているのかもしれない。
今は亡き、わが師(紀野一義先生)の教えです。
自誓
良寛さんは、子供達と手毬をついたり、かくれんぼをしたりと、子供のように無邪気な人柄のようだが、良寛さんの内面はなかなか手厳しいものがある。
良寛さんの漢詩を読んでいると、「世の中で名僧、高僧といわれる僧に会って、問答をしてみても、まだまだである」と手厳しい。
良寛さんの悟りがどんなものであったのか知りたいが、「悟りはあるが、それは口にすれば、たちまちに壊れてしまいそうなものだ」という。
おそらく詩のような形式でしか、それとなく表現するしかないようなものなのだろうと思う。
その漢詩や和歌や俳句から、それとなく感じとっていくしかないのかもしれない。
和歌についても、良寛さんは「何々流とか、何々調といった和歌を巧みに作っても、そこに、その人が表現されていないような和歌では、駄目だ」という。
人まね、技巧的に巧みなものは駄目だという。だから良寛さんは、書家の書、調理人の料理といった、技術的に巧みなものは好きではなかった。
良寛さんが子供と遊ぶのは、「子供には誠というものがあるから」とも言っている。
そんな良寛の芸術観を感じながら、私が50年以上も前の小中学生の頃にテレビで見た「佐伯祐三画伯の人生ドラマ」の中で、パリに留学した佐伯祐三が著名な画家を訪ねて自分の作品を見せた時に「人まねにすぎない。こんなのは駄目だ」とけんもほろろに突き返された場面がよみがえる。
最近AI(人口知能)が話題になることが多い。その知識量は莫大で表現方法まで、まねることができるのであるから、和歌でも何々調、良寛調と言ったものも現れるだろう。
アドビのAI機能でイラストを制作したことがあるが、「竹やぶで空中を飛ぶ、かわいらしいかぐや姫」と入力したら、すぐに何種類かのイラストが表示された。
ちょっとしたイラストレーターやデザイナーは、もう太刀打ちできなくなると思う。
仏教の世界も、ユーチューブを利用してAIが和尚になりきって教えを説きはじめた。下手なお坊さまの説法より説得力がある。しかし、真実や悟りといったものとは違うと思う。
今までも、器用で賢い人間は、人まねをして、それとなくその人になりきってきたのだろうから、AIが悪いともいえないだろうが、何が本物なのか、真実なのか、益々、判断しづらいことになった。
良寛さんがいう「子供には誠というものがある」、はたして「AIには誠というものがあるのであろうか」
今は亡き、わが師(紀野一義先生)の教えです。
いかに生きていけばよいのか、わからなくなったときのよりどころとしています。
自誓
一、 心ひろびろと、さわやかに生きん。
一、真実をもとめてひとすじに生きん。
一、おおぜいの人々の幸せのために生きん。
2024.1 テキストに頼らない
良寛さんが50歳を過ぎたころ、6歳年上の江戸では有名な儒学者であった亀田鵬斎が越後に住んだことがある。
良寛がある日、この亀田鵬斎の話しを聞きにいったところ、孔子の教えの一説があり、「孔子が天子から授かった名馬を飼育していた馬小屋が焼けた。その時、孔子は、馬はどうでもよい、人は大丈夫かと言ったという」
この一説に対して良寛は、亀田鵬斎に「そこのところは、まずは、人は大丈夫か、馬は、どうであったかと訳すべきだ」と言った。
亀田鵬斎は「昔からここのところは、解説書ではこのように訳している」とこたえた。
良寛は「解説書に頼っているからいけないのだ。人命が一番大切だが、馬の命はどうでもよいというと、孔子の人格が下がったことになる」
これを聞いて亀田鵬斎も、なるほどと思ったに違いない、その後、亀田鵬斎と良寛は、親しくつきあい、いくつかのエピソードも残っている。
やがて亀田鵬斎は、江戸にもどったが、「鵬斎は越後帰りで字がくねり」という川柳が江戸では流行ったらしい。
鵬斎は、良寛の子供のような素朴な文字にひどく感化されたようである。
私たちは、教科書や解説書を読むと、それが正しいと思いがちだが、そこで大きな思い違いをしてしまうかもしれない。
学問や知識や教養が、物事の本質を捉えているわけではない。
昔から「畳の上の水練」「百聞は一見にしかず」という。
頭の中で、こねまわしてわかったような気にならないようにしたい。
やはり、心で、魂で感じるものを大切にしたい。
なぜ、こんなことを書くかといえば、わたしの出生について、私自身が何も知らず、社会的な公的文書も間違っているからである。
私の戸籍謄本は、今の両親から私が生まれたことになっているが、実は、私の母は別に存在していたのだ。
子供の頃から、ひょっとして、私の父親は、別にいるのではないかという思いはあった。
どこか、実際に深く愛されていない、実の親の愛を知らないような孤独感があった。
高校から親元を離れ、地元を離れたので、私が、母親が違うということに気づいたのは30歳を過ぎてからのことである。
地元に残っていれば、色々な噂が聞こえ、もっと早く気づいたにちがいなかったが、実家に帰ることがほとんどなかった。
実の母は、ある意味身近な人で、私も、子供の頃から笑顔の素敵な聡明な人だと思っていたから、立派な人が我が母であったことは、幸せである。
私の出生は、その母を、深く悩ませたことは間違いないのだが、その分、私も、しっかりと生きて、あなたを生んでよかったと、思ってほしいと、今は亡き母に思うのである。
(真実、真相は、なかなかつかめないものです。テキストや常識、知識などに頼っていたら大切のものを見失いますよ)
今は亡き、わが師(紀野一義先生)の教えです。
自誓
2023.12 もう生まれ変わらない
人間は輪廻転生して、何度も何度も、いや何億回も生まれ変わり、どんな人間もいずれは仏となるという。
お釈迦様を殺そうとした、ダイバダッタでさえ何億年何十億年という先の未来では仏になるという。
その名も天王如来というらしい。(平楽寺版法華経347項)
人間は、迷いや苦しみの世界から解脱して悟れば、もう生まれ変わることはないという。
お釈迦様の言葉を書き留めたスッタニパータという本を読むと、悟りに至るか、もう生まれ変わることがなくなる方法がいくつも説明されている。
私は、執着することだけは無くそうと努めているが、これも悟りに至る、一つの方法であるはずである。
はずであるというのは、スッタニパータのどこに、はっきりと書かれていたかが思い出せないからである。
今さら調べるのも面倒くさい。
でも間違いなく、執着を離れるということは悟りに至る道であると思う。
最近、やたらと夢を見ることが多いのだが、今朝、夢から覚めようとした時に、「もう生まれ変わることがなくなるよ」という誰かの声が聞こえた。
生まれ変わることがないということは、仏教的には、理想かもしれないが、私は、何度でも人間に生まれ変わってもいいと思う。
美しいだけの世界、喜びだけの世界には飽きてしまいそうだ。
浄土はこの上なく、想像を絶する美しく喜びに満ちた世界なのかもしれないが、どうも退屈そうだ。
やはり人間世界の醜い苦しい悲しい怒りの世界の中に、きらりと光る美しさを見出すことの方が、いいと思う。
だから少々のことでは、弱音なんてはいていられない。
やはり、こつこつと優しさをもって、真実を追究して生きたい。
その中に、最高の喜びが待っているように思う。
お釈迦様も、弟子のアナンに「お釈迦様には、欲はないのでしょうか?」と、質問された時に、「あるよ。最高の喜びを求めている」と、おっしゃった。
私も、最高の喜びを求めている。
それは、人間世界の中でこそ、見出せるのではないだろうか。
もし、もう私が生まれ変わらないのであれば、私は、何のために人間に生まれてきたのであろうかと、悔いが残る。
残り少ない人生、何とか、最高の喜びに巡りあいたいものだ。
今は亡き、わが師(紀野一義先生)の教えです。
いかに生きていけばよいのか、わからなくなったときのよりどころとしています。
自誓
一、 心ひろびろと、さわやかに生きん。
一、真実をもとめてひとすじに生きん。
一、おおぜいの人々の幸せのために生きん。
2023.11 リアルな夢の話し二つ
最近なぜかしらリアルな夢を見て、いつもならすぐに忘れてしまうのに、今もその映像と感覚が思いだせる。
一つは、四国の愛媛県らしい港の見える小高い丘の民家に私が住んでいて、真夜中に「核ミサイルが発射された」という緊急避難情報が流れた。
外に出ると、水平線の向こうが一面夕焼けのように赤く染まっている。ああ、核ミサイルが着弾して広島も岩国も呉も火の海になっているのだなと思っていると、松山らしき街にも、ミサイルが飛び交い、ビルが燃え上がり、火の海になってきた。迎撃ミサイルが何発かのミサイルを打ち落としているのだが、あちらこちらで、火の手があがる。
そのうち、核ミサイルが飛んでくれば、一瞬にして、私も焼け死ぬのだな、これが私の最後か、と思った瞬間目が覚めた。
いやにリアルな夢であった。
日本も、いつ戦争に巻き込まれても不思議でない状況になってしまった。
この責任は誰にあるのか。国民にも責任はあるであろうが、戦争はしない、戦争はできない国から、今は、戦争になるかもしれない、戦争もできる国になってしまった。
そのような国にしようとしている政治家の罪は重い。
もう一つの夢は、何だか嬉しい夢である。
二十代のころから知っているママさんのいる店で、なぜか眠くて眠くて、ついには寝込んでしまった。目が覚めると誰もいない。店の奥の部屋を覗くと、ママの後姿が見えた。ずいぶんとスタイルがよく若々しいママだ。私に気づいて「目が覚めたの。一軒、行きたい店があるから、つきあって頂戴」という。いつもつっけんどんで、誘われたのは、その時が初めてである。二人で歩いていると、私に寄り添って妙に甘えてくる。薄暗い路地に入ってママの顔を見つめると、彼女も見つめ返す。そっと口づけすると、拒まない。もっと、強く口づけすると、彼女がもっと強く返してくる。だんだん口づけが激しくなったところで、はっと目が覚めた。
この夢も非常にリアルだったので、何だかずいぶん得をしたような、幸せな気持ちだった。
思えば、何十年も何の進展のない、ママとの関係だが、一度、食事でも誘ってみようかなと思う。
インドの聖者、ニサルガッタ・マハラジが、何やかやと世界平和のためにといい、世界平和のためにどうすれば良いのかと訴える若者に「ところで君は、一人の人間でも、本当に幸せにしたことはあるのかね」と言った。
一生懸命愛しても、その愛さえうつろい、愛するものが病気にもなれば、事故にあうこともある。愛して甘やかしていれば、人間は我儘にもなる。
なかなか思うようにはならないのが、人の世だ。
かと言って、思いやりや優しさ正義は美しいと思うし、自分の利益のために人を欺き、人を傷つける奴は好きではない。
今は亡き、わが師(紀野一義先生)の教えです。
いかに生きていけばよいのか、わからなくなったときのよりどころとしています。
自誓
一、
心ひろびろと、さわやかに生きん。
一、真実をもとめてひとすじに生きん。
一、おおぜいの人々の幸せのために生きん。
2023.10 量子論は東洋思想に似ている
昭和30年~40年代のことであろうと思います。
NHKの取材で、デンマークの作家と朝比奈宗源老師が禅について対話しています。
その作家がいやに、禅について詳しいので、その理由を朝比奈老師がたずねたところ、デンマークでは毎日のように、新聞テレビ雑誌で禅についての話が語られているとのことでした。
デンマークはキリスト教の国ですが、聖書に書かれたことは全て真実だという教えには、学者や作家など真実を追求している立場の人間からすると、どうしてもついていけないというのです。
そしてデンマ-ク人で、量子論でノーベル物理学賞を受賞したボアという理論物理学者が「量子論は東洋思想に似ている」と言ったのだそうです。
そういうこともあって、デンマークでは禅が特にブームになったらしいのです。
現在のデンマークが、どのような状況かは知りませんが、そんな時代もあったのです。
般若心経も相対性理論がわからないと理解できないと言った人もいました。
仏教は意外と哲学的、理論的です。
苦しみ悩みも、その原因が何であるか、では、どうすればいいのか懇切丁寧に説明しています。
基本的に大切な教えは、無欲であり、無執着あり、無所有です。他にも色々あるでしょうが、この3つの内、一つでも成就したなら、苦しみ迷い悲しみもなくなり、悟りも得られるではないかと思います。
私も、皆さんも、欲にからまれ執着するものがあり、色んなものが欲しい。
私は、執着しないということを、自分に言い聞かせているのですが、なかなか、徹底することは難しい。
だから苦しんでも、仕方ないと思います。苦しみながら、悩みながら生きていくのだと思います。
しかし、仏の教えやすぐれた仏教者の教えには、よりよく生きるためのヒントがたくさんあります。
私は道元の正法眼蔵を読み、親鸞の歎異抄を読み、良寛の漢詩集を読み、紀野一義先生の書物を読み、人間いかに生きるのか、自分はどのように生きるのか、試行錯誤しています。
現代に生きる人に、よりよく生きるためのヒントは、投げかけていきたいと思います。
自未得度先度他(じみとくどせんどた)、自分より先に他人を悟りの世界に導け。自分が悟っていなくても他人をまず悟らせろ。このようなことを、道元禅師や紀野先生はおっしゃっています。
今は亡き、わが師(紀野一義先生)の教えです。
自誓
2023.9
十数年前、東北を車で旅したことがあった。
宮澤賢治の記念館に立ち寄った時、賢治が幼少のころ、仏教夏季講習での参加者の記念写真があり、賢治の父母、妹のトシが写っていたが、その時の講師として暁烏敏が写っていたのである。
賢治のことは多くの方が知っており、賢治の父は熱心な浄土真宗の信者であったこと、最後は賢治によって日蓮宗に改宗したこともご存じだろうと思う。
暁烏敏については、知らない人が多いと思うが、大正、昭和時代の浄土真宗大谷派の傑僧である。
私も、このブログで紹介したことがあるのではないかと思う。
私は、賢治の記念館の写真を見て、賢治と暁烏敏には接点があったことまでは知っていたのだが、先日、何気なくインターネットでその写真が目にとまって、その写真の掲載記事を読んで驚いてしまった。
賢治の父と暁烏敏は、非常に親しく盛岡で暁烏敏の講演があるときは、賢治の家に何度も宿泊したという。
暁烏敏の書き物の中に、宮沢家に宿泊して子供達と天真爛漫に遊んだということが書かれているらしい。
これは、賢治を含む宮沢家の子供達で、特に賢治のことであったのかもしれない。
賢治の仏教に関する目覚めは、暁烏敏が大きく関わっていることになる。
当時、仏教夏季講習での暁烏敏は、歎異抄について講演したようであるが、賢治が友達に書き送った手紙にも、暁烏敏のことや、その教えの一説が出てくるようである。
もとは知らぬうちに浄土真宗の信者として仏教に触れた賢治が、法華経というお経に触れて、日蓮宗系の国柱会の信者となり、家族も改宗させる。
最愛の妹トシが亡くなるときに、トシは「死んだら、どこにいくのか教えてほしい」と思ったに違いないのに、極楽浄土に行くのだから心配ないと、教えてやることができなかったことを賢治はどう思ったのだろう。
賢治は作品の中では、死んでも大丈夫だということを書いたものがあるが、本気でそう思ってはいなかったのだと思う。
だから、妹のトシが死んで、苦しみ悩み、北海道の最北端まで旅をする。
人間にとって死は、そう簡単にはわからない重大な問題である。
私も、いまだに、死んでも大丈夫とは言ってやることはできない。
でも、嘘でも「死んでも大丈夫だと」いいそうだな。
ただ、死ぬときは、死ぬのがよい。生きる時には、生きるのが良い。自分が生きることには執着はしないぞ、と思う。
生きながら、死人となり、なりはてて、思うがままになす、わざぞよき。
捨てて、捨てて、捨て果てる生き方。
せめて死んだら、阿弥陀如来や仏様のもとに、できれば、ご挨拶できたらいいな。
死んでいった人々に、また会うこともあるのであろうか。
死んだ実母には、恥ずかしくない生き方をしなければいけないな。
できれば、生きているうちに素敵な人に会いたいな、と思う。
今は亡き、わが師(紀野一義先生)の教えです。
自誓
