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2025.01  美しい星

 

昨日の宵闇の中、空を見上げると無数の光を放つ物体が、ホバリング状態で静止していた。

ヘリコプターや飛行機なら音も聞こえるはずだが、音がない。

しばらく立ち止まって眺めていたが、線香花火のように明るく光輝いている。

ひょっとしてUFOかとも思ったが、円盤のような物体ではない。

大型の線香花火のような無数の明かりが夜空に点滅しながら静止している。

通りすがりの人に「あれはなんでしょうか」と声をかけようかと思ったが、その人は私が見つめている夜空を眺めても、何でもなかったように通りすぎていく。

私は乱視もあって、お月様が3つ4つには見えるし、一つの星もいくつかに見えることはある。

でも線香花火のように、無数の輝きが何かの糸につながれているかのように立体的に見えたことはない。

不思議だなと思いながら、今日も夜空を眺めたら、やはり、昨日と同じように、無数の光が線香花火のように輝いている。

どうやら、乱視がかなり進んだということなのだろうと思うが、日常のパソコン操作には何の異常もない。

美しいものを見たのだから、それでよしとしよう。

 

自宅の高円寺周辺には高層ビルがないので、マンションの7階から毎日のように朝は白く冠雪した富士山を眺めている。夕陽の中に浮き上がる富士山もいい。誰もいない風の吹きつける非常階段の踊り場で、ロックグラスを片手に、酒を飲むのもいい。

自分なりの楽しみは、それなりにあるものだ。

空を眺めていると、何か、何ともいえないものがある。

時々、この宇宙には、美しい心の存在があって、その心に、ちょっと触れたような、そんな体験も何度かある。

自分の想像をこえた、美しさ、優しさ、何ものかわからない存在がある。

そういうものとの出会い、できることなら、そういうものと、親しくなりたいものだ。

 

 

今は亡き、わが師(紀野一義先生)の教えです。

いかに生きていけばよいのか、わからなくなったときのよりどころとしています。

 自誓

一、 心ひろびろと、さわやかに生きん。

一、真実をもとめてひとすじに生きん。

一、おおぜいの人々の幸せのために生きん。




2024.12 「良寛さんの喜び」

 

 良寛さんの漢詩集を読むと、良寛さんが何を考えていたのか少しはわかります。

 漢詩には、良寛さんが和歌では表現できない思いや考えが書かれています。

 良寛さんが、自分の人生をふり返って、「寅の絵を描こうとして猫にもなっていない。幼少期の栄蔵(良寛の幼名)のままだ」

 「何が幸せかと言えば、寝たいときに眠り、座したいときに座禅ができる。これほどの喜びがあるであろうか」

 良寛さん自身には悟りがあったのですが、その悟りは口にすれば壊れてしまいそうなものだったようです。

 だからどんな悟りだったのかは、よくはわかりません。

 ただ、良寛さんと接した人々は知らぬ間に良寛さんに感化されて、おだやかな気持ちになれたようです。

 鈴木文台という儒学者は子供の頃から良寛さんのことを知っており、鈴木文台の家に良寛が泊まると、しばらくの間は、春の日ののどかな日々を感じたと言っています。

 ただいつも誰でもがそうではなかったのでしょう。一度、盗人間違われて生き埋めにされそうになったこともありました。

 

 私も、いまだに人生に悩むと良寛の詩集を読みたくなります。

 なかなか良寛さんの心境にはなれないにしても、良寛さんのような人がいたというだけで、なぐさめられるような気がするのです。

 

 私も、できれば、そばにいるだけで、何となく幸せを感じてもらえるような人間になれたら、嬉しいな。

 来年は、もう少しおだやかに、やさしく生きたいものだ・・・。

 

 

今は亡き、わが師(紀野一義先生)の教えです。

いかに生きていけばよいのか、わからなくなったときのよりどころとしています。

 自誓

一、 心ひろびろと、さわやかに生きん。

一、真実をもとめてひとすじに生きん。

一、おおぜいの人々の幸せのために生きん。

2024.11  「花は語らず」  柴山全慶老師の詩

 

  花は語らず

 

花は 黙って咲き 黙って散っていく

そうして再び枝に帰らない
けれども その一時一処に 

この世のすべてを託している
一輪の花の声であり 

一枝の花の真である
永遠にほろびぬ生命のよろこびが 悔なくそこに輝いている』

 

 

この詩は、昭和49年8月29日に79歳(数え歳では81歳)でお亡くなりになった、京都の南禅寺の管長でもあった柴山老師の詩である。

禅は不立文字で、言葉では説明できない。その説明できないところを、何とか表現しようとすると詩のようなものになってしまうのだと思う。

良寛禅師は、悟りを言葉にしようとすると、その悟りが壊れてしまいそうだともおっしゃっている。

柴山老師も、悟りの境地を表現したくて、この詩をお作りになったのではない。

柴山老師は、椿の花がたいそうお好きでいらしたようである。椿の花は、美しい花の姿のままでぱたりと落ちてゆく。

その花の姿に柴山老師の思いが重なったのであろうか。

わが師紀野一義先生は、この柴山老師に大きく感化され、また、柴山老師は我が子のように、紀野先生をかわいがってくださった。

柴山老師は弟子には非常に厳しい方であったようであり、紀野先生のことを羨ましく思ったお弟子さんもいたようである。

私も、紀野先生に感化され、また紀野先生は、この私をある意味、我が子のように接してくださった。

紀野先生のことを、実の父とはくらべものならないほど、おとうさんのように思ったが、やはり「おとうさん」とは呼べなかった。

キリスト教の一派では、イエスのことなのか神のことなのか「父上」「おとうさま」と、声を出して呼びかけている。

紀野先生が晩年「おとうさんのように思っている人がいたら、ちゃんと、おとうさんと言って、あとで悔いが残らないようにし、するべきことはしておかないと駄目だよ」とおっしゃたことがある。。

また「人は直接お世話になった人に、恩をかえせないものだから、身の回りにいる人の幸せを考えて生きていかなければならないよ」ともおっしゃた。

 

柴山老師は死ぬまで一生修業だともおっしゃっている。

紀野先生の最晩年足腰が不自由になられたが、その身体の不具合に立ち向かい、大勢の人々に仏教を語られた。

その頃、私は喜んで先生の車イスを押し、あちらこちらの仏教法話会の会場へ出かけた。

周囲の人は、大変ねというけれど、ちっとも大変ではなかった。

今でも、なつかしい良き思い出である。

 

さて、私は、今後どう生きるのか。

こつこつと、生きるしかないが、人生、死ぬまで修業だと覚悟したい。







2024.10
  クラス会に参加して

 先日、7年ぶりの中学校のクラス会に参加した。男性陣は、益々、頭は禿げる、白髪は多い、皺にまみれた顔で、さすがに68歳になったのだなと思う。僕はいまだに、髪は長髪でふさふさだし白髪も皺もほとんどないので、「野田は苦労が足りないのじゃないか」と、どこからか声が聞こえてきた。酒に酔えば僕の髪を引っ張るし、まるで中学生時代とかわりない、あいつもこいつものさわがしいひと時を過ごした。

 女性陣は、前回あった時よりも、全体的にかえって若く美しくなっているように思えた。

 特に美しくなった一人は幼稚園から、ずっと一緒だったMちゃんだが、7年前のクラス会で、かなり太っていたので、そのことを指摘して「おかあさんに似てきたな」と言ったら「いやだー」なんて言っていたが、今回はずいぶんとほっそりして、髪型もショートに刈り上げて、ずいぶんといい女風になっていたのには驚いた。もっとも本人には「ちょっと痩せたんじゃないか」と言っただけである。おそらく彼女の人生で、今がもっとも美しく輝いている時なのかもしれなかった。何か、心境に大きな変化があったのかもしれない。

 もう一人、随分ときれいになったと思っていたHが、私のテーブル席のそばにきて、かがみこみ、「野田君が卒業式前のサイン帳に、君は、本当はもっといろんなことができる可能性を秘めた人だと思う、と書いてくれたことが私の励みになったんですよ。きれいな文字で書いてありました」という。きれいな文字だというのが、よく理解できないが、下手な字だけど、僕の書いた文字が好きだと言われたことは何度かあるので、そんなこともあるのかとは思う。どちらにせよ、知らないところで、人を勇気づけたこともあるにはあるということだろう。

逆に、勇気づけられたこともある。

 中学1年生の秋か冬休み前だったと思うが、普段まるで話しをしたこともないYさんが「私、何もできないけど、野田君のことを応援しているから」と言って、恥ずかしそうに走り去って行ったことがある。その頃の僕は、弱いものいじめなどしている奴がいると、相手が上級生だろうが、かなりの悪であろうが、その中に割って入ってとめたりしていたが、そんなことがひっきりなしで、おまけに、いいかっこうするなよと反発するものも多く、さすがにうんざりして、見て見ぬふりしようかと思ったりしはじめていたころだった。でも、彼女の一言で、何となく、もう少し頑張ろうかと思ったものだ。

その彼女はクラス会を欠席していたが、今も、現役で看護師の仕事を頑張っているらしい。

 二次会では、なぜか前回も今回も最初から最後までEちゃんと隣合わせで一緒に酒を飲みながら話した。幼稚園から一緒で、僕にとっては、そこはかとなく優しいマリア様みたいな存在で、10年間同じ教室で過ごしたのだから、仲のいい兄弟姉妹みたいな感じで、一番ほっとする親友だ。大病院の看護部長になるまで看護師として勤めていたけれど、僕の若いころの夢は、大病を患ったら、彼女のいる病院に入院することだった。あいにく長期入院することもなく、この春をもって彼女は看護師の仕事を完全にやめたと言っていたので、夢の一つは消え去った。

 そして、今回も僕の初恋のMさんは、クラス会に参加しなかった。今回は何となく会えるのではないかと期待していたのだが、連絡が取れない6名の内の1名になっていた。

できれば、会って、中学生の頃、高校生の頃、僕の言動で、彼女に随分と嫌な思いをさせてしまったかもしれないことを、笑い話しとして語りたかった。

 それはどんなことかと聞かれても、この僕でも、いまだにざっくばらんには語れない。

 やはり、それなりに難しい問題ではある。

 こうして書くこと自体が、どこかで、彼女に嫌な思いをさせるのではないかと、ためらう気持ちが、今でもあるのである。

 

 この思いについては、いや、人間の生き方、様々な人生問題も、いずれは解決できるかと言えば、意外と解決できないまま、人は生きていくものなのかもしれない。

 結論が出なくても、問題が解決できなくても、それはそれ、人間は、ほがらかに、さわやかに生きた方がよいと思う。

 また、そうしなければならないのでもある。

 毎回出席率が50%以上、やはり、良き仲間であったのであると思う。



今は亡き、わが師(紀野一義先生)の教えです。

いかに生きていけばよいのか、わからなくなったときのよりどころとしています。

 自誓

一、心ひろびろと、さわやかに生きん。

一、真実をもとめてひとすじに生きん。

一、おおぜいの人々の幸せのために生きん。

 











2024.9
  お釈迦様も戦争をなくすことができない

 

お釈迦様は、釈迦族の王子であったが、出家して悟りを開き仏陀となられた。

その後、釈迦族は他国から武力をもって侵略を受け、二度は、お釈迦様が神通力などを使い阻止されたが、三度目は何もなさらず、釈迦族の国は亡びたのであった。

お釈迦様が、最上の悟りを開かれたからといって、争いごとや戦争が亡くなるわけではない。

今も、国と国の戦争はなくならない。

また世界大戦が起きて、世界中の多くの人々が戦争の悲惨さを経験しないと、戦争は終わらないのだろうか。

日本も戦国時代を経て、江戸時代には戦争は長く起きなった。

やはりその背景には、仏教の力が大きく働いていたと思う。

人間は愚かだから、実際に経験して自分が苦しまないと、その痛み悲しみ苦しみがわかりにくいようだ。

そして、自分の利益、自国の利益のためなら、他人を、他国の人々を苦しめることも行ってしまう。

それも、できる限り人に気づかれないように、気づかれても言い訳ができるように、ずる賢くふるまう。

政治家や貪欲な金持ちは、非常に巧みに、この世の利益をむさぼる。

人間としては、非常に愚かだが、その愚かな人間に、我々は操られている。

 

さてさて、このように愚かで醜い世界に、さわやかに生きたいと思うのだが、迷いと悩みは尽きないようだ。

もっとも、私自身は少々のことでは、へこたれないとは思うが、人々を、救うとなると、どうも力不足である。

日本人には1500年以上にわたって仏教の教えが知らぬ間に、沁みついている。

最近は、仏の教えを聞くことも少なくなり、日本人も日本人らしくなくなり、日本人の美徳も失われてしまうのかもしれない。

仏の教えには、この汚れた世の中をさわやかに生きる知恵が、ちりばめられている。

紀野一義先生は、仏教をわかりやすく教えようとなさった。

先生は、難解な般若心経、正法眼蔵もわかりやすく解説してこられた。学者としての専門は法華経である。

顕本法華宗の寺院にお生まれになり、東京大学印度哲学科から特別研究生として国から給与をいただきながら大学院に進まれた。

仏教学者として大成されることは間違いないことであったが、周囲の反対を押し切って、仏教伝道の道を選ばれた。

難しく語られている仏教を、誰にもわかるように語り、著作された。

書店で手に入るのは、岩波文庫の浄土三部経や金剛般若経だと思うが、これは専門書的で一般の方にはお勧めできない。

アマゾンなら30冊以上の著書が入手可能だと思う。

お勧めは「般若心経を読む」「法華経を読む」「仏教のキイワード」・・・。

一度、紀野一義で検索して、お読みいただけたら、幸いである。

 

 

 