明治大正時代に、浄土宗の僧として活躍された弁栄聖者の臨終の言葉は「如来はいまします。衆生はそれを知らない。弁栄は、そのことを知らせるためにやってきた・・・」とのことである。 世界的数学者として有名であった岡潔先生は、この弁栄聖者を尊敬していて弁栄聖者の言われた「この世界には、まず一大心霊という心があり、その一大心霊の心がこの世のすべてを創りだして、この世界を眺めて楽しんでいらっしゃる。その一大心霊と同じ心を人間にもお与えになって、人間もこの世界を眺めている」ということを言われた。 一大心霊は、この世界のドラマを眺めて楽しんでいらっしゃるのであろうが、人間の方は、この世界を生きることに、あたふたともがき苦しんでいるといったところであろうか。 ドラマや映画や小説の世界なら、人間も少しは、その世界を楽しむことができるであろうが、現実世界を楽しむことは、なかなかできない。 お釈迦様は、苦しみの原因は執着することだから、執着するなと言われたが、紀野一義先生は、苦しみは伴うかもしれないが、愛するものがあれば、とことん愛するという姿勢だった。 そして、紀野先生は、人生は肯定して(肯定、肯定、絶対肯定)して生きなければならないとおっしゃった。 法華経のことは、私にはよくはわからないが、法華経の神髄はこの絶対肯定であるともおっしゃった。 人間が苦しむのは、執着することが原因でもあるが、もう一つ大きな原因が、否定する心である。 どうしても、自分の現状や、他人や世界を否定してしまう。 確かに、これは苦しみであり、不安である。 人間少々、パァーな方がよい、馬鹿一直線、明るくさわやかに生きたいものである。 (紀野先生は、そんなことをおっしゃっていたなあ・・・) そして真実を求めるような生き方をすれば、ドラマチックな出来事も起きようというものである。 それを楽しみたいなー。 一大心霊だけが、この世を楽しむのではなく、人間一人一人、誰もが、この世界を楽しむ力を秘めていると思うのである。 今は亡き、わが師(紀野一義先生)の教えです。 いかに生きていけばよいのか、わからなくなったときのよりどころとしています。 自誓 一、 心ひろびろと、さわやかに生きん。 一、真実をもとめてひとすじに生きん。 一、おおぜいの人々の幸せのために生きん。 2023.7 生きながら 死人となりて なりはてて 思うがままに なすわざぞよき
最近、江戸時代初期の無難禅師の道歌「生きながら 死人となりて なりはてて 思うがままに なすわざぞよき」を、何度も心で繰り返し、自分に言い聞かせています。
自分に言い聞かせてはいても、この心境になりきることは、できないが、自分なりに、どこかすっきりして、心が少々のことでは動じないなと思う。
もっとも、こんなことを文章にしてしまったら、せっかくの思いも、すでに霞んできてしまう。
やはり、大切なことは、心にしまっておくのがよろしいようだ。
なぜ、ならば書くのかといえば、少しは誰かのやくにたてばという思いからだが、はたして、どの程度、お役にたつやらわかりはしない。
お釈迦様の言葉を書き留めたスッタニパータという本があるが、お釈迦様はしつこいくらい執着を捨てろと説かれている。
執着することが、苦しみの原因であるということだ。
死人には、この執着がない。だから無難禅師は死人になれというのだ。
死ねと言っているのではない、生きながら死人となるのである。
何事も気にしない、執着するなといっているのである。
それでもって、思うことはやりなさい。
人目を気にすることもなく、結果を気にすることもなく、やりたいことは、やりなさいよというのである。
人間は失敗したり、おとしめられたり、侮辱されたり、耐えがたいことはいっぱいありますが、死んでしまえば、恥ずかしいの悔しいの苦しいのと、そんなことは一切感じない、気にしない。
実際に死ぬ必要はなくて、一度死んだものと思って、すべてを捨て去り、執着を離れ、新しい日々を清々と生きていく。
私も、子供のころから、死にたい苦しみ悲しみを経験してきましたが、死にたくなったとき、そのぎりぎりで、きれいさっぱり何もかも忘れて生きなおしてきました。無意識のうちに、生きながらん死んだんだから、何もかも忘れて生きなおすのです。
結構、明るい生き方です。
ただし、環境が変わったわけではないですから、同じような問題が繰り返しせまってはきます。
でも不思議なもので、いつのまにか打たれ強くなっています。
本当に困るのは、自分の命より大切なものを失ったときだと思います。
人間やはり、心のバランスをくずし、絶望し、精神が病むだろうと思います。
良き友や、時間が癒してくれるかもしれませんが、やはり医師にも相談した方がよいかもしれません。
これが少し前の日本なら、寺の住職が村の長老に相談したと思います。
今は、人生経験が豊富で頼れる優しき大人が身近にいなくなりましたね。
今は亡き、わが師(紀野一義先生)の教えです。
いかに生きていけばよいのか、わからなくなったときのよりどころとしています。
自誓
一、 心ひろびろと、さわやかに生きん。
一、真実をもとめてひとすじに生きん。
一、おおぜいの人々の幸せのために生きん。
純粋であるとか、優しいとか、簡単に言葉にするけれど、その生き方は非常に困難を伴い難しい。
麗しき乙女も、優しき乙女も、天使のような乙女も、この世の荒波にもまれ、その純粋の心、優しき心がいつしか失われてしまう。
ある人が、女一人生きていくということは大変よ、と言った。
長いものに巻かれというけれど、自分の意志に反しても生きていかなければならないことは、男も女もよくあることだ。
翻って自分は、不器用で、長いものに巻かれることができずに、浮き草のように、職場を転々とした。
だから、わかる。同じように不器用に生きる人間が・・・。
酒場で酒を飲んでも、妙に気があうのは、そんな人間だ。
女性でも、妙に気が合うのは、そんな人間だ。
でも心と心がふれあい、妙にお互いほっとしている。
それだけでも人生は、生きている喜びではないだろうか。
2023.5 諸法実相、すべてがあるがまま。
善も悪もなく。
しかし、わたしの心に響き喜びとなるのは、たまに、いい奴(男も女も)と、巡りあえること。
今は亡き、わが師(紀野一義先生)の教えです。
自誓 人が生まれるとき、山河大地も、また生まれる 私は、今でも紀野一義先生の書かれた本や、講話のCDを読み聞き続けている。 これだけ繰り返し読み続けているのは、紀野先生の本とCD、そして東郷豊治氏監修の良寛詩集だけである。 良寛詩集に関しては47年間のおつきあいになる。 良寛は曹洞宗の僧であり正法眼蔵の言葉一つ一つが珠玉のようだといっている。 紀野先生の正法眼蔵のCDを聞いていると、正法眼蔵は非常に難解だとおっしゃっている。 CDの一番最初のお話しが「唯仏与仏の巻」なのだが、その中で、道元は「人が生まれるとき、山河大地も、また生まれる」と言っている。 これは道元がいったのではなく、古仏(どの仏と特定されているのではない、ある昔の仏)がいったのであるが、この言葉を解釈するのは、道元自身も非常に難しいと言っている。 また、しかし、この古仏がいった言葉は、なかなか無視できない言葉であるから、よくよく考えてみないといけないと、道元は言っている。 そして、この言葉が間違っているというのは、古仏をそしることになるから、しっかりと考えなければならない問題だと言っている。 それでは、どういうことかといえば、山河大地はすでにあるのであるが、それとはもう一つ、すでにある山河大地の上に、もう一つの山河大地が、人が生まれるとともに生まれるというのである。。 そして人が悟るとき、また山河大地も悟るというのである。 私も、おそらく、この問題は、簡単には理解できないであろうと思う。 しかし、そうかわかった、ありがとう、という人もいるかもしれない。 私が、よくわからないからと言って、他の人がわからないとは言えない。 そう思って、この言葉を書いてみた。 今は亡き、わが師(紀野一義先生)の教えです。 自誓
4月23日に67歳の誕生日を迎えた。
息子と、30年前から通っているスナックのママから、ラインとショートメールで「誕生日おめでとう」のメッセージが届いただけで、何の変化もない1日だった。
誰でもそうなのかもしれないが、20代の自分と、心の心情のようなものは、あまり変わっていないなと思う。
人間、いかに生きるか。いかに生きるのが良いのか。永遠なるもの、真実のひとかけらを求めて、生きてきたと思う。この思いが、体制の中、組織の中、人間関係の中で、突然、軋轢から爆発して、組織や人と決別してきたように思う。
長いものにはまかれろ、といった、妥協がなかなかできない性格で、激しい態度や言葉で、相手を傷つけたことも多かったと思う。
誰だって、自分を強く否定されたら、嫌だろう。
中学生のころ、正義感に燃えて、突っ走しっていた時代がある。そんな僕に「正直に生きたいという気持ちはわかりますが、時に、その正直さが人を傷つけることがると思いませんか」と言われたことがある。
僕の発言が、僕の知らないところで、人を傷つけていたのだ。
このブログでも感謝の言葉をいただくこともあるが、ひどく、傷ついたという言葉をいただくこともある。
なぜ書き続けるのかと言えば、誰かの心に、よりよく生きるヒントのようなものを、届けたいからだと思う。
やはり言葉には、力がある。
もうそろそろ、悟りのようなものを掴みたいと思うが、まだまだである。
多くの人が、悩み苦しみ悲しみを乗り切る力がほしい。
そうして笑顔と優しさをもって生きていきたい。
今は亡き、わが師(紀野一義先生)の教えです。
自誓
2023.03 肯定する力
我が師の教えは何だったのだろうかと考える。
私なりに解釈しようと思う。
先月も書いたと思うが、人間は本来全員救われており、いずれは仏にでもなろうかという存在である。
そのことは、仏教の経典にも書かれているのだから、誰も否定はできないだろう。
どんなえらそうなことを言っても成しても、長い宇宙の時間の流れの中では、チリのようなものだ。
だから、何があろうが、どんな人間だろうが、放って置けばいいようなものだ。
しかし、困るのは、現実問題として、人々が不安に怯え、欲望にからめられ、悲しみ苦しむ姿だ。
もっとも、他人事ではなく、私も、無意識のうちに、悩み不安を感じることが多々ある。
なぜ、悩み不安を感じたりするのか。
それは、いつの間にか、現状を否定しているのですね。
いくらお金があっても、才能に恵まれていても、健康でも、自分を、現実を、肯定できなければ苦しむ。
貧乏でも、不器用でも、病気でも、自分を、現実を、肯定できれば幸せだ。
右腕を、事故で切断して失くしても、まだ左腕があってよかったと思う。
右腕を、失くして、今まで見えなかったものが見えるようになることもあろう。
今日も一日生きている。ありがとう、ええなあ。と、思う。
ややもすると、人は絶望します。不安にかられます。
そんな否定的な思いの時に、逆に、ええなあ、と思う。
少しくよくよしても、もう駄目だと思うくらいくよくよしても、最後は、肯定して、ええなあ、と思う。
この生き方なら、どんな状況下でも、安心と幸福感は得られる。
具体的に肯定なんて、そう簡単にはできないかもしれないが、肯定することが大切だ。
やはり、想像力、思考力、たまたまのめぐりあわせ・・・。
不運の中、不幸の中、明るく元気よく生きている人には、この肯定する力、思い、想像力があるのだと思う。
そして、我が師は、この肯定する生き方を大切にされたのだと思う。
「ええなあ、ええなあ、ほんまにええなあ」私も、しばらく、意識的にこんな生き方を実践していこう。
今は亡き、わが師(紀野一義先生)の教えです。
自誓
今から40年ほど前、東京のホテルに宿泊したときに、仏教聖典を初めて読んだ。
ホテルの一室に聖書と仏教聖典が並んで置かれていた。
非常に興味深く読み、ホテルのショップで買い求め、友達にも紹介したものだ。
仏がすべての衆生を救うことができないのなら、私は悟らないという誓願をたて、悟りを得て仏の誓願が成就したと書かれていた。
この一文が妙に気になったものだ。
それでは、すでにすべての衆生は救われているということではないのか。
この疑問が、時々、脳裏をかすめる。
浄土三部経を読んだとき、大無量寿経には阿弥陀如来の48の誓願というものが書かれており、第18番目の誓願が「阿弥陀如来の名前を呼ぶ者はすべて、阿弥陀如来の極楽浄土に生まれさせることができないなら、私(阿弥陀如来)は悟りを開かないという誓願をしたうえで、誓願が成就したことになっている。
ようは「南無阿弥陀仏」と阿弥陀如来の名前を呼べば、極楽浄土に生まれるのだ。
そんな、ことがあるのであろうか。
もっとも、極楽浄土は美しく楽しいばかりで、何となく退屈そうで、極楽浄土に生まれなくてもいいと思っていたら、そういう人間は阿弥陀如来の救いから除くと書かれているから、おそれいったものだ。
さすがに、私も、気弱になったときには、極楽浄土もいいかもしれないと思う。
苦しみ悲しみがあってこそ、本当の幸せをかみしめることができるのではないかと思うが、苦しみ悲しみが続くと、極楽浄土のような安心の世界でしばし休憩したいと思う。
般若心経を読むと、過去現在未来の諸仏がこの上ない悟りを開かれたのだから、安心しなさいと書かれている。
立派な仏様達が、衆生を救うために、すでに悟りを開いていらっしゃるのだから、みんな救われているということが真実のようである。
それが何とも、わからないから悩み苦しみ悲しむのであろう。
いや、この悩み苦しみ悲しみが大切ということかもしれないな。
最近紀野先生の「人生は捨てたもんじゃない」という本を読んでいたら、法華経の方便品には「すべての衆生が仏と等しく仏にならないなら悟りを開かないという誓願をたてて仏は悟りを得た」という内容のことが書かれているということがわかった。
法華経はお釈迦様が説かれたお経だから、お釈迦様が、そのような誓願のもとに悟りを開かれたということであろうかと思う。
ましてや、法華経には「常不軽菩薩品」というのがあって、常不軽菩薩はたえず「あなたは仏になられる方です。決して軽んじません」と、誰に向かっても礼拝したという。
知れば知るほど、私たち皆が、すでに救われており、仏にもなり、極楽浄土にでも生まれることができる人間のようである。
しかし、このことが、ピンとこない。困ったものである。そして、わからないまでも、そうらしいと思えるから、少しは安心かな・・・というところであろうか。
皆様は、こんなことを少しは考えたことがおありであろうか・・・。
やはり、このあたりは、人それぞれに思い考えたりしていくしかないのかもしれないが、少し、参考になったと思っていただければ幸いです。
※ずいぶん後になって気づいたのだが、仏教聖典の編集のための戦後の第1回目の結集のリーダーの名前として巻末に紀野一義先生の名前が掲載されていた。
紀野先生とは知らない間に、やはり深い因縁があったのですね。
今は亡き、わが師(紀野一義先生)の教えです。
自誓
2023.1 お経の一文も知らなくてもよい
「悟るためには、お経の一文も知らなくてもよい」ということが書かれていたことを、ふと思い出しました。
紀野先生の著書にも書かれていたと思います。
おそらくは道元禅師とか、悟りを開かれた立派な方々がおっしゃたのだと思います。
道元禅師は、僧は貧乏であることが良いとおっしゃるし、知識教養、本を読むことなども必要ではないとおっしゃる。
「自未得度先度他(じみとくどせんどた)」自分よりも他人を本当に幸せにしたいと願う心が起きたなら、それは悟ったも同じだとおっしゃる。
この心があるようでない。またないようである人もいるともおっしゃっている。
また、ここのところが、なかなか見極めが難しいともおっしゃっている。
一時的に、このような心を持つことができても、たちまち、いや、いつのまにか自分の幸せを中心に考えるようになってしまう。
他人の幸せを心から願い、それが永続するということは、なかなか難しい。
あの人は、仏様のような人だと、時々言われる人がいる。
はたして、それは本物か偽物か、たまたまその時が、仏様のようであるのか。
私は、江戸時代後期に生きた良寛というお坊様に強く心ひかれてきた。
一生を小さな庵で乞食の僧として過ごし、藩主からお寺を寄進すると言われても拒み、子供らと夢中になって遊んだりしたお坊様。