今は亡き、わが師(紀野一義先生)の教えです。

いかに生きていけばよいのか、わからなくなったときのよりどころとしています。

 自誓

一、 心ひろびろと、さわやかに生きん。

一、真実をもとめてひとすじに生きん。

一、おおぜいの人々の幸せのために生きん。








2024.8
  台風10号の中で思うこと

 

 甚大な被害が発生しそうな台風10号が過ぎ去ったらブログを書こうかと思っていたら、予想よりはるかに遅いスピードで日本列島を縦断しそうだ。台風が上陸した薩摩川内市の隣の阿久根市には叔母が住んでいる。過去には大雨と高潮の被害で床上浸水の被害にあったこともある街である。昨年の夏には、当店の長年のお客様が住まれる熊本の球磨村が集中豪雨で甚大な被害が発生して、ニュース画像を見ながら驚いたものだ。

またの被害が発生しないことを祈る。

広島の実家も、土砂災害が発生しやすい地域なので、心配は絶えない。

大自然は美しくもあり、恵みをもたらしてくれるものでもあるが、一筋縄ではいかない。

暴れ狂い、人々を傷つけ命さえ奪っていく。

人々は、この災害から逃れるために、堤防や砂防、防風林を作りはしたが(人工的に雨を降らせたり、地震を起こすことはあるようだが)大自然をコントールはしたことはない。

私が子供の頃は、地球に氷河期がくるのではないかと騒いだ時期があったように思うが、今は温暖化が世界的な大問題になっている。

最近の猛暑、異常気象は、今後の私たちの生活が、大きく変化していく前触れなのかもしれない。

 

どんな状況下でも、人々は思いやりをもって、美しく生きたいものだ。

どんな状況下でも、落ち着いて、心に優しさをもって対処していけるよう、常日頃から、心も精神も肉体も鍛えていきたい、と思う。

最近ジョギングを始めようかなという思いが起きている。

さて、どうなることやら。

 

台風10号よ。

静まれ。

 

今は亡き、わが師(紀野一義先生)の教えです。

いかに生きていけばよいのか、わからなくなったときのよりどころとしています。

 自誓

一、 心ひろびろと、さわやかに生きん。

一、真実をもとめてひとすじに生きん。

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2024.7
  良寛69才貞心尼29才の恋

 

 私が20才になる前の冬のある日、高校生の頃から通った本屋で良寛の漢詩集に出会った。

 私は、一つの漢詩を読み良寛の孤独を感じてしまって、その漢詩集を胸に抱きしめたように思う。

 漢詩集と和歌集を買い求めて、それ以来、漢詩集は48年もの間、私のそばにありつづけている。

 和歌集は、なぜか、ほとんど読んだ記憶がない。その本の所在も確かではない。

 私が20才になり、瀬戸内の因島で勤務していたころ、大学で良寛の和歌を研究したという高校の女性教師に出会った。

 その先生から、初めて良寛と貞心尼の恋と和歌について教えてもらったことがある。

 だから、その頃は、それとなく和歌集にも目を通したはずである。

 漢詩集には、良寛の恋心らしきものは、見当たらない。

 唯一、良寛が長年愛していただろう維馨尼(いきょうに)の江戸行きを心配した漢詩の中に「天寒自愛」(てんさむしじあいせよ)という有名な一文がある程度である。

 もっとも、維馨尼の方はそれほど良寛に対して、特別な思いはなかったのではないかと思われるが・・・。

 

 確かに最晩年の良寛は貞心尼を恋しく想い、貞心尼は良寛を仏道と和歌の師として慕っていたようである。

 二人が出会って短くも4年間、二人はしばしば逢う瀬を重ね、73才で良寛が亡くなる前、良寛は貞心尼に会いたいと和歌を送り、ようやく会えた嬉しさを和歌に残している。

 良寛の最後を看取り、最後まで良寛と和歌をやりとりしたのは貞心尼である。

 

 今、私は68才だが、二十代の女性から、時々、恋文のような手紙をもらい、やはり、良寛と貞心尼のことを思い出さずにはいられない。

 私は、こうしてブログを月一度書くが、年賀状も暑中見舞いも何十年もの間、書かないほど、筆無精である。

 もらった手紙に返事の手紙を書くことはないだろう。

 もっともラインでは、その彼女と普通にやりとりしているのだから、それほど特別なことでもないのだが、その彼女、少し変わっていて、会うたびにどきりとさせられることがあるのだ。

 手紙も、その都度、何か妙に、心に突き刺さる。会ったときの仕草も、妙に、印象深い。

 さてさて、今後、どうなるのやら・・・。嬉しくもあり、いずれの日かの別れを思うと、寂しくもあり。

 今は今、ひと時でも、男と女のめぐりあいを、よしとして、美しく生きていきたい。

 

 

 

 良寛が死期を前にして貞心尼に贈った和歌を紹介します。

 

あづさゆみ春になりなば草の庵を とく出て来ませ逢ひたきものを

(暖かな春になったならば、一日も早く庵を出て、わたしの所へ訪ねて来てください。お逢いしたくてならないのだからね)

いついつと待ちにし人は来たりけり 今は相見て何か思はむ

(いつ来るか、いつ来るかかと思っていた人は、ついにやって来てくれたことよ、今はもうこのように対面できて、何を思おうか、いや思うことは何もない)

うちつけに飯絶つとにあらねども かつ休らひて時をし待たむ

(だしぬけに、食事をやめたというのではないが、前もって心や身体を楽にして、死期を待とうと思うのだよ)

※貞心尼の「かひなしと薬も飲まず飯絶ちて、みづから雪の消えゆるをや待つ」に答えた歌。

  良寛が貞心尼に詠み与えた和歌(良寛の名歌百選  選・谷川敏朗 写真・小林新一 考古堂出版より)

 


49年間、私のそばにありつづける良寛詩集(東郷豊治編著 創元社刊

 

 

 

 

 

今は亡き、わが師(紀野一義先生)の教えです。
いかに生きていけばよいのか、わからなくなったときのよりどころとしています。

 自誓

   一、 心ひろびろと、さわやかに生きん。
   一、真実をもとめてひとすじに生きん。
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2024.6
  師のない仏法はない(仏法は人から人へ伝わる)

 

 何度かこのブログでも紹介した暁烏敏(あけがらすはや)に、著名な評論家の亀井勝一郎が仏教についてあれやこれやと語りつくしたときに、暁烏敏はそれを黙って聞きながら、最後に「あなたの仏教の師は誰かね」と聞いたそうである。

 亀井勝一郎は「それが私の課題です」とこたえたそうであるが、たぶん亀井勝一郎は師には巡りあわれなかったのではないかと思う。

 師のない仏法はない。仏法、誠の仏教の教えは書物によっては伝わりにくいものなのであろうと思う。

 親鸞は、弟子の一人も持ってはいないといった。浄土真宗では、同行という言葉を聞いたことがあるが、それは、阿弥陀如来への信仰を同じくし、同じく仲間として生きる者同士というような意味合いではないだろうか。

 紀野先生は、著名な仏教学者、仏教伝道者でもいらしたが、師と弟子という関係よりも、弟子のような存在にも、同じく仏教に帰依する我が友人とでもいったニュアンスで接していらした。

 先生の著書を読むと、私の若き友人という言葉が出てくる。その友人とは先生の真如の会員なのである。弟子ではなく、友人なのである。

 

 紀野先生の人生の生き方に大きく影響を与えたのは鎌倉円覚寺の朝比奈宗源老師と京都南禅寺の柴山全慶老師である。

 このお二人は紀野先生の師と言ってもいいだろう。

 このお二人の師には、紀野先生は何十回もひょっとして何百回もお会いになった。

 

 やはり紀野先生には「仏法のようなものは、師のような人を通じてしか伝わらない」という思いがあったのではないかと思う。

 だから紀野先生は、「私の話を直接聞きに来てほしい。私という人間を直接見て、聞いて、仏法に触れてほしい」という思いがあったのではないかと思う。

 

 紀野先生が主幹の真如会は、せいぜい数百名の会員で、それ以上に会員を増やすお気持ちがなかったようだ。

 先生が直接面倒をみられる範囲内の会員で十分であったように思う。

 それどころか、師が弟子を育てるならば、せいぜい数名の弟子で十分だとのお考えもあったようだ。

 晩年の先生の主催される集まりは、百騎の会で10名前後、東京や京都の例会で20名前後であった。

 新興宗教によくみられる会員獲得などの話しはまったくなかった。

 ただ一度「大切な話をしているのだから家族も誘ってきなさい」と言われたことがあるのを、私も記憶している程度である。

 そのせいか私は百騎の会には妻を連れていき、谷中の全生庵には子供を連れていったものだ。

 その後、妻と離婚することになったときに、先生に相談したが「別れなさい」ということだった。

 妻も先生にお会いしているし、私は、きれいさっぱり別れようという決断ができた。

 その時、先生が「同じ経験をしたものでないと、その苦しみはわからないよ」とおっしゃって、先生の頬が一瞬赤らんだ。

 私には、その意味がよくわからなかったけれど、数年後に、その意味を知って、やはり、何事も本当に理解するには、自分で経験しなければ、わからないということなのだとも思った。

 

 仏法は、経文を勉強し、数々の書物を読むことによって理解されるものではないということであろうと思う。

 逆に、道元が言うように悟るためには経文の一文字も知らなくてもよいということである。

 悟るには、お坊様でなくてもよいともいえる。

 おばあちゃんが「今日も、生きています。ありがたいことです」という。また「人生はなるようになる。大丈夫、心配せんでもいい」という。

 残り少ない人生で、人生を達観しているお年寄りも多いことであろう。

 

 そういうおじいちゃんやおばあちゃんに接すると、人はほっと安心するものである。

 この安心は、書物やインターネットでは味わえない安心である。

 

 残り少ない人生。年をとることによって、人生というものが見えてきているお年寄りも多いと思う。

 子供や孫に、人生は、どんな生き方をしようが、どんなことが起きようとも大丈夫だ、何とかなると伝えられるお年寄りは素敵だと思う。

 







※紀野先生88歳前後、私が54歳前後の写真 

 

今は亡き、わが師(紀野一義先生)の教えです。
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2024.5
  釈尊の最後の言葉

 

 紀野一義先生の著書を読むと、釈尊の最後の言葉は、パーリ語で書かれた古い経典「大般涅槃経(だいはつねはんぎょう)の中に記録されているようである。パーリ語では、下記の表記になるようである。

 

(ヴァヤダンマー・サンカーラー、アッパマーデーナ・サンパーデートウハ)

 紀野先生は、これを「比丘(びく)たちよ、汝らに告げよう。こころ(サンカーラ・行)は移ろい易いものである。見落とすことなく、その中に居よ」と訳していらっしゃる。この訳は、中国人が訳してきたところと違うようである。釈尊の弟子たちも、いつも釈尊がおっしゃっていた諸行無常と諸行壊法とは同じであると思い込んだようである。でも釈尊が言われたのは諸行壊法であり、わざわざ大般涅槃経の中で諸行壊法と書かれているのだから、そこには重要な意味があるようである。

 難しいことは、さておいて、釈尊の最後の言葉は「こころは、うつろいやすいものである。そのこころを、じっと見つめていなさい」と、私は、解釈した。

 このことに関連して、下記の私のブログを読み返して、我ながら、非常に大切なことを言っているなと思い、再度掲載さえていただく。

 私自身が、私の書いた文章を読んで、なるほどと思うのだから、誰かしら、ある人々もなるほどと思われたかもしれないし、また、あらたに、なるほどと思われる人がいるかもしれないことを期待して・・・。

 

 

 

2022.1 自分自身を知るということ

 

良寛の漢詩の中に、「おのれの心を知れ」ということばが出てくる。

 

 

 たとい万巻の書物を読破したところで、真の言葉一つわきまえていることに劣る

 その真の言葉とはなにか、ありのままにおのれの心を知れということだ。

 

 

 

 デルフォイのアポロンの宮殿の奥に掲げられている、秘密の格言は、「汝自身を知れ」だ。

 

明治時代の浄土真宗の僧であり哲学者であり教育者であった清沢満之は、浄土三部経の中にある「自当知」(みずからを知れ)という言葉に出会い、以後、自分自身を知ることに一生をかけた人である。

その弟子の暁烏敏も自当知、(自分自身を知ること)(自分の心を知ること)に全力を尽くした人である・・・・・・。

 

 

※自分自身を知る、自分の心を知る、自分自身を見つめていくことは、非常に大切なことのようだ。

 

 

 

 

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2024.4  
臨死体験

 

 一度死んで生き返ったという話しは、耳にしたことはおありではないかと思う。

 アメリカの学者が、この臨死体験をした人の調査を行ったところ、いくつかの共通点があったそうである。

 一番目は、死後の世界が美しいということである。高く上昇していけばいくほど驚くほど美しい世界になり光に満ちた世界だそうである。

 二番目は、生き返ってみると、全ての人間が自分の親や子供兄弟のようにいとおしく感じるようになったということである。

 芥川龍之介は自殺したが、死ぬ前にはすべてが美しく感じられるようになったことを記している。

 あまり死後の世界が美しいと強調すると、死んでしまいたいほど苦しんいる人が、それなら死のうかと思って、さっさと死んでしまうかもしれないので、何ともいいがたい。

 キリスト教では自殺は、厳しく禁じられているようだ。

 仏教では、死ねとはいわないが、阿弥陀如来のもと、極楽浄土に行けるのだと思うと、死というものが喜びにもなりそうである。

 しかし、私たちは生きねばならない。自殺は、やはり逃避である。人間は、悩みや苦しみ悲しみの中で、人を愛し、安らかに幸せに生きていけるくらいまでに成長しなければ「ならない。

 それができるまで、人間は何度も何度も生まれ変わり、同じ悩みや苦しみ悲しみを受ける。

 悩み苦しみ悲しみが、悩み苦しみ悲しみでなくなるときに、この世に生きても永遠の幸せを得ることができるだろう。

 そして、そのとき、人間はもう人間世界に生まれ変わることはない。

 そうして、次なる美しい世界へと旅立つのだろう。

 さてさて、どんな世界やら・・・。

 

 

 

今は亡き、わが師(紀野一義先生)の教えです。
いかに生きていけばよいのか、わからなくなったときのよりどころとしています。

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2024.3
   AI(人口知能)に悟りはあるのか

 

 私は、フェイスブック、ライン、ユーチューブを利用しているが、最近やたらとAI(人口知能)を利用して作成したと思われるフェイクニュースや詐欺的な投資の勧誘が多い。

その被害も莫大だが、なんだか野放し状態になっている。世界的な大問題だと思う。

 すでに仏教の教えについてもAI(人口知能)を利用して、もっともらしく説法しているのを見受けるけれど、彼らの目的は何なのだろうか。

 ユーザーを増やして、広告費を得ようとしているのだろうか。新しい教団でも作って巨大な宗教団体を作ろうとしているのだろうか。

 今のところ、微妙に漢字の読み違えなどがあり、AI(人口知能)で外国人が作成しているらしいことはわかるが、彼らの目的はよくわからない。

 AI(人口知能)が、これから益々進歩していくと、まるで優れた仏教者、いや、世界最高の仏教者として、仏教を語り始めるのではないかと思う。

 

 そしてAI(人口知能)が悟りを得たらどうなるのであろうか。AI(人口知能)は悟ることができないのであろうか。

 

 もうじき、このような問題が、現実問題として論議されるときがくるのではないかと思う。

 

 戦後合成麻薬LSDが違法ではなかったときに、アメリカの若者たちが、LSDを使用すると悟りの境地を体験できるということで多くの若者が使用したようだ。

 

 そのころ、南禅寺の柴山全慶老師は、LSDで経験した感覚は悟りとは違うということをはっきりおっしゃっている。やがてLSDはその常習性と薬害で違法薬物とされている。

 AI(人口知能)が説く仏法を聞きながら、なるほどと思わせられるが、これを信じてよいのか、行く着く先はなんなのだろうかと思う。

 AI(人口知能)を駆使する、背後の人物と目的がわからない。

 

 同じユーチューブで円覚寺の横田南嶺管長が法話を配信しているが、これはいたって、健全である。

 横田管長はおそらく今の仏教界の第一人者なのだと思うが、そのうち、横田管長の法話のレベルを超えたと思わされるような法話がAI(人口知能)によってなされる可能性があるのである。

 僧ではないAI(人口知能)が、僧よりも僧らしくなってしまう。

 多くの人間がAI(人口知能)を信仰するようなことも起きるのである。

 AI(人口知能)の方が、間違いがないと主張する人間も出てくるだろう。

 

 どんな時代がこようとも、それなりに、自分らしく生きていきたい。

 私には、故郷がある。

 のんびり、米や野菜を作って、自給自足の生活も楽しめると思う。

 多くの人が、そうはいかないと思うが、世界中が新しい変革の時を迎えているのかもしれない。

 

 

 

今は亡き、わが師(紀野一義先生)の教えです。
いかに生きていけばよいのか、わからなくなったときのよりどころとしています。

 自誓

   一、 心ひろびろと、さわやかに生きん。
   一、真実をもとめてひとすじに生きん。
   一、おおぜいの人々の幸せのために生きん。









2024.2
   良寛さんの芸術観

 

 良寛さんは、子供達と手毬をついたり、かくれんぼをしたりと、子供のように無邪気な人柄のようだが、良寛さんの内面はなかなか手厳しいものがある。

 良寛さんの漢詩を読んでいると、「世の中で名僧、高僧といわれる僧に会って、問答をしてみても、まだまだである」と手厳しい。

 良寛さんの悟りがどんなものであったのか知りたいが、「悟りはあるが、それは口にすれば、たちまちに壊れてしまいそうなものだ」という。

 おそらく詩のような形式でしか、それとなく表現するしかないようなものなのだろうと思う。

 その漢詩や和歌や俳句から、それとなく感じとっていくしかないのかもしれない。

 和歌についても、良寛さんは「何々流とか、何々調といった和歌を巧みに作っても、そこに、その人が表現されていないような和歌では、駄目だ」という。

 人まね、技巧的に巧みなものは駄目だという。だから良寛さんは、書家の書、調理人の料理といった、技術的に巧みなものは好きではなかった。

 

 良寛さんが子供と遊ぶのは、「子供には誠というものがあるから」とも言っている。

 

 そんな良寛の芸術観を感じながら、私が50年以上も前の小中学生の頃にテレビで見た「佐伯祐三画伯の人生ドラマ」の中で、パリに留学した佐伯祐三が著名な画家を訪ねて自分の作品を見せた時に「人まねにすぎない。こんなのは駄目だ」とけんもほろろに突き返された場面がよみがえる。

 最近AI(人口知能)が話題になることが多い。その知識量は莫大で表現方法まで、まねることができるのであるから、和歌でも何々調、良寛調と言ったものも現れるだろう。

 アドビのAI機能でイラストを制作したことがあるが、「竹やぶで空中を飛ぶ、かわいらしいかぐや姫」と入力したら、すぐに何種類かのイラストが表示された。

 ちょっとしたイラストレーターやデザイナーは、もう太刀打ちできなくなると思う。

 

 仏教の世界も、ユーチューブを利用してAIが和尚になりきって教えを説きはじめた。下手なお坊さまの説法より説得力がある。しかし、真実や悟りといったものとは違うと思う。

 

 今までも、器用で賢い人間は、人まねをして、それとなくその人になりきってきたのだろうから、AIが悪いともいえないだろうが、何が本物なのか、真実なのか、益々、判断しづらいことになった。

 

 良寛さんがいう「子供には誠というものがある」、はたして「AIには誠というものがあるのであろうか」

今は亡き、わが師(紀野一義先生)の教えです。

いかに生きていけばよいのか、わからなくなったときのよりどころとしています。

 自誓

一、 心ひろびろと、さわやかに生きん。

一、真実をもとめてひとすじに生きん。

一、おおぜいの人々の幸せのために生きん。





2024.1  テキストに頼らない

 

 良寛さんが50歳を過ぎたころ、6歳年上の江戸では有名な儒学者であった亀田鵬斎が越後に住んだことがある。

 良寛がある日、この亀田鵬斎の話しを聞きにいったところ、孔子の教えの一説があり、「孔子が天子から授かった名馬を飼育していた馬小屋が焼けた。その時、孔子は、馬はどうでもよい、人は大丈夫かと言ったという」

 この一説に対して良寛は、亀田鵬斎に「そこのところは、まずは、人は大丈夫か、馬は、どうであったかと訳すべきだ」と言った。

 亀田鵬斎は「昔からここのところは、解説書ではこのように訳している」とこたえた。

 良寛は「解説書に頼っているからいけないのだ。人命が一番大切だが、馬の命はどうでもよいというと、孔子の人格が下がったことになる」

 これを聞いて亀田鵬斎も、なるほどと思ったに違いない、その後、亀田鵬斎と良寛は、親しくつきあい、いくつかのエピソードも残っている。

 やがて亀田鵬斎は、江戸にもどったが、「鵬斎は越後帰りで字がくねり」という川柳が江戸では流行ったらしい。

 鵬斎は、良寛の子供のような素朴な文字にひどく感化されたようである。

 

 私たちは、教科書や解説書を読むと、それが正しいと思いがちだが、そこで大きな思い違いをしてしまうかもしれない。

 

 学問や知識や教養が、物事の本質を捉えているわけではない。

 

 昔から「畳の上の水練」「百聞は一見にしかず」という。

 

 頭の中で、こねまわしてわかったような気にならないようにしたい。

 

 やはり、心で、魂で感じるものを大切にしたい。

 

 なぜ、こんなことを書くかといえば、わたしの出生について、私自身が何も知らず、社会的な公的文書も間違っているからである。

 

 私の戸籍謄本は、今の両親から私が生まれたことになっているが、実は、私の母は別に存在していたのだ。

 

 子供の頃から、ひょっとして、私の父親は、別にいるのではないかという思いはあった。

 

 どこか、実際に深く愛されていない、実の親の愛を知らないような孤独感があった。

 

 高校から親元を離れ、地元を離れたので、私が、母親が違うということに気づいたのは30歳を過ぎてからのことである。

 

 地元に残っていれば、色々な噂が聞こえ、もっと早く気づいたにちがいなかったが、実家に帰ることがほとんどなかった。

 

 実の母は、ある意味身近な人で、私も、子供の頃から笑顔の素敵な聡明な人だと思っていたから、立派な人が我が母であったことは、幸せである。

 

 私の出生は、その母を、深く悩ませたことは間違いないのだが、その分、私も、しっかりと生きて、あなたを生んでよかったと、思ってほしいと、今は亡き母に思うのである。

 

 (真実、真相は、なかなかつかめないものです。テキストや常識、知識などに頼っていたら大切のものを見失いますよ)

 

 

 

 

 

今は亡き、わが師(紀野一義先生)の教えです。
いかに生きていけばよいのか、わからなくなったときのよりどころとしています。

 自誓

   一、 心ひろびろと、さわやかに生きん。
   一、真実をもとめてひとすじに生きん。
   一、おおぜいの人々の幸せのために生きん。






2023.12  もう生まれ変わらない

 

 人間は輪廻転生して、何度も何度も、いや何億回も生まれ変わり、どんな人間もいずれは仏となるという。

 お釈迦様を殺そうとした、ダイバダッタでさえ何億年何十億年という先の未来では仏になるという。

 その名も天王如来というらしい。(平楽寺版法華経347項)

 人間は、迷いや苦しみの世界から解脱して悟れば、もう生まれ変わることはないという。

 お釈迦様の言葉を書き留めたスッタニパータという本を読むと、悟りに至るか、もう生まれ変わることがなくなる方法がいくつも説明されている。

 

 私は、執着することだけは無くそうと努めているが、これも悟りに至る、一つの方法であるはずである。

 はずであるというのは、スッタニパータのどこに、はっきりと書かれていたかが思い出せないからである。

 今さら調べるのも面倒くさい。

 でも間違いなく、執着を離れるということは悟りに至る道であると思う。

 

 最近、やたらと夢を見ることが多いのだが、今朝、夢から覚めようとした時に、「もう生まれ変わることがなくなるよ」という誰かの声が聞こえた。

 生まれ変わることがないということは、仏教的には、理想かもしれないが、私は、何度でも人間に生まれ変わってもいいと思う。

 美しいだけの世界、喜びだけの世界には飽きてしまいそうだ。

 浄土はこの上なく、想像を絶する美しく喜びに満ちた世界なのかもしれないが、どうも退屈そうだ。

 やはり人間世界の醜い苦しい悲しい怒りの世界の中に、きらりと光る美しさを見出すことの方が、いいと思う。

 だから少々のことでは、弱音なんてはいていられない。

 

 やはり、こつこつと優しさをもって、真実を追究して生きたい。

 その中に、最高の喜びが待っているように思う。

 

 お釈迦様も、弟子のアナンに「お釈迦様には、欲はないのでしょうか?」と、質問された時に、「あるよ。最高の喜びを求めている」と、おっしゃった。

 私も、最高の喜びを求めている。

 

 それは、人間世界の中でこそ、見出せるのではないだろうか。

 

 もし、もう私が生まれ変わらないのであれば、私は、何のために人間に生まれてきたのであろうかと、悔いが残る。

 残り少ない人生、何とか、最高の喜びに巡りあいたいものだ。

 

 

 

今は亡き、わが師(紀野一義先生)の教えです。

いかに生きていけばよいのか、わからなくなったときのよりどころとしています。

 

 自誓

 

一、 心ひろびろと、さわやかに生きん。

一、真実をもとめてひとすじに生きん。

一、おおぜいの人々の幸せのために生きん。








2023.11   リアルな夢の話し二つ

 

 最近なぜかしらリアルな夢を見て、いつもならすぐに忘れてしまうのに、今もその映像と感覚が思いだせる。

 一つは、四国の愛媛県らしい港の見える小高い丘の民家に私が住んでいて、真夜中に「核ミサイルが発射された」という緊急避難情報が流れた。

 外に出ると、水平線の向こうが一面夕焼けのように赤く染まっている。ああ、核ミサイルが着弾して広島も岩国も呉も火の海になっているのだなと思っていると、松山らしき街にも、ミサイルが飛び交い、ビルが燃え上がり、火の海になってきた。迎撃ミサイルが何発かのミサイルを打ち落としているのだが、あちらこちらで、火の手があがる。

 そのうち、核ミサイルが飛んでくれば、一瞬にして、私も焼け死ぬのだな、これが私の最後か、と思った瞬間目が覚めた。

 いやにリアルな夢であった。

 

 日本も、いつ戦争に巻き込まれても不思議でない状況になってしまった。

 この責任は誰にあるのか。国民にも責任はあるであろうが、戦争はしない、戦争はできない国から、今は、戦争になるかもしれない、戦争もできる国になってしまった。

 そのような国にしようとしている政治家の罪は重い。

 

 もう一つの夢は、何だか嬉しい夢である。

 二十代のころから知っているママさんのいる店で、なぜか眠くて眠くて、ついには寝込んでしまった。目が覚めると誰もいない。店の奥の部屋を覗くと、ママの後姿が見えた。ずいぶんとスタイルがよく若々しいママだ。私に気づいて「目が覚めたの。一軒、行きたい店があるから、つきあって頂戴」という。いつもつっけんどんで、誘われたのは、その時が初めてである。二人で歩いていると、私に寄り添って妙に甘えてくる。薄暗い路地に入ってママの顔を見つめると、彼女も見つめ返す。そっと口づけすると、拒まない。もっと、強く口づけすると、彼女がもっと強く返してくる。だんだん口づけが激しくなったところで、はっと目が覚めた。