晩年は、髪も伸びたままのこともあったりで、坊主なのか神主なのか乞食なのかわからない風体だと自分のことを言っている。
でも道元禅師の正法眼蔵のすばらしさ、お釈迦様の教えのすばらしさしみじみと感じながら、人々を済度することを願っている。
良寛は、多くを語らなかったから、自分の生き方で、仏の教えを伝えたということだろうか。
紀野先生も良寛のことが大好きで、良寛の歩いた道を自分の足で歩き、良寛を身体で感じていらしたのだと思う。
ものぐさな私でさえ、良寛が過ごした五合庵、出雲崎、木村家と尋ね歩いたのはなぜだろう。
良寛の墓を見た瞬間、お墓が光につつまれた時、あの妙な照れくささは何だったのだろうか。
良寛が修業した岡山県玉島市の円通寺に、仙桂和尚というお坊様がいらした。
良寛よりかなり年配であった仙桂和尚は、座禅することもなく、お経を読むこともなく、ただ畑で野菜作りをして、みんなに与えているだけの生活を送っていたお坊様です。
その仙桂和尚のことが、晩年の良寛に思い出されて「なぜ自分は仙桂和尚のことを見てわからなかったのだろう。仙桂和尚こそが、真の道者だった」と言っています・・・。
今は亡き、わが師(紀野一義先生)の教えです。 自誓
丸の内線の新高円寺の駅近くに住んでいるのだが、今、青梅街道沿いの銀杏並木が色づき落ち葉が舞う。 何だかいつもより遅い季節の移ろいだと思うが、気温はマイナス1度、マイナス2度とそれなりに真冬の寒さだ。 やけに青い青空と白い富士山を7階から眺めたり、夕陽も夕焼けも、むしょうに人恋しくなる。 六十六歳の年末も、青春時代の年末も、あまり変わっていないと思うのだが、何か病気にでもなれば、いっきに老け込みそうだなと思う。 一休禅師は、新年早々、シャレコウベ(髑髏)を杖に挿して「御用心!御用心!」と京都の街をねり歩いたそうだ。 いずれは死ぬぞ、今日死ぬかもしれないぞ、明日死ぬかもしれないぞ。「今のままで、それで良いのか!」 一休さんは、何を伝えたかったのだろうか。
今のままでもいいですよ。 ただ、欲望や煩悩に心を焼きつかされ。 病や死に怯え苦しむ衆生。 やはり、日々安心して、心ひろびろと生きるには、それなりに修業のようなものが必要だ。 良き師にめぐり逢い、学び実践していかねならない。
私は、紀野一義先生に巡り会えたことが、とてもありがたいことなのだと思う。 しかし、いまだに、先生の教えが何だったのか説明することはできない。 先生は、できる限りわかりやすく教えていらしたのだが、やはりそう簡単にはわからない。 わからないまでも、それなりにわかり、それなりに幸せだ。
今は亡き、わが師(紀野一義先生)の教えです。 自誓 2022.11. ショウキョウという山について 私は、中国山地の山深い町の出身だ。
私がまだ小学生の昭和30年代までは、我が家の炭焼き小屋が、ショウキョウという山の中腹にあり、一人でもよく登ったものだ。
小学校の校歌はショウキョウサンカフクカゼニ、ニワノサクラガニオウトキ・・・だった。
ショウキョウといえば、山の名前で、ただショウキョウ、ショウキョウとだけ、意味など考えもせずに、山の名前を口にしていた。
近辺には羅漢山、恐羅漢山、深入山と、山の名前らしい名前のついた山が多くある。
ショウキョウは標高810メートルほどの、取るに足らない我が村にそびえる小さな山だ、と思っていた。
ところが、このショウキョウは正教という名称であることに数年前気づいて、どきりとさせられた。
なぜ、正教という名前の山になったのか、調べれば何らかのいわれがあるはずだ。
正教山という名前の山は、全国に一つしかない。
当然世界で一つしかない山の名前だ。
子供の時に読んだ童話に、ある男が金剛石を求めて、国中を歩きまわった。
しかし、金剛石を見つけることができないまま、年老いて故郷に帰ったところ、探し求めていた金剛石は故郷の谷川にあったのだ。
私自身も子供の頃、石の採集もしていたくらいだから、妙に、心に残る話しだった。
私も、何か大切なものを故郷で見落としているようで、故郷に帰らねばならぬのかもしれないという思いがよぎるのだ。
本当に、真剣に考えねばならないかもしれない。
2022.10 不安と安心(正師)
今は亡き、わが師(紀野一義先生)の教えです。 自誓 人間生きていると、心配事や不安に心を痛めるものだ。
歳をとれば、人生がわかって、不安などなくなればいいようなものだが、そうはいかない。
歳とともに、よきせぬことで、やはり不安になることもあるようだ。
私の場合には、いつ死んでもいいと思っているし、病気になったら、それはそれでしかたないと思っている。
どれだけ貧乏になろうが、貧乏生活をそれなりに楽しめるのではないかとも思っている。
ということで、自分の人生に不安はほとんどないのだが、子供が苦しんいる姿は、さすがに身にこたえる。
しかし、子供も、いずれ何とかなるだろうとは思っているし、以前に比べれば、何とかやっているので、実際のところ、やはり、あまり気にしていない。
老後も、一人で過ごすより、愛すべき人と静かに暮らせたらと思うが、相手側に、私ほどの覚悟がある女性は見当たらない。
私は、はた目には、しっかりものの優しい男性だが、私の内面は、なかなか一筋縄ではいかない。
しかし、誰しも、心のどこかで、何かが違っていると思っているのではないだろうか。
多くの人が、自分を否定し、他人を否定し、かといって、どのように生きればよいかという、しっかりした人生観、倫理観、哲学観、宗教観をつかめずにいるのではないだろうか。
本来、宗教は、人間の生き方を教え、心の不安を取り除いて安心を与える役割をはたしてきたのだと思う。
最近の宗教は、そこのところが、きちんとできていない。
それどころか、人の心の不安につけこんで、利用していることが多い。
正師(せいし、正しい師)とは、その人に生きる喜びを与えてくれるという。
正師が、増えなければならない。
師のない仏法はないそうである。
それだけ師は大切なのである。
良き師が増えてくれることを願う。
今は亡き、わが師(紀野一義先生)の教えです。 自誓 2022.09.29 あわただしい日々 最近、新しい仕事にかかわり、忙しい日々を送っている。
このブログもぎりぎり、月末をむかえた。
いつこのブログをはじめたのかも、さだかではないが、毎月欠かさず掲載してきた。
何とか、今月も書かねばと思う。
どうせ書くなら、少しでも人のやくにたつようなことを書こうと思ってきた。
そんなに難しいことではない、お釈迦様の言葉や、すぐれた仏教者の言葉を引用すれば、それだけで何か人様の役にたつというものである。
お寺の門前には、このような教えの言葉がよく書かれていて、それなりに感心したり、参考になることも多い。
できれば、ぐっと胸にひびきわたるような言葉や教えを伝えたいものだ。
そのために、あれやこれやと、考えていると、この短いブログでも、なかなか筆がすすまない。
書きたいことや、伝えたいことは山ほどあるのだが、今、何を伝え、今何を書くのかということになると、さっぱり書けなくなる。
今月書こうとしていたのは、以前にも書いた記憶があるのだが、無難禅師の言葉である。
解説などはぜずに、ただその言葉のみを掲載する。
「生きながら、死人となりて、なりはてて、思いのままにするわざぞよき」 今は亡き、わが師(紀野一義先生)の教えです。 自誓 2022.8. 肯定 肯定 絶対肯定 (肯定する力) 最近は、スマホで世界中の人々の日常生活を写した動画を見ることが多い。
国が違い、民族が違い、気候風土が大きく異なるなかで、人間の本質のようなものは、あまり違わないのだなと思う。
東南アジアの両手のない若い女性が、両足を使って洋服を着替え歯磨きをし食事を作り、お化粧も上手で、着こなしも上手で、チャーミングで、その生活は両手がないことがわからなく程である。
今日本でも、高校生のときに交通事故で両足を失った若い女性が、モデルとして活躍している。
彼女は、交通事故を起こした加害者の人に、事故を起こしたことを気にして悩まないでほしいという。
だから加害者が特定されてしまうようなことは避けてほしいと思っているようだ。
両足を失ったことを、不幸だとは思っていないという。それはそれで良かったのだという。
彼女の笑顔も素敵だ。
寝たきりの青年がいる。パソコンを口にくわえた棒で操作する。そしてインターネットを使って商売を始めた。
150円の利益が出たことが、非常な喜びだったという。
私たちは、不幸せに思えること、様々な苦難に巡りあうと、ややもすると悲観し絶望し、苦しみに陥ってしまう。
一時は、悩み苦しむ悲観し絶望するのも良い経験となるであろう。
しかし、そこに長くとどまっては、大切な人生(いのち)が、もったいない。
どのように人生を肯定していくのか。
上記に書いた3人の生き方も、参考になるのではないだろうか。
わが師は、人生は肯定、肯定、絶対肯定!!何があっても「ええなあ、ええなあ」と声を出して言うぐらいでないと
駄目だとおっしゃた。
コップに水が半分入っている。その事実に対して人は「もう半分しかない」「まだ半分もある」「あの水はまずそうだ」「あの水はうまそうだ」「ひょとして貴重な魔法の水なのだろうか」と様々なことを思う。その思いを肯定的な思いにしなさいということだ。
この肯定する力があれば、世界中どこにいても、どんな苦難があっても、幸せ、喜びを感じることができるのだろう。
死んだらどうするんだ!!死後の世界も、そんなに悪いものではないと思う。ここは、是非とも体験したいものだ。
円覚寺の朝比奈宗源老師は、よく言われたそうである「我々は、仏心から生まれ、仏心の中に生き、仏心の中に命をひきとる」
今は亡き、わが師(紀野一義先生)の教えです。 自誓 2022.07 あとを継がせる気はない 紀野一義先生は、1922年(大正11年)8月9日のお生まれである。
来月は、生誕100年ということになる。
私のところにも、何かお祝いや集まりはあるのかと、ぽつりぽつりと問い合わせが入っている。
8月9日は火曜日で、普段なら仕事で休めないのだが、代休で休めることになった。
一人墓参りする予定だが、久しぶりに会いたい仲間もいる。
ばったり会うというのも、良いかもしれないが、電話でもしてみようかとも思う。
紀野先生を主幹とする真如会は、多いときは1000名以上だったのであろうと思うが、先生の晩年は300名程度だったと思う。
先生は、自分の息がかかる程度、自分が面倒をみれる人数だけいれば良いというお考えだった。
会を必要以上に大きくするお気持ちはなかった。
自分が死ねば、真如会も、それで終わり。
誰かに継がせる気はないとおっしゃっていた。
この真如会の会員の中には、各宗派の管長クラスの方が何人かいらっしゃる。
その方々の心の中に、在家の一般の会員の心の中に、一粒の種が芽生えるのでないだろうか。
先生は、仏教を誰にでもわかるように、お話になった。
また道元、親鸞、日蓮、良寛、明恵上人など、様々な仏教者の生きざまを教えてくださった。
それと同じように現代に生きる、ごく普通の人間の生き方、生きざまを紹介してくださった。
その教えの究極にあるものは何かと言えば、誰もうまく表現できないのではないかと思う。
それでもあえていうならば、人の一生なんて何をなした、なさなかったといっても、たいした違いはないですよ。
自分を否定しまっていることが多いでしょうが、人生は、肯定して生きなさい。
そして、心ひろびろとさわやかに生きなさい。
そして、真実を求めていきなさい。
そして、おおぜいの人々の幸せを願う生き方をしなさい。
そういうことを大切にして生き、心と心のふれあいを大切にしなさい。
心にずしんと響くようなことを見たり、聞いたり、体験しなさい。
思いきりよく生きなければ駄目ですよ。
私たちは、仏のいのちから生まれ、やがては仏のいのちの中に帰っていく。
今は亡き、わが師(紀野一義先生)の教えです。 自誓 2022.6. 信心と人間いかに生きるかということについて 紀野先生が八十八歳の米寿を迎えられるので新しくCDを制作しようということで、放送局に勤めているW君や数名で先生のお話しを録音したことがある。
私は、その頃、毎月8日前後は先生の御伴をしていたのだから、いくらでも先生に質問をすることができたのだが、一対一でいるときに先生に質問したことは、あまり記憶にない。
その日だけは、やはり聞いておきたいなと思い「人間いかに生きるのが良いのかといことについてお話しください」と、お願いした。
先生は、
「人間いかにいきるかという問題は、なかなか結論が出ない。だから人は、途中でやめてしまう。そんなことでは哲学の勉強はできないよね」
とおっしゃった。確かに多くの人が、考えることをやめてしまう問題なのかもしれない。
私も、いまだに考えているけど、結論は出ていない。
また、この問題が哲学の問題だということは、仏教とは違うということかもしれない。
私は、今も、哲学的、学問的、知識的に仏教をわかろうとしているのかもしれない。
仏教は、衆生無辺誓願度(しゅじょうむへんせいがんど)、すべての人々を幸せに導こうという願いを大切にしている。
ありがたい教えだけれど、そこに命までかけようとは思わない。
信心とはいうけれど、なかなか仏を信じることも難しい。
仏の力で奇跡でも見せていただければ、多くの人が信じるだろうけれど、仏は神通力など特別な力を使うことを否定していらっしゃる。
私たちは、自分の人生の中で、しみじみと仏の言葉や、優れた仏法者の言葉を聞き、そしてそれぞれの仏法の師にめぐりあい、仏を信じるようになるしかない。
厳しい修業などをして悟りを開くことは、ほとんどの人ができない。
ましてや、今現在では、お坊様を含め、悟ったものなどいないのかもしれないと思ったりもする。
おそらく、悟りとは、虚空を感じ取り、生きながら死んで死にぬき、自分というものがなくなり、ただある、というような世界なのだろうという予測はできる。
簡単に言えば、自分のことなど一切考えず人の幸せを心底願えるような世界だろう。
いやいや、何にもない、無の境地。天地いっぱいにひろがる自由な世界。
いくら表現しても、わからないものは表現しきれない。
おまけに、悟っても、それは説明などできない世界だというから、どうしようもない。
そういえば、私は先生に何気なく聞いたことはある。
「先生には、悟りがありますか」
先生は、
「あるよ。それでなければ仏教について、みんなに語ったりはできないよ。」
私は、さらに聞いた。
「その悟りはどんなものなのですか」
先生は、
「まあ、紀野教(キノキョウ)だな」
たぶん池上本門寺に向かう車の中で、渋滞中に質問したのだと思う。
先生は、さりげなくジョークを交えられるから、ひょっとすると、
「昨日(キノウ)は今日(キョウ)だな}
という、言葉にひっかけられたのかも知れない。
先生は、仏教は一元論だとおっしゃる。
神も仏も私も一緒。
過去も現在も未来も一緒。
というような世界を、キノキョウ(昨日は今日)と、私をからかっておっしゃたのかも知れない。
まあ、おそらく考えても考えても哲学的、学問的、知識的なものでは悟りは得ることができない。
先生は、町中の小さなお地蔵様でも、さっと手をあわせて礼拝される。
谷中の全生庵で法話の席に着く前に、本堂のお釈迦様の前を通るときには、誰も見ていないけれど、両手を合わせて深く礼拝される。
先生を見ていると、仏様はいらっしゃるのだなと思わされてしまう。
しかし、私には深い信心はない。
でも先生にお会いして、仏様はいらっしゃると感じることができただけでも幸せだ。
仏に手を合わせたことがないような学者が、仏教を語るのが、今の世の中だ。
仏教は学問ではないですよ。
仏を信じ、敬っていらっしゃる方も多いことと思います。
そういう思いを大切にしてください。
「いかに生きるか」。
先生はおっしゃた。
「自分がいいと思えば、それでいいじゃないか。人から良くおもわれようなんて、そんなことじゃ駄目だ」
はい、もっと自分らしく、生きます。
今は亡き、わが師(紀野一義先生)の教えです。 自誓 2022.5 思考は現実化する
「思考は現実化する」という言葉を聞いた方は多いと思います。
私も若い頃、ナポレオン・ヒルの「思考は現実化する」という本を読みました。
ジェームズ・アレンの「原因と結果の法則」も、思いが人生を創るといっています。