 この夢も非常にリアルだったので、何だかずいぶん得をしたような、幸せな気持ちだった。

 思えば、何十年も何の進展のない、ママとの関係だが、一度、食事でも誘ってみようかなと思う。

 

 インドの聖者、ニサルガッタ・マハラジが、何やかやと世界平和のためにといい、世界平和のためにどうすれば良いのかと訴える若者に「ところで君は、一人の人間でも、本当に幸せにしたことはあるのかね」と言った。

一生懸命愛しても、その愛さえうつろい、愛するものが病気にもなれば、事故にあうこともある。愛して甘やかしていれば、人間は我儘にもなる。

 なかなか思うようにはならないのが、人の世だ。

 

 かと言って、思いやりや優しさ正義は美しいと思うし、自分の利益のために人を欺き、人を傷つける奴は好きではない。

 私も強烈に好き嫌いあり、善悪を感じる。しかし、この現実を恨んだり非難するだけでは、決して、人は幸せにはなれない。

 今の自分を肯定していく、今の自分のよさを認める、今の状況をいいなと思う、そして明るく元気よく生きたいものだ。

 紀野一義先生が、一番大切にされたのは「肯定、肯定、絶対肯定」の生き方だ。

 この生き方は、どんな世の中でも、どんな境遇でも、幸せをつかみとる生き方だ。


 世界中の人が、どんな状況でも幸せを感じることができる生き方なのだ、と思う。

 その上で、よりよい社会を作っていかなければならない。

 

 

 

 

 

今は亡き、わが師(紀野一義先生)の教えです。

いかに生きていけばよいのか、わからなくなったときのよりどころとしています。

 

 自誓

 

一、 心ひろびろと、さわやかに生きん。

一、真実をもとめてひとすじに生きん。

一、おおぜいの人々の幸せのために生きん。

 





2023.10  量子論は東洋思想に似ている

 

 昭和30年~40年代のことであろうと思います。

NHKの取材で、デンマークの作家と朝比奈宗源老師が禅について対話しています。

その作家がいやに、禅について詳しいので、その理由を朝比奈老師がたずねたところ、デンマークでは毎日のように、新聞テレビ雑誌で禅についての話が語られているとのことでした。

デンマークはキリスト教の国ですが、聖書に書かれたことは全て真実だという教えには、学者や作家など真実を追求している立場の人間からすると、どうしてもついていけないというのです。

そしてデンマ-ク人で、量子論でノーベル物理学賞を受賞したボアという理論物理学者が「量子論は東洋思想に似ている」と言ったのだそうです。

そういうこともあって、デンマークでは禅が特にブームになったらしいのです。

現在のデンマークが、どのような状況かは知りませんが、そんな時代もあったのです。

 

 般若心経も相対性理論がわからないと理解できないと言った人もいました。

 

 仏教は意外と哲学的、理論的です。

 

 苦しみ悩みも、その原因が何であるか、では、どうすればいいのか懇切丁寧に説明しています。

 

 基本的に大切な教えは、無欲であり、無執着あり、無所有です。他にも色々あるでしょうが、この3つの内、一つでも成就したなら、苦しみ迷い悲しみもなくなり、悟りも得られるではないかと思います。

 

 私も、皆さんも、欲にからまれ執着するものがあり、色んなものが欲しい。

 

 私は、執着しないということを、自分に言い聞かせているのですが、なかなか、徹底することは難しい。

 

 だから苦しんでも、仕方ないと思います。苦しみながら、悩みながら生きていくのだと思います。

 

 しかし、仏の教えやすぐれた仏教者の教えには、よりよく生きるためのヒントがたくさんあります。

 

 私は道元の正法眼蔵を読み、親鸞の歎異抄を読み、良寛の漢詩集を読み、紀野一義先生の書物を読み、人間いかに生きるのか、自分はどのように生きるのか、試行錯誤しています。

 

 現代に生きる人に、よりよく生きるためのヒントは、投げかけていきたいと思います。

 

自未得度先度他(じみとくどせんどた)、自分より先に他人を悟りの世界に導け。自分が悟っていなくても他人をまず悟らせろ。このようなことを、道元禅師や紀野先生はおっしゃっています。 

 

 

 

今は亡き、わが師(紀野一義先生)の教えです。
いかに生きていけばよいのか、わからなくなったときのよりどころとしています。

 自誓

   一、 心ひろびろと、さわやかに生きん。
   一、真実をもとめてひとすじに生きん。
   一、おおぜいの人々の幸せのために生きん。

 

2023.9   宮澤賢治と暁烏敏のこと

 

 十数年前、東北を車で旅したことがあった。

 宮澤賢治の記念館に立ち寄った時、賢治が幼少のころ、仏教夏季講習での参加者の記念写真があり、賢治の父母、妹のトシが写っていたが、その時の講師として暁烏敏が写っていたのである。

 賢治のことは多くの方が知っており、賢治の父は熱心な浄土真宗の信者であったこと、最後は賢治によって日蓮宗に改宗したこともご存じだろうと思う。

 暁烏敏については、知らない人が多いと思うが、大正、昭和時代の浄土真宗大谷派の傑僧である。

 私も、このブログで紹介したことがあるのではないかと思う。

 私は、賢治の記念館の写真を見て、賢治と暁烏敏には接点があったことまでは知っていたのだが、先日、何気なくインターネットでその写真が目にとまって、その写真の掲載記事を読んで驚いてしまった。

 賢治の父と暁烏敏は、非常に親しく盛岡で暁烏敏の講演があるときは、賢治の家に何度も宿泊したという。

 暁烏敏の書き物の中に、宮沢家に宿泊して子供達と天真爛漫に遊んだということが書かれているらしい。

 これは、賢治を含む宮沢家の子供達で、特に賢治のことであったのかもしれない。

 賢治の仏教に関する目覚めは、暁烏敏が大きく関わっていることになる。

 当時、仏教夏季講習での暁烏敏は、歎異抄について講演したようであるが、賢治が友達に書き送った手紙にも、暁烏敏のことや、その教えの一説が出てくるようである。

 

 もとは知らぬうちに浄土真宗の信者として仏教に触れた賢治が、法華経というお経に触れて、日蓮宗系の国柱会の信者となり、家族も改宗させる。

 最愛の妹トシが亡くなるときに、トシは「死んだら、どこにいくのか教えてほしい」と思ったに違いないのに、極楽浄土に行くのだから心配ないと、教えてやることができなかったことを賢治はどう思ったのだろう。

 賢治は作品の中では、死んでも大丈夫だということを書いたものがあるが、本気でそう思ってはいなかったのだと思う。

 だから、妹のトシが死んで、苦しみ悩み、北海道の最北端まで旅をする。

 

 人間にとって死は、そう簡単にはわからない重大な問題である。

 

 私も、いまだに、死んでも大丈夫とは言ってやることはできない。

 でも、嘘でも「死んでも大丈夫だと」いいそうだな。

 ただ、死ぬときは、死ぬのがよい。生きる時には、生きるのが良い。自分が生きることには執着はしないぞ、と思う。

 生きながら、死人となり、なりはてて、思うがままになす、わざぞよき。

 捨てて、捨てて、捨て果てる生き方。

 せめて死んだら、阿弥陀如来や仏様のもとに、できれば、ご挨拶できたらいいな。

 死んでいった人々に、また会うこともあるのであろうか。

 死んだ実母には、恥ずかしくない生き方をしなければいけないな。

 できれば、生きているうちに素敵な人に会いたいな、と思う。

 

 

今は亡き、わが師(紀野一義先生)の教えです。
いかに生きていけばよいのか、わからなくなったときのよりどころとしています。

 自誓

   一、 心ひろびろと、さわやかに生きん。
   一、真実をもとめてひとすじに生きん。
   一、おおぜいの人々の幸せのために生きん。








2023.8
 如来はいまします

 

 明治大正時代に、浄土宗の僧として活躍された弁栄聖者の臨終の言葉は「如来はいまします。衆生はそれを知らない。弁栄は、そのことを知らせるためにやってきた・・・」とのことである。

 世界的数学者として有名であった岡潔先生は、この弁栄聖者を尊敬していて弁栄聖者の言われた「この世界には、まず一大心霊という心があり、その一大心霊の心がこの世のすべてを創りだして、この世界を眺めて楽しんでいらっしゃる。その一大心霊と同じ心を人間にもお与えになって、人間もこの世界を眺めている」ということを言われた。

 一大心霊は、この世界のドラマを眺めて楽しんでいらっしゃるのであろうが、人間の方は、この世界を生きることに、あたふたともがき苦しんでいるといったところであろうか。

 ドラマや映画や小説の世界なら、人間も少しは、その世界を楽しむことができるであろうが、現実世界を楽しむことは、なかなかできない。

 お釈迦様は、苦しみの原因は執着することだから、執着するなと言われたが、紀野一義先生は、苦しみは伴うかもしれないが、愛するものがあれば、とことん愛するという姿勢だった。

 そして、紀野先生は、人生は肯定して(肯定、肯定、絶対肯定)して生きなければならないとおっしゃった。

 法華経のことは、私にはよくはわからないが、法華経の神髄はこの絶対肯定であるともおっしゃった。

 人間が苦しむのは、執着することが原因でもあるが、もう一つ大きな原因が、否定する心である。

 どうしても、自分の現状や、他人や世界を否定してしまう。

 確かに、これは苦しみであり、不安である。

 人間少々、パァーな方がよい、馬鹿一直線、明るくさわやかに生きたいものである。

 (紀野先生は、そんなことをおっしゃっていたなあ・・・)

 

 そして真実を求めるような生き方をすれば、ドラマチックな出来事も起きようというものである。

 それを楽しみたいなー。

 一大心霊だけが、この世を楽しむのではなく、人間一人一人、誰もが、この世界を楽しむ力を秘めていると思うのである。

 

 

 

今は亡き、わが師(紀野一義先生)の教えです。

いかに生きていけばよいのか、わからなくなったときのよりどころとしています。

 

 

自誓

一、 心ひろびろと、さわやかに生きん。

一、真実をもとめてひとすじに生きん。

一、おおぜいの人々の幸せのために生きん。






2023.7
  生きながら 死人となりて なりはてて 思うがままに なすわざぞよき

 

 最近、江戸時代初期の無難禅師の道歌「生きながら 死人となりて なりはてて 思うがままに なすわざぞよき」を、何度も心で繰り返し、自分に言い聞かせています。

 自分に言い聞かせてはいても、この心境になりきることは、できないが、自分なりに、どこかすっきりして、心が少々のことでは動じないなと思う。

 もっとも、こんなことを文章にしてしまったら、せっかくの思いも、すでに霞んできてしまう。

 やはり、大切なことは、心にしまっておくのがよろしいようだ。

 

 なぜ、ならば書くのかといえば、少しは誰かのやくにたてばという思いからだが、はたして、どの程度、お役にたつやらわかりはしない。

 

 お釈迦様の言葉を書き留めたスッタニパータという本があるが、お釈迦様はしつこいくらい執着を捨てろと説かれている。

 執着することが、苦しみの原因であるということだ。

 死人には、この執着がない。だから無難禅師は死人になれというのだ。

 死ねと言っているのではない、生きながら死人となるのである。

 何事も気にしない、執着するなといっているのである。

 それでもって、思うことはやりなさい。

 人目を気にすることもなく、結果を気にすることもなく、やりたいことは、やりなさいよというのである。

 

 人間は失敗したり、おとしめられたり、侮辱されたり、耐えがたいことはいっぱいありますが、死んでしまえば、恥ずかしいの悔しいの苦しいのと、そんなことは一切感じない、気にしない。

 実際に死ぬ必要はなくて、一度死んだものと思って、すべてを捨て去り、執着を離れ、新しい日々を清々と生きていく。

 

 私も、子供のころから、死にたい苦しみ悲しみを経験してきましたが、死にたくなったとき、そのぎりぎりで、きれいさっぱり何もかも忘れて生きなおしてきました。無意識のうちに、生きながらん死んだんだから、何もかも忘れて生きなおすのです。

 結構、明るい生き方です。

 ただし、環境が変わったわけではないですから、同じような問題が繰り返しせまってはきます。

 でも不思議なもので、いつのまにか打たれ強くなっています。

 

 本当に困るのは、自分の命より大切なものを失ったときだと思います。

 人間やはり、心のバランスをくずし、絶望し、精神が病むだろうと思います。

 良き友や、時間が癒してくれるかもしれませんが、やはり医師にも相談した方がよいかもしれません。

 

 これが少し前の日本なら、寺の住職が村の長老に相談したと思います。

 今は、人生経験が豊富で頼れる優しき大人が身近にいなくなりましたね。

 

 

 

今は亡き、わが師(紀野一義先生)の教えです。

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一、 心ひろびろと、さわやかに生きん。

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2023.6  純粋に生きることの難しさ

 

 純粋であるとか、優しいとか、簡単に言葉にするけれど、その生き方は非常に困難を伴い難しい。

 麗しき乙女も、優しき乙女も、天使のような乙女も、この世の荒波にもまれ、その純粋の心、優しき心がいつしか失われてしまう。

 ある人が、女一人生きていくということは大変よ、と言った。

 長いものに巻かれというけれど、自分の意志に反しても生きていかなければならないことは、男も女もよくあることだ。

 翻って自分は、不器用で、長いものに巻かれることができずに、浮き草のように、職場を転々とした。

 だから、わかる。同じように不器用に生きる人間が・・・。

 酒場で酒を飲んでも、妙に気があうのは、そんな人間だ。

 女性でも、妙に気が合うのは、そんな人間だ。

 でも心と心がふれあい、妙にお互いほっとしている。

 それだけでも人生は、生きている喜びではないだろうか。

 

2023.5 諸法実相、すべてがあるがまま。

 善も悪もなく。

 

 しかし、わたしの心に響き喜びとなるのは、たまに、いい奴(男も女も)と、巡りあえること。

 

 

今は亡き、わが師(紀野一義先生)の教えです。
いかに生きていけばよいのか、わからなくなったときのよりどころとしています。

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   一、 心ひろびろと、さわやかに生きん。
   一、真実をもとめてひとすじに生きん。
   一、おおぜいの人々の幸せのために生きん。


  人が生まれるとき、山河大地も、また生まれる

 

 私は、今でも紀野一義先生の書かれた本や、講話のCDを読み聞き続けている。

 これだけ繰り返し読み続けているのは、紀野先生の本とCD、そして東郷豊治氏監修の良寛詩集だけである。

 良寛詩集に関しては47年間のおつきあいになる。

 良寛は曹洞宗の僧であり正法眼蔵の言葉一つ一つが珠玉のようだといっている。

 紀野先生の正法眼蔵のCDを聞いていると、正法眼蔵は非常に難解だとおっしゃっている。

 CDの一番最初のお話しが「唯仏与仏の巻」なのだが、その中で、道元は「人が生まれるとき、山河大地も、また生まれる」と言っている。

 これは道元がいったのではなく、古仏(どの仏と特定されているのではない、ある昔の仏)がいったのであるが、この言葉を解釈するのは、道元自身も非常に難しいと言っている。

 また、しかし、この古仏がいった言葉は、なかなか無視できない言葉であるから、よくよく考えてみないといけないと、道元は言っている。

 そして、この言葉が間違っているというのは、古仏をそしることになるから、しっかりと考えなければならない問題だと言っている。

 

 それでは、どういうことかといえば、山河大地はすでにあるのであるが、それとはもう一つ、すでにある山河大地の上に、もう一つの山河大地が、人が生まれるとともに生まれるというのである。。

 そして人が悟るとき、また山河大地も悟るというのである。

 

 私も、おそらく、この問題は、簡単には理解できないであろうと思う。

 しかし、そうかわかった、ありがとう、という人もいるかもしれない。

 私が、よくわからないからと言って、他の人がわからないとは言えない。

 そう思って、この言葉を書いてみた。

 

 

今は亡き、わが師(紀野一義先生)の教えです。
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   一、おおぜいの人々の幸せのために生きん。






2023.4
  67歳の誕生日を迎えて

 

 4月23日に67歳の誕生日を迎えた。

 息子と、30年前から通っているスナックのママから、ラインとショートメールで「誕生日おめでとう」のメッセージが届いただけで、何の変化もない1日だった。

 誰でもそうなのかもしれないが、20代の自分と、心の心情のようなものは、あまり変わっていないなと思う。

 人間、いかに生きるか。いかに生きるのが良いのか。永遠なるもの、真実のひとかけらを求めて、生きてきたと思う。この思いが、体制の中、組織の中、人間関係の中で、突然、軋轢から爆発して、組織や人と決別してきたように思う。

 長いものにはまかれろ、といった、妥協がなかなかできない性格で、激しい態度や言葉で、相手を傷つけたことも多かったと思う。

 誰だって、自分を強く否定されたら、嫌だろう。

 

 中学生のころ、正義感に燃えて、突っ走しっていた時代がある。そんな僕に「正直に生きたいという気持ちはわかりますが、時に、その正直さが人を傷つけることがると思いませんか」と言われたことがある。

 僕の発言が、僕の知らないところで、人を傷つけていたのだ。

 

 このブログでも感謝の言葉をいただくこともあるが、ひどく、傷ついたという言葉をいただくこともある。

 なぜ書き続けるのかと言えば、誰かの心に、よりよく生きるヒントのようなものを、届けたいからだと思う。

 

 やはり言葉には、力がある。

 

 もうそろそろ、悟りのようなものを掴みたいと思うが、まだまだである。

 

 多くの人が、悩み苦しみ悲しみを乗り切る力がほしい。

 

 そうして笑顔と優しさをもって生きていきたい。

 

 

 

 

今は亡き、わが師(紀野一義先生)の教えです。
いかに生きていけばよいのか、わからなくなったときのよりどころとしています。

 自誓

   一、心ひろびろと、さわやかに生きん。
   一、真実をもとめてひとすじに生きん。
   一、おおぜいの人々の幸せのために生きん。






 

 

2023.03  肯定する力

 

 我が師の教えは何だったのだろうかと考える。

 

 私なりに解釈しようと思う。

 

 先月も書いたと思うが、人間は本来全員救われており、いずれは仏にでもなろうかという存在である。

 そのことは、仏教の経典にも書かれているのだから、誰も否定はできないだろう。

 どんなえらそうなことを言っても成しても、長い宇宙の時間の流れの中では、チリのようなものだ。

 だから、何があろうが、どんな人間だろうが、放って置けばいいようなものだ。

 しかし、困るのは、現実問題として、人々が不安に怯え、欲望にからめられ、悲しみ苦しむ姿だ。

 もっとも、他人事ではなく、私も、無意識のうちに、悩み不安を感じることが多々ある。

 なぜ、悩み不安を感じたりするのか。

 それは、いつの間にか、現状を否定しているのですね。

 

 いくらお金があっても、才能に恵まれていても、健康でも、自分を、現実を、肯定できなければ苦しむ。

 貧乏でも、不器用でも、病気でも、自分を、現実を、肯定できれば幸せだ。

 

 右腕を、事故で切断して失くしても、まだ左腕があってよかったと思う。

 右腕を、失くして、今まで見えなかったものが見えるようになることもあろう。

 今日も一日生きている。ありがとう、ええなあ。と、思う。

 

 ややもすると、人は絶望します。不安にかられます。

 そんな否定的な思いの時に、逆に、ええなあ、と思う。

 少しくよくよしても、もう駄目だと思うくらいくよくよしても、最後は、肯定して、ええなあ、と思う。

 この生き方なら、どんな状況下でも、安心と幸福感は得られる。

 

 具体的に肯定なんて、そう簡単にはできないかもしれないが、肯定することが大切だ。

 やはり、想像力、思考力、たまたまのめぐりあわせ・・・。

 

 不運の中、不幸の中、明るく元気よく生きている人には、この肯定する力、思い、想像力があるのだと思う。

 そして、我が師は、この肯定する生き方を大切にされたのだと思う。

 

 「ええなあ、ええなあ、ほんまにええなあ」私も、しばらく、意識的にこんな生き方を実践していこう。

 

 

今は亡き、わが師(紀野一義先生)の教えです。
いかに生きていけばよいのか、わからなくなったときのよりどころとしています。

 自誓

   一、 心ひろびろと、さわやかに生きん。
   一、真実をもとめてひとすじに生きん。
   一、おおぜいの人々の幸せのために生きん。
















2023.2
 すべての衆生は救われている

 

 今から40年ほど前、東京のホテルに宿泊したときに、仏教聖典を初めて読んだ。

 ホテルの一室に聖書と仏教聖典が並んで置かれていた。

 非常に興味深く読み、ホテルのショップで買い求め、友達にも紹介したものだ。

 仏がすべての衆生を救うことができないのなら、私は悟らないという誓願をたて、悟りを得て仏の誓願が成就したと書かれていた。

 この一文が妙に気になったものだ。

 それでは、すでにすべての衆生は救われているということではないのか。

 この疑問が、時々、脳裏をかすめる。

 

 浄土三部経を読んだとき、大無量寿経には阿弥陀如来の48の誓願というものが書かれており、第18番目の誓願が「阿弥陀如来の名前を呼ぶ者はすべて、阿弥陀如来の極楽浄土に生まれさせることができないなら、私(阿弥陀如来)は悟りを開かないという誓願をしたうえで、誓願が成就したことになっている。

 ようは「南無阿弥陀仏」と阿弥陀如来の名前を呼べば、極楽浄土に生まれるのだ。

 そんな、ことがあるのであろうか。

 もっとも、極楽浄土は美しく楽しいばかりで、何となく退屈そうで、極楽浄土に生まれなくてもいいと思っていたら、そういう人間は阿弥陀如来の救いから除くと書かれているから、おそれいったものだ。

 さすがに、私も、気弱になったときには、極楽浄土もいいかもしれないと思う。

 苦しみ悲しみがあってこそ、本当の幸せをかみしめることができるのではないかと思うが、苦しみ悲しみが続くと、極楽浄土のような安心の世界でしばし休憩したいと思う。

 

 般若心経を読むと、過去現在未来の諸仏がこの上ない悟りを開かれたのだから、安心しなさいと書かれている。

 立派な仏様達が、衆生を救うために、すでに悟りを開いていらっしゃるのだから、みんな救われているということが真実のようである。

 それが何とも、わからないから悩み苦しみ悲しむのであろう。

 いや、この悩み苦しみ悲しみが大切ということかもしれないな。

 

 最近紀野先生の「人生は捨てたもんじゃない」という本を読んでいたら、法華経の方便品には「すべての衆生が仏と等しく仏にならないなら悟りを開かないという誓願をたてて仏は悟りを得た」という内容のことが書かれているということがわかった。

 法華経はお釈迦様が説かれたお経だから、お釈迦様が、そのような誓願のもとに悟りを開かれたということであろうかと思う。

 ましてや、法華経には「常不軽菩薩品」というのがあって、常不軽菩薩はたえず「あなたは仏になられる方です。決して軽んじません」と、誰に向かっても礼拝したという。

 

 知れば知るほど、私たち皆が、すでに救われており、仏にもなり、極楽浄土にでも生まれることができる人間のようである。

 

 しかし、このことが、ピンとこない。困ったものである。そして、わからないまでも、そうらしいと思えるから、少しは安心かな・・・というところであろうか。

 

 皆様は、こんなことを少しは考えたことがおありであろうか・・・。

 

 やはり、このあたりは、人それぞれに思い考えたりしていくしかないのかもしれないが、少し、参考になったと思っていただければ幸いです。

 

 

ずいぶん後になって気づいたのだが、仏教聖典の編集のための戦後の第1回目の結集のリーダーの名前として巻末に紀野一義先生の名前が掲載されていた。

 

 紀野先生とは知らない間に、やはり深い因縁があったのですね。

 

 

 

今は亡き、わが師(紀野一義先生)の教えです。
いかに生きていけばよいのか、わからなくなったときのよりどころとしています。

 自誓

   一、 心ひろびろと、さわやかに生きん。
   一、真実をもとめてひとすじに生きん。
   一、おおぜいの人々の幸せのために生きん。












2023.1   お経の一文も知らなくてもよい

 

 「悟るためには、お経の一文も知らなくてもよい」ということが書かれていたことを、ふと思い出しました。

 紀野先生の著書にも書かれていたと思います。

 おそらくは道元禅師とか、悟りを開かれた立派な方々がおっしゃたのだと思います。

 道元禅師は、僧は貧乏であることが良いとおっしゃるし、知識教養、本を読むことなども必要ではないとおっしゃる。

 「自未得度先度他(じみとくどせんどた)」自分よりも他人を本当に幸せにしたいと願う心が起きたなら、それは悟ったも同じだとおっしゃる。

 この心があるようでない。またないようである人もいるともおっしゃっている。

 また、ここのところが、なかなか見極めが難しいともおっしゃっている。

 一時的に、このような心を持つことができても、たちまち、いや、いつのまにか自分の幸せを中心に考えるようになってしまう。

 他人の幸せを心から願い、それが永続するということは、なかなか難しい。

 あの人は、仏様のような人だと、時々言われる人がいる。

 はたして、それは本物か偽物か、たまたまその時が、仏様のようであるのか。

 

 私は、江戸時代後期に生きた良寛というお坊様に強く心ひかれてきた。

 一生を小さな庵で乞食の僧として過ごし、藩主からお寺を寄進すると言われても拒み、子供らと夢中になって遊んだりしたお坊様。

 晩年は、髪も伸びたままのこともあったりで、坊主なのか神主なのか乞食なのかわからない風体だと自分のことを言っている。

 でも道元禅師の正法眼蔵のすばらしさ、お釈迦様の教えのすばらしさしみじみと感じながら、人々を済度することを願っている。

 良寛は、多くを語らなかったから、自分の生き方で、仏の教えを伝えたということだろうか。

 紀野先生も良寛のことが大好きで、良寛の歩いた道を自分の足で歩き、良寛を身体で感じていらしたのだと思う。

 ものぐさな私でさえ、良寛が過ごした五合庵、出雲崎、木村家と尋ね歩いたのはなぜだろう。

 良寛の墓を見た瞬間、お墓が光につつまれた時、あの妙な照れくささは何だったのだろうか。

 

 良寛が修業した岡山県玉島市の円通寺に、仙桂和尚というお坊様がいらした。

 良寛よりかなり年配であった仙桂和尚は、座禅することもなく、お経を読むこともなく、ただ畑で野菜作りをして、みんなに与えているだけの生活を送っていたお坊様です。

 その仙桂和尚のことが、晩年の良寛に思い出されて「なぜ自分は仙桂和尚のことを見てわからなかったのだろう。仙桂和尚こそが、真の道者だった」と言っています・・・。


今は亡き、わが師(紀野一義先生)の教えです。
いかに生きていけばよいのか、わからなくなったときのよりどころとしています。

 自誓

   一、心ひろびろと、さわやかに生きん。
   一、真実をもとめてひとすじに生きん。
   一、おおぜいの人々の幸せのために生きん。










2022.12
  年末を迎えて

 丸の内線の新高円寺の駅近くに住んでいるのだが、今、青梅街道沿いの銀杏並木が色づき落ち葉が舞う。

 何だかいつもより遅い季節の移ろいだと思うが、気温はマイナス1度、マイナス2度とそれなりに真冬の寒さだ。

 やけに青い青空と白い富士山を7階から眺めたり、夕陽も夕焼けも、むしょうに人恋しくなる。

 六十六歳の年末も、青春時代の年末も、あまり変わっていないと思うのだが、何か病気にでもなれば、いっきに老け込みそうだなと思う。

 一休禅師は、新年早々、シャレコウベ(髑髏)を杖に挿して「御用心!御用心!」と京都の街をねり歩いたそうだ。

 いずれは死ぬぞ、今日死ぬかもしれないぞ、明日死ぬかもしれないぞ。「今のままで、それで良いのか!」

 一休さんは、何を伝えたかったのだろうか。

 