「念ずれば花ひらく」という仏教詩人である坂村真民さんの詩も有名です。
「一念岩をも通す」「切に思うことは叶う」と、この思いというか心が大切であることは、間違いないようです。
世界的数学者であり教育者であった岡潔先生は「この世界には、まず心がある。この心がこの世界を創り、ながめて楽しんでいる。
それと同じ心が人間にある。人間もまた世界を創り、ながめて楽しんでいる・・・・」
後半部分は、私の勝手な解釈であるかも知れませんが、このようなことをおっしゃった。
残念ながら、一人一人の人間が、この世を楽しんでいるようには思えません。
あまり楽しめないのは、私の心がよくないのか、創造力がないからなのか。
いずれにせよ、心というものが、現実社会に大きく影響を与えているのです。
この心を何とかしないことには、美しく平和な世界は築けないと思います。
本当の幸せは、政治では築けない。
私が、求めているのは、この心ということなのかもしれない。
私は、我が師がおっしゃった「黄金の70代」を目指しています。
人生というものが、まだまだわからない。
今、66歳。
いつ死んでもおかしくない年頃だが、命ある限りは、人々の本当の幸せについて、しっかりと語れる人間になりたい。
今は亡き、わが師(紀野一義先生)の教えです。 自誓 2022.4 プーチンのストレス(自業自得) ウクライの小学校の教科書ではを松尾芭蕉を習い、高校の教科書では川端康成の千羽鶴を習うのだそうだ。
日本でも私の中学生の時にはウクライナ出身のガルシンの「信号」という短編を習った。
ウクライナの人には親日家が多いという。何か相通ずるものがあるのだろうか。
プーチンは世界の大国としての強いロシアを築いたスターリンを尊敬しているようである。
スターリンは、やはりウクライナを迫害している。ライバルや敵対するものは処刑し毒殺している。
同じくプーチンは、敵対するものを虐殺し毒殺している。
まるで罪の意識はないようであるが、スターリンは鉄に囲まれた寝室を複数作り、どの部屋で就寝するかは誰にも教えなかったようである。
いつか自分が殺されるかもしれないという恐怖感は十分あったようである。
脳溢血で倒れたスターリンは、鉄の部屋で倒れ、発見が遅れて死にいたったという。
もっとも暗殺(毒殺)されたのではないかとも言われてもいるのだが・・・。
プーチンも、側近との会議でも人をそばには寄せ付けない。
会議の席でプーチン一人が、遠く離れた姿は異様である。
当然寝室も、人を寄せ付けない。
そのことが幸か不幸か。
いざという時に、誰も助けてくれない。
プーチンには二人の娘がいるそうだ。
プーチンは、この娘を溺愛しているとのこと。
もしプーチンの娘が、まっとうならプーチンを批判するであろう。
そして今、世界の多くの人々がプーチンを批判している。
プーチンには、この世界の声が届かないのだろうか。
いくら言い訳をしても駄目である。
プーチンは、今、悪人である。
欲にまみれ、驚くほどの執着心を持ったプーチンは、多くのものを手に入れただろう。
しかし、その欲と執着が苦しみと不安の原因であることを知らないのであろう。
今、プーチンは最大の苦しみを味わっている。
これから益々、その苦しみは増大する。
やがては病み、死んでいくだろう。
病まなくても毒殺されるか、銃殺されるだろう。
お釈迦様の弟子に一人、王様がいた。
出家して、本当に幸せになったという。
誰もが信じなかったが、王様は「いつ他国に侵略されるか」「いつ殺されるか」といった心配がなくなって、本当に幸せだという。
プーチンも苦しいだろうから、できることなら、よくよく反省して、停戦しほしい。
今は亡き、わが師(紀野一義先生)の教えです。 自誓 2022.3.22 お釈迦様と戦争
今の、ロシアによる武力侵略は戦争です。
ロシアというより、プーチンが一番悪い。
諸悪の根源です。
プーチンは国内に1000億円を超える豪邸をいくつも築き、私利私欲で動いています。
ロシアの皇帝、世界の皇帝にでもなろうとしているのでしょうか。
今までも、敵対する自国のロシア国民を毒殺し射殺してきた、犯罪者です。
大統領なら人殺しも許されると思っているのでしょうか。
遂には、武力をもって他国を侵略し、一般人も平気で殺していきます。
歴史に残るであろう、犯罪者です。
ただ、その歴史が、今後も続かないかもしれないほど、世界は危機的状態です。
世界中が、プーチン批判をしないと、プーチンやその側近は考えを変えないでしょう。
プーチンよ、世界はおまえを見ているぞ。
世界中の人が、プーチンの嘘に気づき、プーチンが殺人者であると思い始めているぞ。
この思いが、プーチンに届け。
プーチンの側近に届け。
ところで、仏教は、戦争に対してどのような考えなのだろうかと、考えてみました。
お釈迦様は釈迦族の王子でした。
釈迦族はお釈迦様の父である浄飯王(じょうぼんおう)が善政を行っていたので、国民は幸せに暮らしていました。
お釈迦様が出家されたあと、釈迦族の国は近隣の国から攻め込まれました。
一度は、お釈迦様が、敵国の軍隊の前に立ちはだかり、軍隊を撤退させました。
二度めは、神通力をもって、敵国の侵入を防ぎました。
しかし三度目は、お釈迦様は何もなさらず、釈迦族の国は滅亡したのです。
釈迦族は、滅亡しても多くの親族は出家してお釈迦様の弟子となっています。
十大弟子の一人は従妹のアーナンダ、もう一人は息子のラーフラです。
年老いた十大弟子の一人が、隣国に仏教の布教に行こうとされた時、お釈迦様はおとめになりました。
「おまえの行こうとしている隣国の人々は、気の荒い人が多く、おまえをなじり暴力で危害を加えるぞ」
「はい、耐え忍ことができます」
「おまえの命がなくなるかもしれないぞ」
「はい、耐え忍び喜んで死んでいきます」
「それなら行きなさい」
これで仏教の基本は、非暴力なのだとわかります。
仏教徒であるならば、生きとし生けるものを大切にしなければなりません。
山や川や花だって、大いに語っているというのが仏教です。
ただ私たちには、その声が聞こえないだけ。
植物にもテレパシーのようなものがあるという実験をした人がいましたが、世界中の思いが、プーチンに届けばいい。
プーチンの人殺し!
いいかげんにしろよ!
今は亡き、わが師(紀野一義先生)の教えです。 自誓 2022.2 常不軽菩薩(皆、いずれは仏になる)
法華経の中に常不軽菩薩(じょうふきょうぼさつ)という菩薩の話しが出てくる。
この常不軽菩薩は、人に出会うと「あなたは、仏になる方です。決して、あなたのことを軽んじません」と礼拝した。
いきなりこんなことを言われて、両手を合わせてお辞儀されたら、なんのことやらさっぱりわからない。
言われて礼拝された方は、ただぽかんとするか、気味悪がって立ち去るか、短気で気性のはげしい人間は殴りかかったり、石を投げつけたりしたらしい。
そんな時、常不軽菩薩は、いったん遠ざかり、また、遠くから「あなたは、仏になる方です。決して、あなたのことを軽んじません」とまた礼拝した。
いいかげんにしてほしいと思う。
何を根拠に、そんなことを言うのだろう。
でも、「あなたは、仏になる方です・・・・」
妙に、この言葉が印象に残る。
わざわざ法華経の中の大事な一説として出てくるのだから、深い意味合いや教えがあるのだろう。
お釈迦様の願いも、様々な如来の願いも衆生を救うことである。
いつ仏になるかは、個人差があって、百万回位は生まれ変わらなければならない人もいるだろうが、いずれは仏になるということであろうかと思う。
人間として生きていくことは、様々な苦悩がある。
人間として生きながら、この苦悩が苦悩ではなくなるような生き方が仏になるための道だろうと思う。
そのためには、自分というものに執着せずに、人々の幸せを心から願えるような人になることが大切なのだろうと思うのだが・・・・。
今は亡き、わが師(紀野一義先生)の教えです。 自誓 2022.1 自分自身を知るということ 良寛の漢詩の中に、「おのれの心を知れ」ということばが出てくる。
たとい万巻の書物を読破したところで、真の言葉一つわきまえていることに劣る
その真の言葉とはなにか、ありのままにおのれの心を知れということだ。
デルフォイのアポロンの宮殿の奥に掲げられている、秘密の格言は、「汝自身を知れ」だ。
明治時代の浄土真宗の僧であり哲学者であり教育者であった清沢満之は、浄土三部経の中にある「自当知」(みずからを知れ)という言葉に出会い、以後、自分自身を知ることに一生をかけた人である。
その弟子の暁烏敏も自当知、(自分自身を知ること)(自分の心を知ること)に全力を尽くした人である。
私も最近、自分の心を見つめることが多くなった。
いかに自分をいつわっていることが多いことか。
いかに臆病者になっていることが多いことか。
もっと、勇気をもって、美しく生きることができないものか。
やはり一人、静かに自分のことを思うと、つくづく、自分が自分自身を見失い、嘘にまみれた、臆病な生き方をしてしまっていることが見えてきて、最近は、一生懸命、自分を励ましています。
何を恐れる、勇気をもって、やりたいことはやろう。
でも一歩間違えると、狂気の世界。
やはり大切なのは、大勢の人々の幸せを願う心です。
そのうえで、自分に正直に勇気をもって生きていきたい。
自分の本当の心をじっくり見つめたい。
そして、この心を美しい心に鍛えたい。
一人静かに、自分の心をながめて見ることは、大切なことのようです。
今は亡き、わが師(紀野一義先生)の教えです。 自誓
心が不安や苦しみを作る 2021.12.23
明日はクリスマスイブ。
幼いころ、田舎の実家には丸くて細い煙突しかなかったので、あの煙突にどうやって入るのだろうかと心配したこともあります。
そして、トナカイに引かれてサンタクロースが夜空を駆け巡っている姿がありありと見えたものです。
そうした美しい世界が、少しずつ壊れて、人間世界のドロドロとした恐怖の世界を創造して、不安におののいている人も多いことでしょう。
「火の車、作る大工はなけれども、己が作りて、己が乗りゆく」
人間は色んな心配をしますが、少しものの見方をかえれば、まるで違った世界が開けるものです。
わが師紀野一義先生は、著名な仏教学者でもあり仏教伝道者でもありましたが、身長183cm。広島の旧制中学時代は不良でもあったようです。命が惜しいような奴は喧嘩する資格がないなどとおっしゃったこともありますから相当なものです。
戦争中も戦後も命しらずの蛮勇がいくつもあります。
そんな先生も50才を過ぎて、ようやく二人のお子様がおできになった。
先生が60才近くになると、友人達が病気でどんどん亡くなっていく。
中には、戦争中からの友人で先生以上に屈強な男が、癌であっというまに死んでいく。
さすがに先生も年末年始にかけて胃の調子が悪くなり、おかゆしか食べれなくなり、ひょとして癌かもしれないと思い、年があけてすぐにかかりつけの医者に電話をしたそうです。
医者も普段屈強な先生を知っているものですから、びっくりして、すぐにレントゲンをとりますから来てくださいと言ったそうです。
先生の周りの友達が癌で死んでいくものですから、胃癌かもしれない。死ぬかもしれないとの思いが起きたのですね。
残される紀野先生の妻や子供、その他、先生が面倒を見ている人々のことを思うと無意識のうちに不安に取りつかれていたようです。
大学での午前中の講義が終わり、かかりつけの病院に行く車を運転しながら、あれやこれや考えたそうですが、ふと、考えが変わって「女房も修羅場をくぐってきた女だから、私が死んでも何とか生きていくだろう。子供も親がいなくても育っている子供が大勢いるんだから大丈夫だろう・・・。」といううふうに思い出したら、急に胃の痛みが取れてきたのだそうです。
その病院に着く、10分程度の間のできごとです。
病院に着くと、かかりつけの先生が飛び出して来たのですが、あまりにも紀野先生が元気そうなので
「紀野先生、どこが悪いのですか」と聞いたそうです。
「どこも悪くない、さっきなおった」
と言ったので、大笑いになったそうです。
念のため、レントゲンもとり診察もしたそうですが、まったく異常がなかったそうです。
紀野先生のような、強くて立派な方でも、ふとしたことで不安になることはあるようです。
私も、しょっちゅう不安や寂しさを感じます。
でも見ていると、私以上に不安や苦しみを抱えている人が多い。
一番の原因は執着することにあると思います。
あるお寺の額に「水の流れのように」と書いてありました。
キリスト教では「すべてを受け入れなさい」とも言います。
心の持ち方一つで、地獄にもなり極楽にもなるのではないでしょうか。
仏教は、この心のもちかたを確かに伝えています。
月食と龐居士と霊照 2021.11.19今は亡き、わが師(紀野一義先生)の教えです。 自誓 龐居士(ほうこじ)は、大金持ちでありながら災いの元もとだといって金銀財宝を海中に捨て去り、在家のまま禅門に入った人である。
龐居士は死期を悟ったのか、月食の夜に死ぬことを決めていた。 その月食の夜を迎え、娘の霊照(りんしょう)が「お父さん、月食がはじまったよ」と龐居士に伝えたので、龐居士は家の外に出た。娘の霊照は、それを見届けると、家の中に入り、あっという間に、首を吊って死んでしまったという。 龐居士は、その日死ぬのをやめて、娘の死を一週間弔ったのちに死んだという。 龐居士と霊照については、何度か、このブログにも書いたが、妙な縁を感じてしまう。 それというのも、二日前、私は、かなり酒に酔っぱらって、電車を乗り違え、いつの間にか最終電車の最終駅で一人ふらふらと階段を上り、ついには転倒して、ばったりと階段に這いつくばってしまった。 誰もいない人気のない階段で、一人起き上がり、またふらりふらりとタクシーを探して歩いたのだった。 酒に酔って、転倒したのは、22才の時以来である。 今、もう一度、青春のあの日々を思いだす。 そして、もう一つ思い出すのが、朝比奈宗源老師の臨済録の一遍である。 龐居士が転んだ。 娘の霊照も自ら転んだ。 そして龐居士の顔を見てにっこり笑った。 そして、月食の日である、本日を迎えた。 午後5時過ぎから午後8時前まで月食が見れそうだ。 久しぶりに、月食を眺めてみようかと思う。 私は、一人転び、一人起き上がった。
この大都会にいながら、誰一人いない。 でも、いつか、きっと、私と、また一緒に歩き始める人も現れることもあるさ、と思う。 今は亡き、わが師(紀野一義先生)の教えです。
いかに生きていけばよいのか、わからなくなったときのよりどころとしています。 自誓
一、心ひろびろと、さわやかに生きん。 一、真実をもとめてひとすじに生きん。 一、おおぜいの人々の幸せのために生きん。 あと5年で70代に突入する。この70代を自分の人生の集大成として光輝くものにしたいと思っている。
たまたまお会いした70代の人に、それは、おそらくこの人は昔、小説など書いていた人なのだなと感じる人だったが、70代80代90代の人間の生活、心のありようなど誰か小説を書かないだろうかと話したことがある。
作家の老後の作品では書けない、庶民として生きた人間の老後とはどんなものなのか。
普通の人間が、老後をどう生きるのか、どう生きればいいのか。
普通の人間の老後の生活に、美しさや、ロマンはあるのか。
文学の世界も、もう一度、人間いかに生きるかということを追究しなければならない。
かつての文学は、ちゃんと、そういう作品があった。
そのためにも、老後、老人とはいかなるものなのか、たんたんと一遍の小説を書き上げてほしい。
そんな話しをしていたら、
「昨日のことが思い出せなくてね」
「この前、ふと昔行った公園に立ち寄ったら、その2キロよぶんに歩いたことで、足がガタガタ。帰りの電車の中でダウンしちゃった」
「肺に影があって、今度精密検査ですよ」
やれやれ、現実はこんなものです。
しかし、高齢者が、頑張らなくて、誰が頑張りますか。
高齢者でなければ、わからないことや、高齢者でなければできないことも、多くあります。
さあ、黄金の老後に向かってがんばりましょう。
良寛さんは、73才でなくなるまで自分の詩を残していらっしゃる。
69才で29才の貞心尼に会い、師と弟子というだけではない恋心のような歌も残していらっしゃる。
我が師、紀野一義先生は、「黄金の70代」ということで、確かに大活躍された。
おそらく先生の悟りのような世界は、この70代で語りつくされたのだと思う。
私たち庶民に、仏法というものを、できる限りわかりやすく伝えようと務められた。
おかげで私は、何十年勉強してもわからかったであろうことまで、教えていただいた。
今なお、益々、先生の著書には驚き、日々発見することが多い。
真実で書かれた書物は、そのようなものだと思う。
残念ながら、先生の悟りの世界は私にはまだまだわからない。
ただ先生は「肯定」することを強調された。
「肯定、肯定、絶対肯定。何があっても、アア、ええなあ。アア、ええなあと言わなければ駄目だ」とおっしゃたことがある。
どんなに立派に生きた、何々を成したといっても、所詮、人間のやったことはたいしたことなない。違いはない。
迷っても悟っても、何をしようが何をすまいが、仏のいのちの中で生きているだけ。
死ぬということは、仏のいのちの中に帰っていくということ。
私たちは、仏のいのちから生まれ、仏のいのちに帰っていく。
それでは、どう生きるのがよいのか。
真実を求めて生きていきなさい。
仏をうやまいなさい。
おおぜいの人々の幸せを願って生きなさい。
美しく生きなさい。
先生はそうおっしゃっていたのだと思う。
今は亡き、わが師(紀野一義先生)の教えです。 自誓 2021.9 我が家の観音様 2011年の夏、新宿区四谷にある「宇宙村」という、主に隕石を販売している骨董屋でピンクの大理石でできた仏像を購入した。
この骨董屋の店主は、少年時代にソ連のガガーリン大佐とも会ったことがあるという、もとは宇宙少年である。
マスコミに登場することもよくあるので、ご存じの方もあるかもしれない。
大阪の美術館にあったという、その仏像が妙に気に入って、値段を聞くと、「現金〇万円なら、売ってあげるよ」とのことであった。
たまたま財布にその現金があって、数日のうちには、我が家においでいただくことになった。
それからは、不思議と一人身の寂しさのようなものがなくなり、ひょっとすると、この仏像に守られているのかもしれないと思う。
なんの仏像なのか、はっきりしないが、右手に葉っぱのようなものを握っていらっしゃるので拈華微笑のお釈迦様かもしれないと思ってみたりもするのだが、お顔があまりにもお若いので、観音様ということにしている。
それも遊戯三昧の観音様で、この世を自由自在に楽しんでいらっしゃる観音様だ。
私にとっては、理想的な「南無観世音菩薩」である。
お釈迦様のように悟りを開いたり、禁欲的な生活は、私にはできない。
衆生である皆様にもできない。
できるのは、ただ人間として悩み苦しみ喜び感動することだ。
どんな苦しみも悩みも永遠に続くことはない。
いずれは忘れさるか、次の喜びにかき消されてしまう。
どんな苦しみも。心の持ち方一つで、なんとかなる。
お釈迦様がしつこく「執着するな」とおっしゃっている。
いやなこともいいこともきれいさっぱり忘れることです。
いいことだけ覚えておこうというのは駄目ですね。
最近の私を見ていると、関心するほど、きれいさっぱり忘れて、昨日、会って親しく話した人の顔を、翌日にはきれいさっぱり忘れている。
相手にすれば、不愉快だろうが、お許し願いたい。
ひょっとすると認知症になっただけかもしれないが、そうでもないように思う。
小学校3年生のころ、ずいぶんと精神的に追い詰められ、自殺について考えたことがある。
この頃は、夢中で本を読んだ。
童話や伝記、その他の児童文学の中では、苦しみ悲しみの中で生き、立派に成長できる姿が鮮明に描かれている。
あの頃も、もの忘れがひどくて、忘れ物が多くて、先生にずいぶん叱られたものだ。
先生にお願いして、忘れものをしないように手にマジックで書いてくださいと、お願いしたことがあるほどだ。
お天気やさんとも言われたこともある。
しょんぼりしていたかと思えば、いつのまにやらニコニコ。
自分なりに忘れ去ることを身に着けたのでしょうね。
親子の関係ほど、喜びであり苦しみでもある関係はないように思います。
この恩愛についても、お釈迦様は断ち切りなさいとおっしゃっています。
本来、親子、夫婦、肉親の情も断ち切っていいものなのです。
おそらく断ち切ることはできないでしょうが、断ち切るべきものだということは知っておく必要があるのではないでしょうか。
ところで我が家の観音様は、玄関に鎮座されており、この10年、毎日、お会いしているのだが、最近は手を合わせて拝むこともなく、その存在すらも、忘れてしまうような有様だ。
こんな私でも、おそらくは、暖かく見守っていてくださるのだと思う。
ちょっと、恥ずかしいようなこともあるが、ありがたいことではある。
私に限らず、皆、誰しも、仏様に見守られているのだと思う。
諸仏は、どこにでもいらっしゃる
野でも山でも、台所でも座敷でも。
だからそこに塔をたてよという。
その場所は、かつて諸仏が修業された場所であり、今も修業なさっている場所なのだ。
私も仏を感じているのかいないのか、どうしようもない寂しさはなくなった。
生きている限り、喜びも悲しみ、それなりにいいものだ。
![]() kannon.gif (500×375) (smile-stone.com) 我が家の観音様 今は亡き、わが師(紀野一義先生)の教えです。 自誓 2021.8 迷っても悟っても仏のいのちの中
7月12日に紀野先生の墓参りに行った。
紀野先生の奥様、安禅寺の奥様、阿多さんと私の4名である。
去年まで一緒だった杉本さんは、脊椎狭窄症の術後がよくなく、金沢の実家で療養中だ。
私も、網膜剥離の手術がうまくいかなくて、3度入退院を繰り返した。
何とか、眼鏡もかけず普通に仕事もこなしているが、何となく失明するかもしれないとも思った。
それでも、それなりに命あるかぎり、生きていくしかないと思っていた。
はた目には、元気にやっているが、いろいろと思いふさぎこみたくなるようなことがある。
4人で食事しながら杉本さんに電話したが、電話がつながらない。
紀野先生の奥様が「濱田さんが亡くなったのをご存じ?」と、私に耳打ちされた。
濱田さんには、紀野先生の七回忌以来、会っていない。
紀野先生と二人雑談していたとき「男は濱田みたい男が一番いい」と、私におっしゃってニコリとされた。
それ以来、私は、濱田さんとは親しくおつきあいしたいと思っていたのだが・・・。
先生が泣くなられてからは、会う機会は、ほとんどなくなった。
どうやら濱田さんは、脳梗塞で今年の三月に亡くなったということが、Facebookの書き込みでわかった。
しばらくすると、警察官時代仲の良かった佐藤さんが心筋梗塞で倒れたという知らせがLineで入った。
奇跡的に回復したとの追伸があったが、その後、なんの知らせもない。
8月に入ると、実家の近所に住む姉が、私の幼馴染の長男が癌で亡くなっったと伝えてきた。
亡くなったのは、ずいぶん前のことで、そういえば今年の3月下旬にFacebookで「息子の形見の自転車を磨いた。春になったら、この自転車でサイクリングに行こう」と書いていたのだが、息子が遠方に住んでいるのかと思っていた。
今、思えば、雪が降りしきる故郷の写真を掲載していたが、寂しくてつらくてしようがなかったのではと思うと、私の心も痛い。
何だか、私の心もふさいでしまいそうだ。
私自身は、死ぬときは死ぬのがいい。
命ある限り、それなりに生きていく、と、思っている。
小学5年生のときに仲のよかった女の子が脳腫瘍で亡くなったときには、私の様々な不幸も含めて、仏壇の中の阿弥陀如来の仏像の頭を叩いてみた。
本当に、神や仏様を恨みたくもなる。
幼くして若くして死んでいくものは、仏様からの使い、如来使だと、紀野先生がおっしゃたことがある。
何となく納得したものだ。
仏教については、人並以上に勉強もし、いまだにああでもないこうでもないと思っているが、仏様がちゃんと、この世にもあの世にもいらっしゃって、ちゃんと見守っていてくださるのではないかと思う。
仏の心は、愛とか慈悲に満ち溢れているから、死んでも大丈夫だと思う。
しかし、それが本当にそうだとわかってしまうと、みんなこんな世の中にはいたくもなくなるだろうから、死は恐れ悲しんだ方がよろしいのかもしれない。
先生が、私が持参していた「良寛詩集」に「迷っても悟っても仏のいのちのなか 死んだらまた会おうな」と書いてくださったことがある。
人間何をなそうがなすまいが、そこに違いはない。仏を信じ、仏様におまかせする生き方が大切なのではないかと思う。
おそらく仏というものを、しっかりと感じとれるようになったら、大らかな安心、自由な心、生きる喜びがわいてくるのではないだろうか。
今は亡き、わが師(紀野一義先生)の教えです。 自誓 2021.7 生老病死について(生まれる苦しみ)
人間の大きな苦しみの最大の四つの苦しみが「生老病死」です。 生まれる苦しみ。
老いる苦しみ。
病気になる苦しみ。
死ぬ苦しみ。
老病死の三つは、誰にでもわかります。
しかし、生まれる苦しみは、ピンときませんね。
生む苦しみは、女性ならよくわかるでしょう。
生まれる苦しみは、記憶のない赤ちゃんだったから、誰も覚えていないということでしょうか。
それは、おそらくは、生まれる前は、ほとんどの人は、極楽浄土で生活をしており、その幸せな世界から「人間世界に生まれる」ことになり、その人間世界に生まれるということが非情な苦しみと恐怖だということではないかと思うのです。
もっとも人間世界とはいっても、人間に生まれ変わるのか、牛や馬、魚や虫なのか、草花なのかは定かではありません。
まあ、人間に生まれ変わったということは、ありがたいことなのかもしれません。
逆に、どうしようもないから、人間として苦しみ、少しは悟れということかもしれません。
仏教では、輪廻転生することを、今生でお終いにすることを強くすすめます。
生まれ変わることのないようにしなさいということです。
それは、今生で悟りのようなものを得ないといけないということでもあるようです。
死ねば、皆、極楽浄土で末永く幸せいっぱいというわけにはいかないのではないでしょうか。
いずれの生においてか、きちんと生きて、生きながら仏にならなければならないのかもしれません。
娑婆(しゃば)即(そく)寂光土(極楽浄土)といいます。
悟れば、この世は、そのまま、極楽浄土になるようです。
人間誰にも仏性がある、人間は本来、仏であるといいます。
心の奥の奥に、この仏性があり、こんな話しもどこか気になるのでは「ないでしょうか。
今は亡き、わが師(紀野一義先生)の教えです。 自誓
2021.6 「あかかやあかかや月」 あかあかやあかあかあかやあかあかや あかあかあかやあかあかや月・・・・これは、明恵上人の和歌です。あかあかというのは、明るいという意味で、明るい明るい明るい明るい明るい月、という解釈になるようです。確かに、夜が、真昼のような月明かりの夜があるものです。 何度か、そんな夜を過ごしたようにも思います。
最初、このあかあかを、赤い赤いという意味だと思い、真っ赤な夕焼けの中に浮かぶ月を思い浮かべたものでした。それはそれで美しい情景です。
詩の正確な解釈など、本当はどうでもいいのではないでしょうか。
その作品に、何かを触発されたり、感動を覚えれば、十分だと思います。
この和歌は、非常にシンプル単純明解で、時代の古さなどぜんぜん感じないです。
鎌倉時代のお坊様の和歌です。
明恵上人は、お釈迦様が大好きで、この身の一部をお釈迦様に差し上げたいと、片耳を切り落としました。
和歌山の海の近くの山中に住んでいたときには、山から眺める、島に恋をし、島に恋文を送ったことがあります。
島は、お釈迦様のお生まれになった天竺(インド)を流れる水が、巡り巡って、その島にも流れついています。銀色に輝く海、真っ赤な夕陽に染まる海、その海に浮かぶ島。
あまりの恋しさに、舟を出して、島に渡り、桜の木の下で楽しいひと時も過ごされたこともありました。
島で拾った、小石を終生大切にされ「もし私が死んで、誰もお前をかえりみないならば、飛んであの島に帰るがいいだろう」というような和歌も残しています。
松の木の上で座禅をしていらっしゃる絵が残されて、妙に、その絵が印象的です。
人間に恋しても、その恋はひと時のものです。
仏様や観音菩薩のような方に恋すれば、その恋は永遠に続くでしょう。
とはいえ、人間は、人間に恋するものです。
それが、たとえ、永遠ではなく、苦しみを伴うものであるにせよ、人は人に恋をします。
人を恋するとき、別れを恐れてはいけません。
勇気と忍耐をもって愛します。
そして別れるときは、水のごとくさらさらと、すべてを洗い流していきます。
いつの時代も愛すること恋することは、すならしいと思います。
ただし、執着するなよ、ということでしょうか。
今は亡き、わが師(紀野一義先生)の教えです。 自誓 2021.5 スマイル仏壇の営業再開のお知らせ インターネット販売の責任者である私、野田が網膜剥離の再手術のため、一時休業していましたが、5/8(土)から、通常営業いたします。
休業のお知らせをしたところ、10名ほどの方から、励ましのメールをいただき、ありがとうございました。
やはり嬉しく拝読させていただきました。
思えば、この世とおさらばしてもいいかなと、記念に20才で詩集を自費出版しましたが、その詩集を読みかえしても「ゆるぎない真実を求めている」とか「世界中の人々を幸せにしたい」とか書いています。
4月23日に65才の誕生日を迎えましたが、この入院中にあらためて、その思いについて考えてみました。
釈迦如来の悟りの目的は、何であったのか。意外とはっきりしていませんが、すべての人々を救うということであったと思います。
それができないならば、悟らないという誓願のもと、悟りを開かれたのだから、その時点で、人類は、いや、草木も含めすべてが救われているのではないか。
これは、20代30代のころの、私の漠然とした思いです。
わかりやすいのは、観無量寿経に書かれている阿弥陀如来の誓願で「私の名前を呼ぶものは、すべて救ってあげる」という。
ただし、親を殺すようなものは、お坊様を殺すようなものは除く・・・と、ただし書きはある。
法華経等に書かれている釈迦如来の誓願の場合には、このただし書きはないのではないかと思う。
釈迦如来は、そんなこと言っていないという方もいるだろうと思うが、般若心経に書かれているように過去現在未来の悟りを開かれた如来の中には、間違いなく、生きとし生きるすべてのものを救いたいという誓願をたてた上でで悟りを開かれた如来(仏)は、必ずいらっしゃると思う。
すでに私たちは救われているのだが、そのことがわからない。ということらしいのである。
つい最近まで生きていらしたインドの聖者、ニサルガッタ・マハラジは、世界平和を訴える若者の質問にこたえて「君は一人でも、本当に幸せにしたことがあるであろうか」と言っている。
確かに、私たちは一人の人間でも、自分の力だけでは幸せにすることはできない。
それでも、おおぜいの人々の幸せを願うことは大切だ。
人生を美しく生きる。愛にあふれた人生を生きる。優しさ、慈しみあふれた人生を生きる。
誰か、本気で人を愛しているうちは、人生はバラ色だ。
子供みたいなことを、言っているようだが、愛するものがあるうちは、幸せだ。
何となく、人間の醜さばかり目に付くと、人生つまらないですね。
もっともっと愛し愛される人間の存在も、とても大切かもしれない。
今は亡き、わが師(紀野一義先生)の教えです。
いかに生きていけばよいのか、わからなくなったときのよりどころとしています。 自誓
一、心ひろびろと、さわやかに生きん。 一、真実をもとめてひとすじに生きん。 一、おおぜいの人々の幸せのために生きん。 2021.4 一時休業について 4月1日に、私(野田)は、網膜剥離の手術をし、4月9日には退院したのですが、4月15日の検査で、また別な部位で網膜剥離が起きていることが判明しました。
おそれいりますが、4/16~5/6まで、自社サイト(http://www.smile-stone.com)とヤフーショッピイングスマイル仏壇 (https://store.shopping.yahoo.co.jp/smile-stone/)は休業とさせていただきます。