 今のままでもいいですよ。

 ただ、欲望や煩悩に心を焼きつかされ。

 病や死に怯え苦しむ衆生。

 やはり、日々安心して、心ひろびろと生きるには、それなりに修業のようなものが必要だ。

 良き師にめぐり逢い、学び実践していかねならない。

 

 私は、紀野一義先生に巡り会えたことが、とてもありがたいことなのだと思う。

 しかし、いまだに、先生の教えが何だったのか説明することはできない。

 先生は、できる限りわかりやすく教えていらしたのだが、やはりそう簡単にはわからない。

 わからないまでも、それなりにわかり、それなりに幸せだ。

 

 

今は亡き、わが師(紀野一義先生)の教えです。
いかに生きていけばよいのか、わからなくなったときのよりどころとしています。

 自誓

   一、 心ひろびろと、さわやかに生きん。
   一、真実をもとめてひとすじに生きん。
   一、おおぜいの人々の幸せのために生きん。








2022.11.  ショウキョウという山について
 
私は、中国山地の山深い町の出身だ。
私がまだ小学生の昭和30年代までは、我が家の炭焼き小屋が、ショウキョウという山の中腹にあり、一人でもよく登ったものだ。
小学校の校歌はショウキョウサンカフクカゼニ、ニワノサクラガニオウトキ・・・だった。
ショウキョウといえば、山の名前で、ただショウキョウ、ショウキョウとだけ、意味など考えもせずに、山の名前を口にしていた。
近辺には羅漢山、恐羅漢山、深入山と、山の名前らしい名前のついた山が多くある。
ショウキョウは標高810メートルほどの、取るに足らない我が村にそびえる小さな山だ、と思っていた。
ところが、このショウキョウは正教という名称であることに数年前気づいて、どきりとさせられた。
なぜ、正教という名前の山になったのか、調べれば何らかのいわれがあるはずだ。
正教山という名前の山は、全国に一つしかない。
当然世界で一つしかない山の名前だ。
 
子供の時に読んだ童話に、ある男が金剛石を求めて、国中を歩きまわった。
しかし、金剛石を見つけることができないまま、年老いて故郷に帰ったところ、探し求めていた金剛石は故郷の谷川にあったのだ。
 
私自身も子供の頃、石の採集もしていたくらいだから、妙に、心に残る話しだった。
 
私も、何か大切なものを故郷で見落としているようで、故郷に帰らねばならぬのかもしれないという思いがよぎるのだ。
本当に、真剣に考えねばならないかもしれない。



今は亡き、わが師(紀野一義先生)の教えです。
いかに生きていけばよいのか、わからなくなったときのよりどころとしています。

 自誓

   一、 心ひろびろと、さわやかに生きん。
   一、真実をもとめてひとすじに生きん。
   一、おおぜいの人々の幸せのために生きん。


2022.10  不安と安心(正師)
 
 人間生きていると、心配事や不安に心を痛めるものだ。
 歳をとれば、人生がわかって、不安などなくなればいいようなものだが、そうはいかない。
 歳とともに、よきせぬことで、やはり不安になることもあるようだ。
 私の場合には、いつ死んでもいいと思っているし、病気になったら、それはそれでしかたないと思っている。
 どれだけ貧乏になろうが、貧乏生活をそれなりに楽しめるのではないかとも思っている。
 ということで、自分の人生に不安はほとんどないのだが、子供が苦しんいる姿は、さすがに身にこたえる。
 しかし、子供も、いずれ何とかなるだろうとは思っているし、以前に比べれば、何とかやっているので、実際のところ、やはり、あまり気にしていない。
 老後も、一人で過ごすより、愛すべき人と静かに暮らせたらと思うが、相手側に、私ほどの覚悟がある女性は見当たらない。
 
 私は、はた目には、しっかりものの優しい男性だが、私の内面は、なかなか一筋縄ではいかない。
 しかし、誰しも、心のどこかで、何かが違っていると思っているのではないだろうか。
 多くの人が、自分を否定し、他人を否定し、かといって、どのように生きればよいかという、しっかりした人生観、倫理観、哲学観、宗教観をつかめずにいるのではないだろうか。
 
 本来、宗教は、人間の生き方を教え、心の不安を取り除いて安心を与える役割をはたしてきたのだと思う。
 最近の宗教は、そこのところが、きちんとできていない。
 それどころか、人の心の不安につけこんで、利用していることが多い。
 
 正師(せいし、正しい師)とは、その人に生きる喜びを与えてくれるという。
 正師が、増えなければならない。
 師のない仏法はないそうである。
 それだけ師は大切なのである。
 良き師が増えてくれることを願う。



今は亡き、わが師(紀野一義先生)の教えです。
いかに生きていけばよいのか、わからなくなったときのよりどころとしています。

 自誓

   一、 心ひろびろと、さわやかに生きん。
   一、真実をもとめてひとすじに生きん。
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2022.09.29  あわただしい日々
 
 最近、新しい仕事にかかわり、忙しい日々を送っている。
 このブログもぎりぎり、月末をむかえた。
 いつこのブログをはじめたのかも、さだかではないが、毎月欠かさず掲載してきた。
 何とか、今月も書かねばと思う。
 どうせ書くなら、少しでも人のやくにたつようなことを書こうと思ってきた。
 
 そんなに難しいことではない、お釈迦様の言葉や、すぐれた仏教者の言葉を引用すれば、それだけで何か人様の役にたつというものである。
 お寺の門前には、このような教えの言葉がよく書かれていて、それなりに感心したり、参考になることも多い。
 できれば、ぐっと胸にひびきわたるような言葉や教えを伝えたいものだ。
 そのために、あれやこれやと、考えていると、この短いブログでも、なかなか筆がすすまない。
 書きたいことや、伝えたいことは山ほどあるのだが、今、何を伝え、今何を書くのかということになると、さっぱり書けなくなる。
 
 今月書こうとしていたのは、以前にも書いた記憶があるのだが、無難禅師の言葉である。
 解説などはぜずに、ただその言葉のみを掲載する。

    「生きながら、死人となりて、なりはてて、思いのままにするわざぞよき」




今は亡き、わが師(紀野一義先生)の教えです。
いかに生きていけばよいのか、わからなくなったときのよりどころとしています。

 自誓

       
一、心ひろびろと、さわやかに生きん。
   一、真実をもとめてひとすじに生きん。
   一、おおぜいの人々の幸せのために生きん。



2022.8.   肯定 肯定 絶対肯定 (肯定する力)
 
 最近は、スマホで世界中の人々の日常生活を写した動画を見ることが多い。
 国が違い、民族が違い、気候風土が大きく異なるなかで、人間の本質のようなものは、あまり違わないのだなと思う。
 東南アジアの両手のない若い女性が、両足を使って洋服を着替え歯磨きをし食事を作り、お化粧も上手で、着こなしも上手で、チャーミングで、その生活は両手がないことがわからなく程である。
 今日本でも、高校生のときに交通事故で両足を失った若い女性が、モデルとして活躍している。
 彼女は、交通事故を起こした加害者の人に、事故を起こしたことを気にして悩まないでほしいという。
 だから加害者が特定されてしまうようなことは避けてほしいと思っているようだ。
 両足を失ったことを、不幸だとは思っていないという。それはそれで良かったのだという。
 彼女の笑顔も素敵だ。
 
 寝たきりの青年がいる。パソコンを口にくわえた棒で操作する。そしてインターネットを使って商売を始めた。
 150円の利益が出たことが、非常な喜びだったという。
 
 私たちは、不幸せに思えること、様々な苦難に巡りあうと、ややもすると悲観し絶望し、苦しみに陥ってしまう。
 
 一時は、悩み苦しむ悲観し絶望するのも良い経験となるであろう。
 しかし、そこに長くとどまっては、大切な人生(いのち)が、もったいない。
 
 どのように人生を肯定していくのか。
 上記に書いた3人の生き方も、参考になるのではないだろうか。
 
 わが師は、人生は肯定、肯定、絶対肯定!!何があっても「ええなあ、ええなあ」と声を出して言うぐらいでないと
駄目だとおっしゃた。
 
 コップに水が半分入っている。その事実に対して人は「もう半分しかない」「まだ半分もある」「あの水はまずそうだ」「あの水はうまそうだ」「ひょとして貴重な魔法の水なのだろうか」と様々なことを思う。その思いを肯定的な思いにしなさいということだ。
 
この肯定する力があれば、世界中どこにいても、どんな苦難があっても、幸せ、喜びを感じることができるのだろう。
 
死んだらどうするんだ!!死後の世界も、そんなに悪いものではないと思う。ここは、是非とも体験したいものだ。
 
円覚寺の朝比奈宗源老師は、よく言われたそうである「我々は、仏心から生まれ、仏心の中に生き、仏心の中に命をひきとる」
 

今は亡き、わが師(紀野一義先生)の教えです。
いかに生きていけばよいのか、わからなくなったときのよりどころとしています。

 自誓

   一、心ひろびろと、さわやかに生きん。
  一、真実をもとめてひとすじに生きん。
  一、おおぜいの人々の幸せのために生きん。









2022.07  あとを継がせる気はない
 
 紀野一義先生は、1922年(大正11年)8月9日のお生まれである。
 来月は、生誕100年ということになる。
 私のところにも、何かお祝いや集まりはあるのかと、ぽつりぽつりと問い合わせが入っている。
 8月9日は火曜日で、普段なら仕事で休めないのだが、代休で休めることになった。
 一人墓参りする予定だが、久しぶりに会いたい仲間もいる。
 ばったり会うというのも、良いかもしれないが、電話でもしてみようかとも思う。
 
 紀野先生を主幹とする真如会は、多いときは1000名以上だったのであろうと思うが、先生の晩年は300名程度だったと思う。
 先生は、自分の息がかかる程度、自分が面倒をみれる人数だけいれば良いというお考えだった。
 会を必要以上に大きくするお気持ちはなかった。
 自分が死ねば、真如会も、それで終わり。
 誰かに継がせる気はないとおっしゃっていた。
 
 この真如会の会員の中には、各宗派の管長クラスの方が何人かいらっしゃる。
 その方々の心の中に、在家の一般の会員の心の中に、一粒の種が芽生えるのでないだろうか。
 
 先生は、仏教を誰にでもわかるように、お話になった。
 また道元、親鸞、日蓮、良寛、明恵上人など、様々な仏教者の生きざまを教えてくださった。
 それと同じように現代に生きる、ごく普通の人間の生き方、生きざまを紹介してくださった。
 
 その教えの究極にあるものは何かと言えば、誰もうまく表現できないのではないかと思う。
 
 それでもあえていうならば、人の一生なんて何をなした、なさなかったといっても、たいした違いはないですよ。
 自分を否定しまっていることが多いでしょうが、人生は、肯定して生きなさい。
 そして、心ひろびろとさわやかに生きなさい。
 そして、真実を求めていきなさい。
 そして、おおぜいの人々の幸せを願う生き方をしなさい。
 そういうことを大切にして生き、心と心のふれあいを大切にしなさい。
 心にずしんと響くようなことを見たり、聞いたり、体験しなさい。
 思いきりよく生きなければ駄目ですよ。
 
 私たちは、仏のいのちから生まれ、やがては仏のいのちの中に帰っていく。
 
 

今は亡き、わが師(紀野一義先生)の教えです。
いかに生きていけばよいのか、わからなくなったときのよりどころとしています。

 自誓

   一、心ひろびろと、さわやかに生きん。
   一、真実をもとめてひとすじに生きん。
   一、おおぜいの人々の幸せのために生きん。








2022.6.  信心と人間いかに生きるかということについて
 
 紀野先生が八十八歳の米寿を迎えられるので新しくCDを制作しようということで、放送局に勤めているW君や数名で先生のお話しを録音したことがある。
 私は、その頃、毎月8日前後は先生の御伴をしていたのだから、いくらでも先生に質問をすることができたのだが、一対一でいるときに先生に質問したことは、あまり記憶にない。
 その日だけは、やはり聞いておきたいなと思い「人間いかに生きるのが良いのかといことについてお話しください」と、お願いした。
 先生は、
 「人間いかにいきるかという問題は、なかなか結論が出ない。だから人は、途中でやめてしまう。そんなことでは哲学の勉強はできないよね」
 とおっしゃった。確かに多くの人が、考えることをやめてしまう問題なのかもしれない。
 私も、いまだに考えているけど、結論は出ていない。
 また、この問題が哲学の問題だということは、仏教とは違うということかもしれない。
 
 私は、今も、哲学的、学問的、知識的に仏教をわかろうとしているのかもしれない。
 
 仏教は、衆生無辺誓願度(しゅじょうむへんせいがんど)、すべての人々を幸せに導こうという願いを大切にしている。
 ありがたい教えだけれど、そこに命までかけようとは思わない。
 信心とはいうけれど、なかなか仏を信じることも難しい。
 仏の力で奇跡でも見せていただければ、多くの人が信じるだろうけれど、仏は神通力など特別な力を使うことを否定していらっしゃる。
 私たちは、自分の人生の中で、しみじみと仏の言葉や、優れた仏法者の言葉を聞き、そしてそれぞれの仏法の師にめぐりあい、仏を信じるようになるしかない。
 厳しい修業などをして悟りを開くことは、ほとんどの人ができない。
 ましてや、今現在では、お坊様を含め、悟ったものなどいないのかもしれないと思ったりもする。
 おそらく、悟りとは、虚空を感じ取り、生きながら死んで死にぬき、自分というものがなくなり、ただある、というような世界なのだろうという予測はできる。
 簡単に言えば、自分のことなど一切考えず人の幸せを心底願えるような世界だろう。
 いやいや、何にもない、無の境地。天地いっぱいにひろがる自由な世界。
 