下記の楽天市場は、営業していますので、お急ぎの方はご利用ください。
担当部署が違いますので、販売価格等は異なります。
4月23日が65歳の誕生日で、これから黄金の70代に向かって、突き進む予定なのですが、いやはや、右目が失明するかも知れず、それでも、すべて受けいれる覚悟です。
まだ親と子供を養っている身ですから、しばらくは、ふんばります。
そして、私の一番大切な「人はいかに生きるのかをつきつめたい」「おおぜいの人々を幸せにしたい」という願望を、何とか成就したいと思います。
私も、我が師を始め、立派な方々の生きざまを見たり聞いたり読んだりしてきました。
どんなに立派なお方でも、病気になれば、それなりに悩むし不愉快な思いはあります。
ただ、そこにとどまらない。
自分なりにふんぎりをつける。
病気や災難も、避けがたいところがありますから、やはり受け入れるしかなく、そして、明るく元気良く生きていくしかないですね。
できることを、きちんちとやって、できないことはできないので仕様がないですね。
できる範囲内で、できる限り、明るく元気よく頑張るしかないですね。
今、大変な思いをしていらっしゃる方もいらっしゃいますよね。
お互い頑張りましょうね。
今は亡き、わが師(紀野一義先生)の教えです。 自誓
021.3 執着しないことの大切さ 今は亡き、わが師(紀野一義先生)の教えです。 自誓
2021.2 真理と真実 先月掲載の「コロナとお坊さん」については、めずらしく数通のお礼や感想、励ましのメールをいただきました。
どうもありがとうございました。
直接、返信メールでお礼を伝えてたいとも思いましたが、この場をかりてお礼を申し上げます。
少しでも、私のメールがお役にたつこともあればと、毎月、ああでもないこうでもないと、あれこれ考えてメールを書いています。
一人の人でも、私のメールを読んで、良かったなと思えていただけたら、それで良いのです。
不愉快な思いをしたり、心を傷つけられる方もいらっしゃるようですが、その場合は、ご連絡いただければメールを停止させていただいています。
私は、毎月のメールの最後に、紀野一義先生の教えとして三つの自誓を掲載しています。
その二番目が正しくは「真実を求めてひとすじに生きん」です。
いつのまにか「真理を求めてひとすじに生きん」と記載していることがあるようです。
たいした違いはないようですが、訂正しておきます。
真理では、理論のようで、少しニュアンスが違います。
真実は、理論ではないですね。
真宗高田派の村田和上について、このブログでも何度か取り上げていますが、この村田和上という方は、浄土真宗のお寺に生まれながら、浄土真宗が嫌で、天台宗のお寺で修業をしたという方です。
天台宗真盛派の管長にもなられたお方のもとで修業されたのですが、やはり、すっきりしないどころか、大地がぐらぐらゆれて立っておれないぐらい迷い、やはり精神を病んでもいらしたようです。
そんな時、浄土真宗西本願寺派の七里和上の噂をお聞きになり、九州博多まで会いに行かれた。
それで初めて、南無阿弥陀仏の信心ということがわかり始めた。
七里和上という人物に会い、初めて念仏の信心がわかりはじめた。
足掛け3年、三重と九州を行ったり来たり、それは、七里和上に会いたくてしようがないから会いにいくという。
そして、念仏の信心というものがすっかりわかり、揺れ動いていた心がぴたりとおさまりました。
ひどく迷っていたものが、信心決定、悟りのようなものを獲得したのですから、その体験が、念仏がよくわからない一般の信者には、とても心うつものがあったようです。
この村田和上が七里和上にあったのが、村田和上が30歳過ぎ、七里和上が60歳過ぎでしょうか。
そして、紀野先生が師と慕う臨済宗円覚寺派の管長である朝比奈宗源老師が、村田和上にあったのが、朝比奈老師が30歳過ぎのころ、村田和上が60歳過ぎのころ。
人生というのは、不思議ですね。
妙好人として有名な島根県の温泉津に浅原才一という人がいるのですが、なんと若いころ九州の博多に住んでいて、七里和上のもとで念仏を学んでいる。
浅原才一と村田和上は、どうやら同じ年代を生きていたようです。
七里和上の感化する、教化する力はすばらしいものがあったようです。
紀野先生にも、七里和上のような人を感化する力がありました。
現在も紀野先生を我師とあおぐ人の中に、宗派の管長さんや管長クラスの人たちがいらっしゃいます。
紀野先生は、宗派にかかわりなく仏教をわかりやすく広められました。
紀野先生のそばにいると、仏様はいらっしゃるのだと感じることができました。
これは理屈抜きです。
ある時紀野先生に、本にサインをしていただきました。
「迷っても悟っても、仏のいのちの中。
死んだらまた会おうな。」
どうやら、死んでも、それで終わりではないようです。
仏というものを、または仏のような存在をどのように感じるか、信仰するか、とらえていくのかは、それぞれ、その宗教、宗派、指導者たちによって異なるのだと思います。
朝比奈宗源老師は「キリスト教もイスラム教も、仏教の一つだよ」と、おっしゃったことがおありのようです。
できる限り、良き師とのめぐりあいがあることを、お祈りします。
あせることはない、じっくりとその時期を待ち、真実をもとめてひとすじに生きていきたいものです。
正しい師は、生きることの喜びを教えてくれるそうです。
自然と生きる喜びがわいてくるような、そんな教え、出会いがほしいものです。
今は亡き、わが師(紀野一義先生)の教えです。 自誓 2021.1 コロナとお坊さん お客様のお話では、つい先日お母さまとお父様が1週間違いで亡くなったのことだった。
あとから亡くなったお父様はコロナで亡くなったのだが、戒名がなかなかもらえなかったとのことだ。
通常は、葬儀に間に合うように戒名を授与するのだが、 お坊様がいうには、葬式が終わらないと戒名がつけられないとか・・・・・。 いったいどいうことなのでしょうかと、お客様に聞かれて、私も、なんと答えていいのやら、「何か事情があったのでしょうね」と言って言葉を濁してしまった。
推測だが、コロナで亡くなったから、その亡くなった方や家族の方に近づくことを恐れて、戒名授与が遅れたのかもしれないと思った。
電話やFAX、メールでやりとりすれば、戒名授与はできたはずであるのだが・・・・。
話しによれば何代にもわたって、檀家としておつきあいのあるお寺である。
本来なら、亡くなった方のために枕経をあげたり、お通夜や葬儀にも参列いただかなければならない。
コロナだから、親族でもなくなった方に会うことはできないのは、承知している。
親族でも火葬した遺骨で死後初めて対面することになる。
でも、戒名を授与することは、問題なくできたはずである。
おそらくコロナで亡くなったと聞いて、そのお坊様は狼狽なさったのではないかと思ってしまう。
たまたま、このようなことが起きたということであろうか。
私の実家の旦那寺は、小さな貧しいお寺である。
たまに住職とは、お話しをするこがあった。
私が、中学生の頃だったであろうか、その住職が「県堺を超えたところに山深い村があるのだが、その村の檀家さんがらい病(ハンセン病)になった。
その家で葬儀が出た。親父は、わしが行かなくて、誰が行くと言って、半日以上かけて山を越え峠を越えて行きました」
ハンセン病といえば、当時は忌み嫌われた病気だったようです。
やはり、ハンセン病の患者の家には、お坊様でも行かない方がいたのではないでしょうか。
私の近所には、それなりに大きなお寺が多くありますが、これは私の小さな旦那寺を誇りに思うようになったきっかけのお話しです。
ちょうどその頃、尊敬もっし親しかった学校教師が、田舎づきあいで酒を酌み交わして返盃で、人の盃で酒を飲まなければならないのが嫌だと言っていました。
梅毒がうつるかもしれないし、汚くて嫌だというのです。
誰だって、病気に感染するかもしれないのは嫌なのはわかります。
普段は教師として、平等と平和と愛の権化のような、まあ、私の勝手な思い込みですが、尊敬し慕っていた教師ですが、やはりどこかすれ違うところがありました。
私は、あまり気にしたくないな。。
そういうう私のような人間のそばには正直近寄りたくないと思う人も多いでしょう。
もっとも、そんな私の内面は、誰も知りませんから、普通にやっています。
(実際にはマスクもつけているし手洗いも消毒もうがいも人並みにやっていますよ。)
我師(紀野一義先生)も、戦後復員して岡山県津山市で過ごしたときに、肺結核の親友二人、
一人は共産党員のミズシマシンジ、一人はクリスチャンで国文学の研究者であったミズタショウジロウ、その二人が肺結核で亡くなるまで何らかわることなく過ごされた。
ミズシマシンジ氏が、東京から津山に帰ってきた紀野先生を津山駅で出迎え、嬉しくてしようがないといった満面の笑みを浮かべている姿。
ミズタショウジロウ氏が、病室で研究論文を代筆してくれる紀野先生に「すまんなあ、すまんなあ」と何度となくあやまっている姿。
私は見ていたわけでもないのに、鮮明に思い出す。
色んな、出来事、ドラマがあるようです。 生き方は、人それぞれです。
どれがいいの悪いのはないと思います。
健康と衛生には十分注意しながらも、おおらかに生きていきたいものです。
今は亡き、わが師(紀野一義先生)の教えです。 自誓
今年をふりかえっても、すべての過去をふりかえっても、ほんの少し精神的に成長したかもしれない程度である。 真実、真理をもとめてきた自覚は人一倍あったようには思うが、なんとも情けない状態である。 最近「仏陀のことば」(スッタ・ニパータ)中村元訳を読みかえしているのだが、悟りというか、清らかな心というか、安心の心というか、そのようなものを得るためには、学問や思想や哲学や宗教によってはならない。戒律も教義にもこだわってはならないようだ。 あるがままを見るような、まったくこだわりや執着のないような、状態が必要のようだ。 仏陀の教えには、非常に多くの戒律があったように思うが、仏陀は何ものにもとらわれない心を非常に大切にされたようである。 読めば読むほど、そうなのかと思うが、なんと表現していいのかわからない。 ただ、般若心経に書かれているように、過去現在未来の如来(仏)が、衆生(すべての人々)を救うために、このうえない悟りを開かれたということは、何となくわかるような気がするのである。 だから、衆生は悟らなくても、安心しなさい・・・、といっても、安心などできるわけがなく、多くの人々は、不安と悲しみ恐怖におそわれてしまうのだが・・・。 それを何とかしたいというのが多くの仏の願いだったのではないか。 それなのに、どうも、この世の中、救われているようには見えないのだが・・・。 諸法実相、本来、いいも悪いもないので、ただそれを思うのは人それぞれ個人の思いだから、苦しみも悲しみも、不安も、結局は個人の勝手な思い込みにすぎない。 いつまでも、こんなところで、どうどうめぐりをしていても、しようがない。 老いてくれば、そろそろお迎えも近いのだから、すっきり生きればいいようなものだが、すっきりした年寄りにあまりお目にかかれない。 先日たまたま仕事の関係で電話した年配の男性は、いきなり「野田さーん。野田さんなの」と、初対面なのに旧知の知り合いのような感じだったけれど、本当に会えばどんな人なのだろう。 私が、毎月書く、このブログを読んで、なるほどね、そんなこともあるよなと思ってくださっているのだと思う。 私もいまだに人生いかに生きていくのかがわからない。 でも私は、あまり歳を感じたことがない、いまだに子供のとき、少年のときとあまり変化していない。 最近、紀野先生の「生きるのが下手な人へ」という本が復刊されたが、その冒頭の一章のテーマは「人間いかに生きようが、何をなそうがなすまいが、たいした違いはない」ということであった。 山本周五郎の「虚空遍歴」という作品が紹介されているのだが、周五郎の座右の銘である「人間の価値は、何をなしたかではなく。何をなそうとしたかである」に対する紀野先生の山本周五郎へのメッセージでもある。山本周五郎は、紀野先生のメッセージを知り、是非紀野先生に会いたいという電話をなさったが、会う直前で病に倒れられてしまった。 お会いになっていれば、どうなっていたのだろうかと、残念でならない。 紀野先生の会には、これといった戒律とか規律はなかった。 何事にもとらわれていないような、真実をもとめ、仏をうやまい、おおぜいの人々の幸せを思う心があったのだと思う。 今は亡き、わが師(紀野一義先生)の教えです。 自誓
白隠禅師の座禅和讃は冒頭「衆生本来仏なり」(しゅじょうほんらいほとけなり)で始まる。
私たち人間は本来誰でも仏だというのである。
そのことに気付かず、多くの人間が苦しみあえいでいることがはかないことだという。
私の子供の頃にも人には皆誰にも仏性があるということを、どこかで聞いたことがある。
仏性があるのに、その人間がとんでもない悪事をはたらくのはどういうことなのか。
なぜ仏性があることが、わからないのか。
仏性があることがわかったら、どうなるというのか。
もしわかれば、すてきな心もちで、にこにこ日々を過ごすのではないかと思うが、でも毎日にこにこしているようでは、なんとつまらない人生ではないか。
誰でもが、極楽浄土や、天国に生まれたいと願うが、私は、少し違う。
もし極楽浄土で長く生活したら、それはそれは退屈でしかたないのではないだろうか。
疲れた時、しばし、極楽浄土で休憩ということなら、これほどありがたいことはない。
そうして、また、人間界にもどってきて、ああでもないこうでもないと、のたうちまわりながら、こんな汚れきった世界で美しく生きることの喜びをかみしめたい。
この醜い世界で美しく生きることは非常に難しいから、美しい心をもった人間に出会える喜びはひとしおだ。
山本空外先生の言葉であったと思うが「一一各各性」(いちいちかくかくせい)というのがある。
この言葉は、一つの個性と個性が、その個性の繊毛の先と先が触れ合って、電気がぴりぴりと流れるような人との出会いがすばらしいということだった。
そのためには個性がなければ、駄目である。
いつも人まねばかりして、人目を気にしてばかりの生き方では、ちゃんとした個性は芽生えない。
やはりいくつもの苦難をのりこえ、それでもかわらないような不変の心のようなもの。
そういった不変の心とか個性を持った人間と人間が出会い、心と心がふれあい、しびれるような出会いがほしいものだ。
やはり人間世界の方が、おもしろいに違いない。
せっかく、このどうしようもない、どろどろとした人間の中で、しっかりと生きて、一輪の花をさかすことができたら、どんなに素敵だろう。
そのためには、お釈迦様がしつこく言われたように執着をなくすことだ。
家、親、子供、兄弟姉妹、妻、夫、恋人、お金、名声、様々な欲望に執着しないことだ。
欲は起きてあたりまえ、そこに執着しないことだ。
自分の命にも執着しない。
自殺しろと言っているのではない。自殺は色んなことに執着して行き詰まってしまうからなのだと思う。
執着しなくなれば、逆に自由な心が手に入る。
良寛さんのように乞食坊主の生活は執着がなく、良寛さん自身は自由でのびのびとした心でいらしたのではないかと思う。
そうして、良寛さんや執着をなくした人には悟りのようなものがおとづれるのではないだろうか。
私は、悟りとか極楽には、それほど興味はないが、真実をしりたいという思いは深い。
お釈迦様の最後の言葉の解釈も様々だと思うけれど、「心はうつろいやすい。その心をじっと見ていなさい」と紀野先生は解釈されたのだと思う。
また最近、この自分の心をじっと見るということが非常に大切なのではないかと思うようになったのである。
じっと自分の心を注意してみていると、何かが見えてくるのではないだろうか。
衆生本来仏なり。
そんなことも、そうなのかと思えるような日がくるのではないかと思うのである。
本当に、いかに生きていけばいいのか、わからないことだらけである。
とりあえず紀野先生の言葉を心に留めながら、生きるだけでも、十分である。
今は亡き、わが師(紀野一義先生)の教えです。 自誓
2020.10 紀野一義先生の「生きるのが下手な人へ」が復刊 昭和49年に光文社から出版されベストセラーになった「生きるのが下手な人へ」が文響社から復刊されました。 この本のベストセラーにより、詩人の相田みつお、坂村真民さんが広く知られるようになったことは特筆すべきことです。 この本に登場する多くの人は、当時はあまり知られていない人たちですが、不器用ながらも自分の人生を生き切った人たちです。 生きたくても病気で死んでいく人たちが多いのですが、その病によって、見えないものが見えるようになり、病に感謝するような生き方があります。 自ら死にたいという思いは多くの人にあろうかと思います。 生きていることと、死ぬことは、ちょとしたことで、どちらに転ぶかは、運命的かもしれません。 生きたくても、死ななければならない人が大勢います。 死にたくても死ねない人もいれば、事故や自殺であっけなく死んでいく人もいます。 私も、何度か死にたいと思う年月を過ごしたことがあります。 ひょとしたら死んでいたかもしれないと思うし、ちょとしたこと、どうでもいいようなことが心の支えになって生き続けています。 生きている以上生き抜かなければならないという、紀野先生のメッセージがあります。 どうせ死ぬ気なら、一度死んだつもりで、もう一度生きなおしてほしい。 いろんなしがらみも、どうせ死ねば切れるのだから、生きているうちにしがらみなど切ってしまえばいい。 完全に断ち切れなくても、少しはたちきれるでしょう。 「生きるのが下手な人へ」が「うんこ漢字ドリル」で有名な文響社から復刊 ※今月はパソコンの故障により、このメルマガの発行がかなり遅れました。また、メール配信停止の方のデータが一部回復できないまま送信することなります。 ご迷惑をおかけしますが、配信停止希望の方は、このメールに返信にて「配信停止」または「停止」とご記入ください。 今は亡き、わが師(紀野一義先生)の教えです。 いかに生きていけばよいのか、わからなくなったときのよりどころとしています。 自誓 一、心ひろびろと、さわやかに生きん。 一、真理をもとめてひとすじに生きん。 一、おおぜいの人々の幸せのために生きん。 2020.09 水色と石ころ
日の暮れた街々のてっぺんには なぜか水色の空がはてしなく広がっていた 僕はずっと向こうの星に きれいな娘が住んでいるかもしれないと思うと だんだんと 小さな点になり 石ころの中の原子のような気になった そして つつましく生きようと思った 何もかもが僕の心に生きている 僕はせせこましく飛躍することなどよして 心に感じるものだけを愛そう なぜか 石ころさえもが愛くるしいのだ
※確かこの詩は以前も取り上げたような気がする。僕にとっては、思い出深い詩なのです。
この言葉(詩?)を書いたのは、昭和50年のちょうど今自分の9月、少し秋らしくなりはじめたころのことだったように思う。 警察学校の寮の土曜日の夜の屋上で、一人夜空を見ていた。 わけあって3か月の追加処分で外出外泊禁止中のことだった。 土曜日の夜は、校内にも寮にも日直と寮当番以外は誰もいない、寮の屋上。 不思議に青く澄みわたった夜空をながめながら、遠い星の向こうに、美しい娘が住んでいるかもしれない、と思った瞬間、自分のどうしようもないちっぽけさを感じた。
最近別れた女性が、その娘ではなかったのかと、別れたあとになって、つくづくそう思い、世の中の無常、非情を思いもするのである。
何がおきようが、どう生きようが、人間の人生なんてたかがしれている。
何をなそうが、何もできなかろうが大きな宇宙から見れば、チリほどのこともない。
そのチリほどもない人生を、ああでもない、こうでもないと、日々、悶々と生きるバカらしさ。
自分のやりたいことは、しっかりやりなさいよ。
思いきりよく、生きなさいよ。
でも大切なのは、人々の幸せを願う気持ちですよ。
我師の、自省(自誓)の言葉を繰り返しながら、これでも、人目にはさわやかに生きています。
今は亡き、わが師(紀野一義先生)の教えです。
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今は亡き、わが師(紀野一義先生)の教えです。
いかに生きていけばよいのか、わからなくなったときのよりどころとしています。
自誓
一、心ひろびろと、さわやかに生きん。
一、真理をもとめてひとすじに生きん。
一、おおぜいの人々の幸せのために生きん。
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いかに生きていけばよいのか、わからなくなったときのよりどころとしています。
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一、心ひろびろと、さわやかに生きん。
一、真理をもとめてひとすじに生きん。
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いかに生きていけばよいのか、わからなくなったときのよりどころとしています。
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一、心ひろびろと、さわやかに生きん。
一、真理をもとめてひとすじに生きん。
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一、真理をもとめてひとすじに生きん。
一、おおぜいの人々の幸せのために生きん。
2019.2 野の花の風と陽光
今は亡き、わが師(紀野一義先生)の教えです。
いかに生きていけばよいのか、わからなくなったときのよりどころとしています。
自誓
一、心ひろびろと、さわやかに生きん。
一、真理をもとめてひとすじに生きん。
一、おおぜいの人々の幸せのために生きん。
今は亡き、わが師(紀野一義先生)の教えです。
いかに生きていけばよいのか、わからなくなったときのよりどころとしています。
自誓
一、心ひろびろと、さわやかに生きん。
一、真理をもとめてひとすじに生きん。
一、おおぜいの人々の幸せのために生きん。
2018.11 不思議な話し
私は、現在、メーカー直営の仏壇店のお手伝いもしています。
先日親子二人で来店されたお客様がありました。
開店時間前からお待ちだったので、めずらしいなと思っていました。
お話しもトントン拍子に進み、契約書にサインしてもらうときに、お客様が「私の名前は誰も読めない。もし読めたら昼ごはんをご馳走するよ」 とのことでした。
お名前は「豊運」。
確かに見たことのない名前です。
少し考えましたが、何となく「トヨカズ」と言いました。
娘さんとお父さんはきょとんとして、無表情なので、単純な名前を言ってしまったなと思っていましたが、少しの沈黙の後に「どうして読めたんだ。 あんたは、お坊さんか? 豊運という、この名前はお坊さんにつけてもらった名前で、人生80年、誰も、この名前を読めた人間はいない」とのことでした。
よくよくお話しを聞くと、葬式は互助会でやり、仏壇も互助会で購入する予定だったのですが、たまたま見たチラシで、私がいる仏壇店に行ってみようということなったそうです。
そのこと自体が予定外で、仏壇購入を即決したことも予定外、名前を言い当てられたことは想像を絶する思いだったようです。
娘さんもそんないきさつもよくご存じだったので、あいた口がふさがないというか、口をあけたままきょとんとしたままだったのです。
なんだか嬉しそう帰っていかれましたが、さらなるご縁があればおもしろいですね。
誰にも不思議な体験はあるのではないでしょうか。
我師が戦争中につり橋から自転車ごと落ちたけれど無傷だったという話しをされたことがありました。
実は私も、小学校6年生のときに自転車ごと川に転落して無傷だったことがあります。
落ちる瞬間からすぐに頭の中がくるくる回転してしばらく意識を無くしたのではないかと思いますが、弟の叫ぶ声が聞こえてきました。
自転車は前輪がくねくねに曲がり使いものにならなくなるほどだったのに、私はかすり傷一つもなかったのです。
周辺の川に自転車や車で転落した人はほとんど死んでいます。
私は、ひょとしたら、あの時に死んでしまっていて、別な次元を生きているのではないかと思うこともあります。
少し転んでも、かすり傷はできます。かすり傷一つもなかったということが、なおさら不思議なのです。
最近、あのときには、実の母が編んでくれたセーターを着ていたのではないかと思うことがあります。 実の母が編んでくれたとは知らず、私のお気に入りのセーターが一枚あったのです。
あの事故で確か着ていたセーターか上着は擦り切れていたと思います。 母の愛情が私を救ってくれたのかもしれません。
思い出は上手に思い出すことも大切だそうです。
この話をきっかけに、あなたはどんな不思議な話しを思い出すのでしょうか。
2018.10 水色と石ころ
日の暮れた街々のてっぺんには
なぜか水色の空がはてしなく広がっていた
僕はずっと向こうの星に
きれいな娘が住んでいるかもしれないと思うと
だんだんと 小さな点になり
石ころの中の原子のような気になった
そして つつましく生きようと思った
何もかもが僕の心に生きている
僕はせせこましく飛躍することなどよして
心に感じるものだけを愛そう
なぜか 石ころさえもが愛くるしいのだ
この詩のような短い散文は、昭和50年で私が19歳、初夏か初秋の頃書いたものではなかったかと思います。
私は、土曜日の夜、警察学校の生徒のほとんどが外泊許可をとり誰もいなくなった屋上の洗濯干場で夜空を眺めていました。
私の17才から22才くらいまでは、何となく死んでしまいたいような日々でした。
それでも生きたのは、時々、この詩のような思いがあったからだと思う。
(20歳のときに、いつ死ぬかもしれないので、記念にと詩集を1冊作りました。興味ある方はご覧ください)
何か美しいもの、その美しいもののためなら命も惜しくないようなもの。
そんなものにめぐり会いたい。
本当は、すぐそばにその美しいものがあるのかもしれないのに、たちまち、その美しさの中に醜いものを見てしまう。
おそらくは、相手が悪いのではなく、私自身の心が悪いのだと思う。
だから、自分の心を磨いていくことも大切だと思う。
「人生は美しく生きたくそうろう」たしか会津八一先生の言葉だと思う。
紀野先生は、尾骶骨に響くような話を聞きたいし話したいとおっしゃったこともある。
「人はぬくぬくするとろくなことはしない。人は追いつめられると龍が玉をはくようないい仕事をする。」
苦難というものは、一歩間違うと自分の命をたったり、どうしようもなく意地悪な人間を作ったりもするが、その反面何もかもよけいなものはそぎ落として美しい魂を作ってくれることもある。
苦難に出会ったとき、どう生きるか。
苦難も決して悪くはない。
「肯定 肯定 絶対肯定」 これはわが師の教えでもある。
今は亡き、わが師(紀野一義先生)の教えです。
いかに生きていけばよいのか、わからなくなったときのよりどころとしています。
自誓
一、心ひろびろと、さわやかに生きん。
一、真理をもとめてひとすじに生きん。
一、おおぜいの人々の幸せのために生きん。
2018.09 「悟りと如来」
迷いがあるから、悟りというものがある。
悟りというものがあるから、迷いというものがある。
迷いも悟りもないというのが、求めなければならない本当の世界かもしれない。
白隠禅師は、「生涯で大悟が三度、小悟は数知れず」とおっしゃたそうである。
白隠禅師の悟りというものは一度悟ったら、それでおしまいということではないようである。
道元禅師の場合は、悟ればこうなるだろうとあらかじめ考えていたような悟りは大した悟りではないという。
本当の悟りというものは、まったく想像もつかないようなもので、本当に悟ったら迷いなどというものはなくなると断定していらっしゃる。
悟りにも、レベルの違いとうか、かなり違いがあるようである。
一度悟ったと思っても、それだけではなかなか完成したわけでもないようである。
私も62歳で、あと何年生きられるのか知らないが、どうやら迷いのない悟りを得ることはできずに死んでしまいそうである。
また現代の世の中で、大悟しているもの、迷いなき道元禅師のおっしゃるような悟りの境地にあるものがいらっしゃるかどうかは、はなはだ疑問である。
我師(紀野一義先生)など、ひょっとして、道元禅師のおっしゃるような迷いのなき悟りの境地にあったのかもしれないが、私などの思いがおよぶような世界ではないので定かでない。
ましてや我師はたとえ悟っても、悟った人間らしく生きることはお好きではなかったようである。
良寛も、悟ったからといって、それらしくふるまうのは、人間らしくなくて嫌だと言っている。
たとえ悟ったとしても、人間らしく涙を流し、時には笑うような人間でいたいということであろうかと思う。
良寛の漢詩などを読んでいると良寛にも確かに言葉にできない悟りの世界があったようである。
我師にも、言葉にできない悟りの世界があったのではないかと思うが、やはり、それは今の私にはわからない。
我師がお亡くなりなる2、3年前のことだが、良寛の漢詩集にサインを求めたら「迷っても悟っても 仏のいのちの中 死んだらまた会おうな」と書いてくださった。
どうやら迷ってばかりの私も、仏のいのちの中にいるようである。
誰でも、仏の命の中にいるのであろう。
悟りだ迷いだ、善だ悪だといってもたかがしれている。
お釈迦様が仏法を説かれてざっと2500年、地球の歴史や宇宙の歴史の中で、ほんの一瞬を過ごしているのに、なぜこうも小さなことで悩むのか。
でも悩むから人生が味わい深くなるのかもしれない。
スマイル仏壇店に二度三度と買い物に来てくれる女性がいた。目があうと、いつもにっこりしてくれる。
ところがある日、彼女が突然涙を流して泣き出したのである。
実は彼女は20代の最愛の息子を亡くしたばかりであることがわかった。
「あなたなら、私の気持ちがわかってくれるかも知れないと思ったら、涙が出てきてしまって・・・」とのことだった。
なぜ、罪のない心優しき若者が20代の若さで亡くならなければならないのか。神や仏もないとは、このことである。なぜ、このような試練がやってくるのだろうか。
私は、そのとき、彼女に何を話したかは覚えてはいない。彼女がまた笑顔を取り戻してくれたことは覚えている。
我師が話されたことがある。幼くして、また若くして死ぬ人は、如来使(にょらいし)だそうだ。仏様の使いで、この世にやってきて、私たちに何かを伝えているのだそうである。
私もずいぶん神や仏を恨んだことがあるが、この世には、仏様の使いとして生まれ、早く死んでいく人もいるのであるということを知り、何となく安心したことを覚えている。
如来(仏)は、どこにでもいらっしゃるそうである。
私たちは、如来がいらっしゃることを感じとることができない。
ましてや、如来がどこにでもいらっしゃるなどとは、思えない。
私たちが、如来に見守られているとは、とうてい思えない。
しかし、如来は、母が、我が子を思うような愛で陰ながら私たちを見守っていらっしゃるのではないかと思う。
明治、大正時代の浄土宗の僧であった弁栄聖者の臨終の言葉は「如来はいつもましますけれど、衆生は知らない。弁栄はそのことを知らせるためにやってきた・・・」であった。
迷っても悟っても、どんなことがあっても、私たちは、本当は仏のいのちの中、やさしいまなざしに見つめられているのであろうと思う。
この仏(如来)の存在を、確かに実感することができれば、それは悟りの一つではないかとも思う。
今は亡き、わが師(紀野一義先生)の教えです。
いかに生きていけばよいのか、わからなくなったときのよりどころとしています。
自誓
一、心ひろびろと、さわやかに生きん。
一、真理をもとめてひとすじに生きん。
一、おおぜいの人々の幸せのために生きん。
今は亡き、わが師(紀野一義先生)の教えです。
いかに生きていけばよいのか、わからなくなったときのよりどころとしています。
自誓
一、心ひろびろと、さわやかに生きん。
一、真理をもとめてひとすじに生きん。
一、おおぜいの人々の幸せのために生きん。
今田三哲著 若き大瀛の詩集「竿水漫録」 大瀛事績研究会発行
今は亡き、わが師(紀野一義先生)の教えです。
いかに生きていけばよいのか、わからなくなったときのよりどころとしています。