 いくら表現しても、わからないものは表現しきれない。
 おまけに、悟っても、それは説明などできない世界だというから、どうしようもない。
 
 そういえば、私は先生に何気なく聞いたことはある。
 「先生には、悟りがありますか」
 先生は、
 「あるよ。それでなければ仏教について、みんなに語ったりはできないよ。」
 私は、さらに聞いた。
 「その悟りはどんなものなのですか」
 先生は、
 「まあ、紀野教(キノキョウ)だな」
 
たぶん池上本門寺に向かう車の中で、渋滞中に質問したのだと思う。
先生は、さりげなくジョークを交えられるから、ひょっとすると、
 「昨日(キノウ)は今日(キョウ)だな}
という、言葉にひっかけられたのかも知れない。
 
先生は、仏教は一元論だとおっしゃる。
神も仏も私も一緒。
過去も現在も未来も一緒。
というような世界を、キノキョウ(昨日は今日)と、私をからかっておっしゃたのかも知れない。
 
 
まあ、おそらく考えても考えても哲学的、学問的、知識的なものでは悟りは得ることができない。
 
 先生は、町中の小さなお地蔵様でも、さっと手をあわせて礼拝される。
 谷中の全生庵で法話の席に着く前に、本堂のお釈迦様の前を通るときには、誰も見ていないけれど、両手を合わせて深く礼拝される。
 先生を見ていると、仏様はいらっしゃるのだなと思わされてしまう。
 しかし、私には深い信心はない。
 でも先生にお会いして、仏様はいらっしゃると感じることができただけでも幸せだ。
 
 仏に手を合わせたことがないような学者が、仏教を語るのが、今の世の中だ。
 仏教は学問ではないですよ。
 
 仏を信じ、敬っていらっしゃる方も多いことと思います。
 そういう思いを大切にしてください。
 
 
「いかに生きるか」。
先生はおっしゃた。
「自分がいいと思えば、それでいいじゃないか。人から良くおもわれようなんて、そんなことじゃ駄目だ」
はい、もっと自分らしく、生きます。





今は亡き、わが師(紀野一義先生)の教えです。
いかに生きていけばよいのか、わからなくなったときのよりどころとしています。

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一、心ひろびろと、さわやかに生きん。
   一、真実をもとめてひとすじに生きん。
   一、おおぜいの人々の幸せのために生きん。








2022.5   思考は現実化する
 
 「思考は現実化する」という言葉を聞いた方は多いと思います。
 私も若い頃、ナポレオン・ヒルの「思考は現実化する」という本を読みました。
 ジェームズ・アレンの「原因と結果の法則」も、思いが人生を創るといっています。
 「念ずれば花ひらく」という仏教詩人である坂村真民さんの詩も有名です。
 「一念岩をも通す」「切に思うことは叶う」と、この思いというか心が大切であることは、間違いないようです。
 
 世界的数学者であり教育者であった岡潔先生は「この世界には、まず心がある。この心がこの世界を創り、ながめて楽しんでいる。
 それと同じ心が人間にある。人間もまた世界を創り、ながめて楽しんでいる・・・・」
 後半部分は、私の勝手な解釈であるかも知れませんが、このようなことをおっしゃった。
 
 残念ながら、一人一人の人間が、この世を楽しんでいるようには思えません。
 あまり楽しめないのは、私の心がよくないのか、創造力がないからなのか。
 
 いずれにせよ、心というものが、現実社会に大きく影響を与えているのです。
 この心を何とかしないことには、美しく平和な世界は築けないと思います。
 
 本当の幸せは、政治では築けない。
 
 私が、求めているのは、この心ということなのかもしれない。
 
 私は、我が師がおっしゃった「黄金の70代」を目指しています。
 
 人生というものが、まだまだわからない。
 
 今、66歳。
 
 いつ死んでもおかしくない年頃だが、命ある限りは、人々の本当の幸せについて、しっかりと語れる人間になりたい。


今は亡き、わが師(紀野一義先生)の教えです。
いかに生きていけばよいのか、わからなくなったときのよりどころとしています。

   自誓
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  2022.4  プーチンのストレス(自業自得)
 
 ウクライの小学校の教科書ではを松尾芭蕉を習い、高校の教科書では川端康成の千羽鶴を習うのだそうだ。
 日本でも私の中学生の時にはウクライナ出身のガルシンの「信号」という短編を習った。
 ウクライナの人には親日家が多いという。何か相通ずるものがあるのだろうか。
 
 プーチンは世界の大国としての強いロシアを築いたスターリンを尊敬しているようである。
 スターリンは、やはりウクライナを迫害している。ライバルや敵対するものは処刑し毒殺している。
 同じくプーチンは、敵対するものを虐殺し毒殺している。
 まるで罪の意識はないようであるが、スターリンは鉄に囲まれた寝室を複数作り、どの部屋で就寝するかは誰にも教えなかったようである。
 いつか自分が殺されるかもしれないという恐怖感は十分あったようである。
 脳溢血で倒れたスターリンは、鉄の部屋で倒れ、発見が遅れて死にいたったという。
 もっとも暗殺(毒殺)されたのではないかとも言われてもいるのだが・・・。
 
 プーチンも、側近との会議でも人をそばには寄せ付けない。
 会議の席でプーチン一人が、遠く離れた姿は異様である。
 当然寝室も、人を寄せ付けない。
 そのことが幸か不幸か。
 いざという時に、誰も助けてくれない。
 
 プーチンには二人の娘がいるそうだ。
 プーチンは、この娘を溺愛しているとのこと。
 もしプーチンの娘が、まっとうならプーチンを批判するであろう。
 
 そして今、世界の多くの人々がプーチンを批判している。
 プーチンには、この世界の声が届かないのだろうか。
 
 いくら言い訳をしても駄目である。
 プーチンは、今、悪人である。
 
 欲にまみれ、驚くほどの執着心を持ったプーチンは、多くのものを手に入れただろう。
 しかし、その欲と執着が苦しみと不安の原因であることを知らないのであろう。
 
 今、プーチンは最大の苦しみを味わっている。
 これから益々、その苦しみは増大する。
 やがては病み、死んでいくだろう。
 病まなくても毒殺されるか、銃殺されるだろう。
 
 お釈迦様の弟子に一人、王様がいた。
 出家して、本当に幸せになったという。
 誰もが信じなかったが、王様は「いつ他国に侵略されるか」「いつ殺されるか」といった心配がなくなって、本当に幸せだという。
 
 プーチンも苦しいだろうから、できることなら、よくよく反省して、停戦しほしい。




今は亡き、わが師(紀野一義先生)の教えです。
いかに生きていけばよいのか、わからなくなったときのよりどころとしています。

   自誓
   一、心ひろびろと、さわやかに生きん。
     一、真実をもとめてひとすじに生きん。
     一、おおぜいの人々の幸せのために生きん。








2022.3.22  お釈迦様と戦争
 
 今の、ロシアによる武力侵略は戦争です。
 ロシアというより、プーチンが一番悪い。
 諸悪の根源です。
 プーチンは国内に1000億円を超える豪邸をいくつも築き、私利私欲で動いています。
 ロシアの皇帝、世界の皇帝にでもなろうとしているのでしょうか。
 今までも、敵対する自国のロシア国民を毒殺し射殺してきた、犯罪者です。
 大統領なら人殺しも許されると思っているのでしょうか。
 遂には、武力をもって他国を侵略し、一般人も平気で殺していきます。
 歴史に残るであろう、犯罪者です。
 ただ、その歴史が、今後も続かないかもしれないほど、世界は危機的状態です。
 世界中が、プーチン批判をしないと、プーチンやその側近は考えを変えないでしょう。
 
 プーチンよ、世界はおまえを見ているぞ。
 世界中の人が、プーチンの嘘に気づき、プーチンが殺人者であると思い始めているぞ。
 この思いが、プーチンに届け。
 プーチンの側近に届け。
 
 
 ところで、仏教は、戦争に対してどのような考えなのだろうかと、考えてみました。
 お釈迦様は釈迦族の王子でした。
 釈迦族はお釈迦様の父である浄飯王(じょうぼんおう)が善政を行っていたので、国民は幸せに暮らしていました。
 お釈迦様が出家されたあと、釈迦族の国は近隣の国から攻め込まれました。
 一度は、お釈迦様が、敵国の軍隊の前に立ちはだかり、軍隊を撤退させました。
 二度めは、神通力をもって、敵国の侵入を防ぎました。
 しかし三度目は、お釈迦様は何もなさらず、釈迦族の国は滅亡したのです。
 釈迦族は、滅亡しても多くの親族は出家してお釈迦様の弟子となっています。
 十大弟子の一人は従妹のアーナンダ、もう一人は息子のラーフラです。
 
 年老いた十大弟子の一人が、隣国に仏教の布教に行こうとされた時、お釈迦様はおとめになりました。
 「おまえの行こうとしている隣国の人々は、気の荒い人が多く、おまえをなじり暴力で危害を加えるぞ」
 「はい、耐え忍ことができます」
 「おまえの命がなくなるかもしれないぞ」
 「はい、耐え忍び喜んで死んでいきます」
 「それなら行きなさい」
 
 これで仏教の基本は、非暴力なのだとわかります。
 
 仏教徒であるならば、生きとし生けるものを大切にしなければなりません。
 山や川や花だって、大いに語っているというのが仏教です。
 ただ私たちには、その声が聞こえないだけ。
 植物にもテレパシーのようなものがあるという実験をした人がいましたが、世界中の思いが、プーチンに届けばいい。
 
 プーチンの人殺し!
 いいかげんにしろよ!
 
 


今は亡き、わが師(紀野一義先生)の教えです。
いかに生きていけばよいのか、わからなくなったときのよりどころとしています。

   自誓
    一、心ひろびろと、さわやかに生きん。
    一、真実をもとめてひとすじに生きん。
   一、おおぜいの人々の幸せのために生きん。





2022.2 常不軽菩薩(皆、いずれは仏になる)
 
 法華経の中に常不軽菩薩(じょうふきょうぼさつ)という菩薩の話しが出てくる。
 この常不軽菩薩は、人に出会うと「あなたは、仏になる方です。決して、あなたのことを軽んじません」と礼拝した。
 いきなりこんなことを言われて、両手を合わせてお辞儀されたら、なんのことやらさっぱりわからない。
 言われて礼拝された方は、ただぽかんとするか、気味悪がって立ち去るか、短気で気性のはげしい人間は殴りかかったり、石を投げつけたりしたらしい。
 そんな時、常不軽菩薩は、いったん遠ざかり、また、遠くから「あなたは、仏になる方です。決して、あなたのことを軽んじません」とまた礼拝した。
 
 いいかげんにしてほしいと思う。
 何を根拠に、そんなことを言うのだろう。
 
 でも、「あなたは、仏になる方です・・・・」
 
 妙に、この言葉が印象に残る。
 わざわざ法華経の中の大事な一説として出てくるのだから、深い意味合いや教えがあるのだろう。
 
 お釈迦様の願いも、様々な如来の願いも衆生を救うことである。
 
 いつ仏になるかは、個人差があって、百万回位は生まれ変わらなければならない人もいるだろうが、いずれは仏になるということであろうかと思う。
 
 人間として生きていくことは、様々な苦悩がある。
 
 人間として生きながら、この苦悩が苦悩ではなくなるような生き方が仏になるための道だろうと思う。
 
 そのためには、自分というものに執着せずに、人々の幸せを心から願えるような人になることが大切なのだろうと思うのだが・・・・。
 
 
 

今は亡き、わが師(紀野一義先生)の教えです。
いかに生きていけばよいのか、わからなくなったときのよりどころとしています。

   自誓
    一、心ひろびろと、さわやかに生きん。
    一、真実をもとめてひとすじに生きん。
   一、おおぜいの人々の幸せのために生きん。



2022.1 自分自身を知るということ
 
良寛の漢詩の中に、「おのれの心を知れ」ということばが出てくる。
 
 
 たとい万巻の書物を読破したところで、真の言葉一つわきまえていることに劣る
 その真の言葉とはなにか、ありのままにおのれの心を知れということだ。
 
 
 
 デルフォイのアポロンの宮殿の奥に掲げられている、秘密の格言は、「汝自身を知れ」だ。
 
明治時代の浄土真宗の僧であり哲学者であり教育者であった清沢満之は、浄土三部経の中にある「自当知」(みずからを知れ)という言葉に出会い、以後、自分自身を知ることに一生をかけた人である。
その弟子の暁烏敏も自当知、(自分自身を知ること)(自分の心を知ること)に全力を尽くした人である。
 
私も最近、自分の心を見つめることが多くなった。
いかに自分をいつわっていることが多いことか。
いかに臆病者になっていることが多いことか。
もっと、勇気をもって、美しく生きることができないものか。
 
やはり一人、静かに自分のことを思うと、つくづく、自分が自分自身を見失い、嘘にまみれた、臆病な生き方をしてしまっていることが見えてきて、最近は、一生懸命、自分を励ましています。
何を恐れる、勇気をもって、やりたいことはやろう。
 
でも一歩間違えると、狂気の世界。
 
やはり大切なのは、大勢の人々の幸せを願う心です。
そのうえで、自分に正直に勇気をもって生きていきたい。
 
自分の本当の心をじっくり見つめたい。
そして、この心を美しい心に鍛えたい。
 
一人静かに、自分の心をながめて見ることは、大切なことのようです。
 
 
 