自誓
一、心ひろびろと、さわやかに生きん。
一、真理をもとめてひとすじに生きん。
今は亡き、わが師(紀野一義先生)の教えです。
いかに生きていけばよいのか、わからなくなったときのよりどころとしています。
自誓
一、心ひろびろと、さわやかに生きん。
一、真理をもとめてひとすじに生きん。
一、おおぜいの人々の幸せのために生きん。
大人の背丈もある白い像に館がのせてあり、おそらくその中に、お釈迦様の像があったのだろう。
甘酒やお菓子をいただいたように思う。
その後、そのお寺でも、どこのお寺でも花祭りらしい催しは見なくなった。
私の地元のお寺さんの住職は郡内でも一番えらいお坊様だったのだと、ある教師が話しているのを聞いたことがある。
私には、そのご住職の記憶がない。しかし、そのご住職に、そっと見守られていたのかもしれないと思ったりもする。
私の幼少期には、ほのぼのとした大自然と大人たちの笑顔に包まれた思い出がいっぱいだ。
そのご住職が若くしてお亡くなりなった頃から、村は急激にさびれ、ただの村になったように思う。
もっともわが村(現在は広域合併で町)は、インターチェンジができてホームセンターもあればJA、高速バス乗場、レストラン、コンビニができている。
それでも、がらんとしてうらさびしい。
無骨な私の祖父と祖母はお寺で聴聞会があると出かけていたが、そのようなことが老人のパワーや村のパワーにもなっていたのではないだろうか。
嫌なことやつらいことがあっても、仏様におまかせして笑顔をとりもどす。
村には長老のような存在もそこかしこにいて、悩み苦しみを聞いてくれる。
話しを聞いてくれるだけで、心は少し軽くなるものだ。
私は、その長老のような存在になろうかと思うのであるが、これがなかなか、そうは簡単にはいかない。
お客様や知人が、人生相談で電話をかけてくることもあるのだが、いらいらしてぞんざいに対応することも多い。
ただ話しを聞いてあげるだけで良いのだが、それがなかなかできない。
つい叱りとばしたくなるから困ったものである。
お客様や知人も、私の怒りやいらだちを肌で感じるのだろう。しばらくは電話をしてこない。
それでも、以前にくらべれば、お客様も知人もかなりしっかりしてきたなと思うことも多い。
それがせめてもの喜びでありなぐさめだ。
2016年6月 ブラジルのクリチバ市での恒例の花祭り サンパウロ新聞より (ブラジルは日系の移民の人が多い)
今は亡き、わが師(紀野一義先生)の教えです。
いかに生きていけばよいのか、わからなくなったときのよりどころとしています。
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一、心ひろびろと、さわやかに生きん。
一、真理をもとめてひとすじに生きん。
一、おおぜいの人々の幸せのために生きん。
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一、心ひろびろと、さわやかに生きん。
一、真理をもとめてひとすじに生きん。
一、おおぜいの人々の幸せのために生きん。
2017年8月 南米チリのアタカマ砂漠に咲いた花
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一、心ひろびろと、さわやかに生きん。
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一、おおぜいの人々の幸せのために生きん。
2017年11月10日に復刊として初版が大法輪閣から出版された。
当時、講談社学術新書のカバーに掲載の先生の顔写真
先生60歳前後、今の新書には顔写真は掲載されていない
今は亡き、わが師(紀野一義先生)の教えです。
いかに生きていけばよいのか、わからなくなったときのよりどころとしています。
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一、心ひろびろと、さわやかに生きん。
一、真理をもとめてひとすじに生きん。
一、おおぜいの人々の幸せのために生きん。
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一、真理をもとめてひとすじに生きん。
一、おおぜいの人々の幸せのために生きん。
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三世諸仏(過去現在未来の諸仏) 2017.8
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一、真理をもとめてひとすじに生きん。
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水書房 「わたしの愛する仏たち」より 薬師寺月光菩薩
「耐え忍ぶことの大切さ」 2017.6
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一、真理をもとめてひとすじに生きん。
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一、おおぜいの人々の幸せのために生きん。
「紫の法衣と黒の法衣」 2017.4
「わが身を捨ててこそ」 2017.3
心ひろびろと、さわやかに生きん。
真理をもとめてひとすじに生きん。
おおぜいの人々の幸せのために生きん。
「両手両足がなくても生きていける」 2017.2
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心ひろびろと、さわやかに生きん。
真理をもとめてひとすじに生きん。
おおぜいの人々の幸せのために生きん。
「仏様はいらっしゃいますか。」 2016.12
今は亡き、わが師の教えです。
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心ひろびろと、さわやかに生きん。
真理をもとめてひとすじに生きん。
おおぜいの人々の幸せのために生きん。
「気にしない生き方」 2016.11
心ひろびろと、さわやかに生きん。
真理をもとめてひとすじに生きん。
おおぜいの人々の幸せのために生きん。
死
夜半
一人 ものおもえば
水槽の水音が聞こえ
アパートの
小さな燈火が見え
ここに
死んでしまいたいのと
つぶやく娘がいるなら
僕も
いっしょに
死んでしまいたい
それが
何の意味のない死であろうと
『老いも病も受け入れよう』(新潮社)が、5月31日に出版される。94歳を迎えた寂聴さんが若さと長寿について初めて綴ったその思いは、本のタイトルにもこめられており、
「人間は老いるし、病気にもなる。なりたくなかったら早く死ねばいいの。結局、反対したってなる。いかに私が病気の時に嫌な思いをしたか、苦しかったか、友達から優しくしてもらって嬉しかったか、その辺を全部書きました」
すべてを受け入れたという寂聴さんは、闘病中も、“仕方ないから戦わなかった”という。法話では質疑応答の場が設けられ、参加者からの人生相談が寄せられたが、そんな人々に寂聴さんはこう説くのだ。
「お釈迦様は、この世は苦だとおっしゃってらっしゃいますからね。苦しみがないっていうのは、ちょっとおかしい(笑)。でも、それが人生ですからね。私一人がこんな目にと思わないで、これが人生だと思って生きてください」
(デイリー新潮編集部記事を参照)
「仏様のそばで、お昼寝はどうでしょうか。」 2016.8
夏になると、ふと思い出す話があります。
浄土真宗の熱心な信者(妙好人)として有名な人がいたのですが、その妙好人が真夏のある日、仏壇の前で胸をはだけて気持ちよさそうに昼寝をしていたのです。たまたまこれを見た、やはり信心深い人が、「妙好人と言われる人間が、そんな恰好で阿弥陀如来様の前で昼寝をするなど、けしからん」と注意をしたら、妙好人は「おまえは、継子(ママコ)か」と言ったとのことです。
妙好人は、阿弥陀如来のことを実母のように思い安心して甘えていたのでしょうね。
注意した人も妙好人の言葉に、はっとするものがあったのではないでしょうか。
それでなければ、この話しは伝わりません。
とかく、私たちは、世間体というものを気にしすぎるようです。他人の目を気にしたり、形式にとらわれたりで、本来の大切な心を見失っているのではないでしょうか。
仏は、衆生無辺誓願度、すべての人々を救いたいという誓いのもとに悟りを開かれたのですから、優しさにあふれています。
良寛さんにも、母の故郷からわざわざ取り寄せたお地蔵さまを、いつのまにやら枕変わりに使用していたというお話しがあります。
一休さんも、蓮如上人が留守の間に訪問してきて、阿弥陀如来か親鸞聖人の坐像であったと思いますが、それを枕にして昼寝していたという話しがあります。(決して、阿弥陀如来や親鸞聖人をあなどったのではありません。一休さんは、蓮如上人と仲がよく臨済宗から浄土真宗に改宗しようとしたほどです)
私たちは、世間体とか、社会的評価とか、常識とかを気にしすぎているのではないでしょうか。
競争社会に染まって、他人との比較の中で、一喜一憂していると、なかなか安定した安心というものはありません。
仏教は、優しさにあふれ、たとえ厳しさがあったとしても本来はおおらかなものであると思います。
信心はあるようでない人もあるでしょうし、ないようである人もあるでしょう。 本当の信心の見極めは難しいとは思いますが、妙好人や良寛さんや一休さんのような、本当の信心ある人にめぐり会えた人は幸せです。
仏は、すべての人を救いたいという誓願の上に悟りを開かれたのですから、私たちは、すでに救われているはずなのです。 私は、このことが20代の後半から、漠然と気になっています。しかし60歳になっても、このことは、はっきりとはしません。
白隠禅師の坐禅和讃の冒頭は、「衆生本来、仏なり」です。
般若心経の後半は、過去現在未来の諸仏が、この上ない悟りを開かれた。安心しなさい。この悟りは、一切の苦しみを取り除いてくれるです。
仏教各宗派で称える四弘誓願の第一番目は「衆生無辺誓願度」です。
どうやら、私たちは救われているようだし、救われる方法もあるようなのですが、そう簡単にはわからない。
わからないなりに、苦しいときや、悲しいときには、仏様の優しさや教えを思うと、心は少し軽くなりますよ。
何はさておき、仏様は、限りなく優しい存在であるのだから、仏様に、少し甘えてもいいのではないかと思います。
「常懐悲感心遂醒悟(じょうえひかんしんすいしょうご)」 2016.6
「真実を求めてひとすじに生きん」 2016.5
私は、社会や人から束縛されたりするのは嫌いだし、信心は大切だと思っていますが、盲信では困ると思っています。
真実なものは、慈悲や愛に満ちて大らかで、ユーモアにもあふれるものだと思います。
仏法は、人々を苦しみから救い、人間の幸せな生き方を教えてくれます。
師のない、仏法というものはないと聞いています。
仏法を学ぶためには、師が必要です。
私の師である良寛と紀野一義先生も、最近の坊主は私利私欲にはしって、仏の道を学ぶことを忘れている者が多いと痛烈な批判をしています。
まあ、いつの時代もそうです。
師とあおげる師をもつことの難しさもあります。
浄土真宗では、同行という言葉を聞きます。
師弟関係ではなく、ともに仏法に学ぶ道を行く者ということでしょうか。
日本には、仏教というすばらしい教えがあるのに、この教えを知らず、教えを求めてさまよう人も多いように思います。
私たちは、遠くにあるものばかりを求めて、身の回りにある、すばらしいものを見落としていることが多いようです。
この大都会東京にも、タンポポや雑草がたくましく咲き、家々の軒下や庭には、季節折々の美しい花が咲いています。
私たちは、見ているようで見ていないことも多く。
気づけば、意外と美しい世界が、身近に開けるように思います。
「心ひろびろとさわやかに生きん」 2016.4
人間どのように生きるのがよいのかわからなくなることがあります。
鬱状態というか、朝からやる気が湧いてこないとき、いくら考えても、どのように生きるのが良いのかわからないときに、このごろは理想として「心ひろびろとさわやかに生きん」と、自分に言い聞かせます。
プライドなんか捨てて、バカと思われようが、損をしようが、小さなことにくよくよせず、さわやかに生きる。
なかなかそうはいかなくても毎日自分に言い聞かせていれば、また、あの頃のように、さわやかに生きれるのではないかと思っています。
小学校5年生の時に、幼稚園から一緒だった里見ちゃんという女の子が脳腫瘍の手術後に亡くなりました。
足の早い子で、生きていれば、おそらく陸上選手として、またスポーツ選手として大活躍したのではないかと思っています。
幼い時から、悩みを抱えた僕でしたが、彼女とたまにかわす会話で、妙になぐさめられていたのです。
彼女が生きていれば、ひょとして、彼女は僕の世話女房になっていたかもしれないと思うことがあります。
しかし、ずいぶん、彼女を泣かすような生活をして、僕自身はやりたい放題、彼女は、それでも笑って見守ってくれたかもしれません。
僕は、彼女の死がやはりショックだったのでしょう。彼女が亡くなった夜から高熱が出て、翌日の葬儀には、クラスで僕一人が欠席してしまいました。
それからは、毎月12日の月命日には、中学を卒業して地元を離れるまで欠かさず、彼女の墓参りをしました。
中学時代も嫌なことが山ほどあったのですが、彼女(里見ちゃん)の墓参りをして、そこで何もかも忘れて、一度死んだつもりで、日々をやりなおそうと思いました。
里見ちゃんが、死んだということで死というものが怖いものではなくなりましたし、逆に早く死にたいと思うようになっていましたから、怖いものが無くなったように思います。
何もかも捨ててしまったようなものだから、執着心がなくなり、すっきりしたのかもしれません。
悩んだら、里見ちゃんの墓の前で手を合わせていれば、すっきりした気持ちになる。
人から、馬鹿だといわれようが、生意気だといわれようが、キザな奴と言われようが、あの頃は、ほとんど気にしなかったですね。
しかし、思い切りよく生きていましたから、勉強もスポーツもよくできるようになり、知らない間に、プライドができ、偉くなりたい、もっと人から認められたいなどと欲が出てきました。
このあたりから、生き方を間違ったのかもしれません。
また人一倍不幸な出来事も経験したせいもあるのか、僕の60年の人生は、幸せ感の少ない人生だったと思います。
はためには平凡な生活を送っているものの、安心感というものがない。
何か不安な思いがします。
自分に執着しているのではなく、家族をはじめ愛する人々に執着するというか、世界中の様々な不幸に目をむけると暗い気持ちになります。
自分一人の幸せでは、幸せにはなれません。
できる限り、大勢の人々に幸せになってほしいと思います。
これは、執着です。苦しいのは、何かに執着しているのですね。その執着を捨てるとか、心の持ち方一つで、どんな状態でも、心の平穏は感じることはできるのではないかと思います。
一見、世界中には不幸な人であふれているようですが、本来、人間は、どんな生き方をしようが、救われているのではないかと思うようになりました。
この思いを持つようになって、少し僕にも安心感のようなものが、芽生えはじめました。
白隠禅師の坐禅和讃の冒頭は「衆生本来仏なり」です。これは、本来はすべての人間が仏様ということです。
阿弥陀如来も釈迦如来もすべての衆生を救う(救えないのなら悟らない)という誓願のもとに悟りを開かれたのですから、本来、すべての人々はすでに救われているはずです。
それが実感できなくて、悩み苦しむ愚かさです。
これが、一般的な人間の姿なのかもしれませんが・・・。
人間は悩むもの。悩みながらも生きていくもの。
迷いもない悩みもない極楽浄土は、さぞかし退屈でしょう。
迷いがあるから、悟りがあるので、悟れば迷いも悟りもなくなります。
迷っても悟っても、「衆生は本来仏」というひとことを信じたいものです。
さて、どろどろした、この世の中、いかに生きていくのか。
やはり「心ひろびろとさわやかに生きたい」ものです。
(野田)