 
 

今は亡き、わが師(紀野一義先生)の教えです。
いかに生きていけばよいのか、わからなくなったときのよりどころとしています。

   自誓
    一、心ひろびろと、さわやかに生きん。
    一、真実をもとめてひとすじに生きん。
      一、おおぜいの人々の幸せのために生きん。

 





心が不安や苦しみを作る  2021.12.23




 
明日はクリスマスイブ。
幼いころ、田舎の実家には丸くて細い煙突しかなかったので、あの煙突にどうやって入るのだろうかと心配したこともあります。
そして、トナカイに引かれてサンタクロースが夜空を駆け巡っている姿がありありと見えたものです。
そうした美しい世界が、少しずつ壊れて、人間世界のドロドロとした恐怖の世界を創造して、不安におののいている人も多いことでしょう。
「火の車、作る大工はなけれども、己が作りて、己が乗りゆく」
人間は色んな心配をしますが、少しものの見方をかえれば、まるで違った世界が開けるものです。
 
わが師紀野一義先生は、著名な仏教学者でもあり仏教伝道者でもありましたが、身長183cm。広島の旧制中学時代は不良でもあったようです。命が惜しいような奴は喧嘩する資格がないなどとおっしゃったこともありますから相当なものです。
戦争中も戦後も命しらずの蛮勇がいくつもあります。
そんな先生も50才を過ぎて、ようやく二人のお子様がおできになった。
先生が60才近くになると、友人達が病気でどんどん亡くなっていく。
中には、戦争中からの友人で先生以上に屈強な男が、癌であっというまに死んでいく。
さすがに先生も年末年始にかけて胃の調子が悪くなり、おかゆしか食べれなくなり、ひょとして癌かもしれないと思い、年があけてすぐにかかりつけの医者に電話をしたそうです。
医者も普段屈強な先生を知っているものですから、びっくりして、すぐにレントゲンをとりますから来てくださいと言ったそうです。
先生の周りの友達が癌で死んでいくものですから、胃癌かもしれない。死ぬかもしれないとの思いが起きたのですね。
残される紀野先生の妻や子供、その他、先生が面倒を見ている人々のことを思うと無意識のうちに不安に取りつかれていたようです。
大学での午前中の講義が終わり、かかりつけの病院に行く車を運転しながら、あれやこれや考えたそうですが、ふと、考えが変わって「女房も修羅場をくぐってきた女だから、私が死んでも何とか生きていくだろう。子供も親がいなくても育っている子供が大勢いるんだから大丈夫だろう・・・。」といううふうに思い出したら、急に胃の痛みが取れてきたのだそうです。
その病院に着く、10分程度の間のできごとです。
病院に着くと、かかりつけの先生が飛び出して来たのですが、あまりにも紀野先生が元気そうなので
「紀野先生、どこが悪いのですか」と聞いたそうです。
「どこも悪くない、さっきなおった」
と言ったので、大笑いになったそうです。
念のため、レントゲンもとり診察もしたそうですが、まったく異常がなかったそうです。
 
紀野先生のような、強くて立派な方でも、ふとしたことで不安になることはあるようです。
私も、しょっちゅう不安や寂しさを感じます。
でも見ていると、私以上に不安や苦しみを抱えている人が多い。
 
一番の原因は執着することにあると思います。
あるお寺の額に「水の流れのように」と書いてありました。
キリスト教では「すべてを受け入れなさい」とも言います。
 
心の持ち方一つで、地獄にもなり極楽にもなるのではないでしょうか。
仏教は、この心のもちかたを確かに伝えています。




今は亡き、わが師(紀野一義先生)の教えです。
いかに生きていけばよいのか、わからなくなったときのよりどころとしています。

   自誓
    一、心ひろびろと、さわやかに生きん。
    一、真実をもとめてひとすじに生きん。
   一、おおぜいの人々の幸せのために生きん。






月食と龐居士と霊照   2021.11.19

 龐居士(ほうこじ)は、大金持ちでありながら災いの元もとだといって金銀財宝を海中に捨て去り、在家のまま禅門に入った人である。

龐居士は死期を悟ったのか、月食の夜に死ぬことを決めていた。

その月食の夜を迎え、娘の霊照(りんしょう)が「お父さん、月食がはじまったよ」と龐居士に伝えたので、龐居士は家の外に出た。娘の霊照は、それを見届けると、家の中に入り、あっという間に、首を吊って死んでしまったという。

龐居士は、その日死ぬのをやめて、娘の死を一週間弔ったのちに死んだという。

龐居士と霊照については、何度か、このブログにも書いたが、妙な縁を感じてしまう。

それというのも、二日前、私は、かなり酒に酔っぱらって、電車を乗り違え、いつの間にか最終電車の最終駅で一人ふらふらと階段を上り、ついには転倒して、ばったりと階段に這いつくばってしまった。

誰もいない人気のない階段で、一人起き上がり、またふらりふらりとタクシーを探して歩いたのだった。

酒に酔って、転倒したのは、22才の時以来である。

今、もう一度、青春のあの日々を思いだす。

そして、もう一つ思い出すのが、朝比奈宗源老師の臨済録の一遍である。

 

龐居士が転んだ。

娘の霊照も自ら転んだ。

そして龐居士の顔を見てにっこり笑った。

 

そして、月食の日である、本日を迎えた。

午後5時過ぎから午後8時前まで月食が見れそうだ。

久しぶりに、月食を眺めてみようかと思う。

 
 私は、一人転び、一人起き上がった。

この大都会にいながら、誰一人いない。

でも、いつか、きっと、私と、また一緒に歩き始める人も現れることもあるさ、と思う。

 
 
今は亡き、わが師(紀野一義先生)の教えです。
いかに生きていけばよいのか、わからなくなったときのよりどころとしています。
   自誓
    一、心ひろびろと、さわやかに生きん。
    一、真実をもとめてひとすじに生きん。
     一、おおぜいの人々の幸せのために生きん。
 









2021.10   黄金の70代に向かって
 
 あと5年で70代に突入する。この70代を自分の人生の集大成として光輝くものにしたいと思っている。
 たまたまお会いした70代の人に、それは、おそらくこの人は昔、小説など書いていた人なのだなと感じる人だったが、70代80代90代の人間の生活、心のありようなど誰か小説を書かないだろうかと話したことがある。
 
 作家の老後の作品では書けない、庶民として生きた人間の老後とはどんなものなのか。
 普通の人間が、老後をどう生きるのか、どう生きればいいのか。
 普通の人間の老後の生活に、美しさや、ロマンはあるのか。
 文学の世界も、もう一度、人間いかに生きるかということを追究しなければならない。
 かつての文学は、ちゃんと、そういう作品があった。
 
 そのためにも、老後、老人とはいかなるものなのか、たんたんと一遍の小説を書き上げてほしい。
 
 そんな話しをしていたら、
「昨日のことが思い出せなくてね」
「この前、ふと昔行った公園に立ち寄ったら、その2キロよぶんに歩いたことで、足がガタガタ。帰りの電車の中でダウンしちゃった」
「肺に影があって、今度精密検査ですよ」
やれやれ、現実はこんなものです。
しかし、高齢者が、頑張らなくて、誰が頑張りますか。
高齢者でなければ、わからないことや、高齢者でなければできないことも、多くあります。
 
さあ、黄金の老後に向かってがんばりましょう。
 
 良寛さんは、73才でなくなるまで自分の詩を残していらっしゃる。
 69才で29才の貞心尼に会い、師と弟子というだけではない恋心のような歌も残していらっしゃる。
 
 我が師、紀野一義先生は、「黄金の70代」ということで、確かに大活躍された。
 おそらく先生の悟りのような世界は、この70代で語りつくされたのだと思う。
 私たち庶民に、仏法というものを、できる限りわかりやすく伝えようと務められた。
 おかげで私は、何十年勉強してもわからかったであろうことまで、教えていただいた。
 今なお、益々、先生の著書には驚き、日々発見することが多い。
 真実で書かれた書物は、そのようなものだと思う。
 残念ながら、先生の悟りの世界は私にはまだまだわからない。
 ただ先生は「肯定」することを強調された。
 「肯定、肯定、絶対肯定。何があっても、アア、ええなあ。アア、ええなあと言わなければ駄目だ」とおっしゃたことがある。
 どんなに立派に生きた、何々を成したといっても、所詮、人間のやったことはたいしたことなない。違いはない。
 迷っても悟っても、何をしようが何をすまいが、仏のいのちの中で生きているだけ。
 死ぬということは、仏のいのちの中に帰っていくということ。
 私たちは、仏のいのちから生まれ、仏のいのちに帰っていく。
 
 それでは、どう生きるのがよいのか。
 
 真実を求めて生きていきなさい。
 仏をうやまいなさい。
 おおぜいの人々の幸せを願って生きなさい。
 美しく生きなさい。
 
先生はそうおっしゃっていたのだと思う。



今は亡き、わが師(紀野一義先生)の教えです。
いかに生きていけばよいのか、わからなくなったときのよりどころとしています。

   自誓
    一、心ひろびろと、さわやかに生きん。
    一、真実をもとめてひとすじに生きん。
     一、おおぜいの人々の幸せのために生きん。









2021.9  我が家の観音様
 
 2011年の夏、新宿区四谷にある「宇宙村」という、主に隕石を販売している骨董屋でピンクの大理石でできた仏像を購入した。
 この骨董屋の店主は、少年時代にソ連のガガーリン大佐とも会ったことがあるという、もとは宇宙少年である。
 マスコミに登場することもよくあるので、ご存じの方もあるかもしれない。
 大阪の美術館にあったという、その仏像が妙に気に入って、値段を聞くと、「現金〇万円なら、売ってあげるよ」とのことであった。
 たまたま財布にその現金があって、数日のうちには、我が家においでいただくことになった。
 それからは、不思議と一人身の寂しさのようなものがなくなり、ひょっとすると、この仏像に守られているのかもしれないと思う。
 
 なんの仏像なのか、はっきりしないが、右手に葉っぱのようなものを握っていらっしゃるので拈華微笑のお釈迦様かもしれないと思ってみたりもするのだが、お顔があまりにもお若いので、観音様ということにしている。
 それも遊戯三昧の観音様で、この世を自由自在に楽しんでいらっしゃる観音様だ。
 私にとっては、理想的な「南無観世音菩薩」である。
 お釈迦様のように悟りを開いたり、禁欲的な生活は、私にはできない。
 衆生である皆様にもできない。
 
 できるのは、ただ人間として悩み苦しみ喜び感動することだ。
 
 どんな苦しみも悩みも永遠に続くことはない。
 いずれは忘れさるか、次の喜びにかき消されてしまう。
 どんな苦しみも。心の持ち方一つで、なんとかなる。
 
 お釈迦様がしつこく「執着するな」とおっしゃっている。
 いやなこともいいこともきれいさっぱり忘れることです。
 
 いいことだけ覚えておこうというのは駄目ですね。
 
 最近の私を見ていると、関心するほど、きれいさっぱり忘れて、昨日、会って親しく話した人の顔を、翌日にはきれいさっぱり忘れている。
 相手にすれば、不愉快だろうが、お許し願いたい。
 
 ひょっとすると認知症になっただけかもしれないが、そうでもないように思う。
 小学校3年生のころ、ずいぶんと精神的に追い詰められ、自殺について考えたことがある。
 この頃は、夢中で本を読んだ。
 童話や伝記、その他の児童文学の中では、苦しみ悲しみの中で生き、立派に成長できる姿が鮮明に描かれている。
 あの頃も、もの忘れがひどくて、忘れ物が多くて、先生にずいぶん叱られたものだ。
 先生にお願いして、忘れものをしないように手にマジックで書いてくださいと、お願いしたことがあるほどだ。
 お天気やさんとも言われたこともある。
 しょんぼりしていたかと思えば、いつのまにやらニコニコ。
 自分なりに忘れ去ることを身に着けたのでしょうね。
 
 親子の関係ほど、喜びであり苦しみでもある関係はないように思います。
 この恩愛についても、お釈迦様は断ち切りなさいとおっしゃっています。
 本来、親子、夫婦、肉親の情も断ち切っていいものなのです。
 
 おそらく断ち切ることはできないでしょうが、断ち切るべきものだということは知っておく必要があるのではないでしょうか。
 
 ところで我が家の観音様は、玄関に鎮座されており、この10年、毎日、お会いしているのだが、最近は手を合わせて拝むこともなく、その存在すらも、忘れてしまうような有様だ。
 こんな私でも、おそらくは、暖かく見守っていてくださるのだと思う。
 ちょっと、恥ずかしいようなこともあるが、ありがたいことではある。
 
 私に限らず、皆、誰しも、仏様に見守られているのだと思う。
 
 諸仏は、どこにでもいらっしゃる
 野でも山でも、台所でも座敷でも。
 だからそこに塔をたてよという。
 その場所は、かつて諸仏が修業された場所であり、今も修業なさっている場所なのだ。
 
 私も仏を感じているのかいないのか、どうしようもない寂しさはなくなった。
 
 生きている限り、喜びも悲しみ、それなりにいいものだ。



kannon.gif (500×375) (smile-stone.com)   我が家の観音様

今は亡き、わが師(紀野一義先生)の教えです。
いかに生きていけばよいのか、わからなくなったときのよりどころとしています。

   自誓
    一、心ひろびろと、さわやかに生きん。
    一、真実をもとめてひとすじに生きん。
    一、おおぜいの人々の幸せのために生きん。










2021.8  迷っても悟っても仏のいのちの中
 
 
7月12日に紀野先生の墓参りに行った。
紀野先生の奥様、安禅寺の奥様、阿多さんと私の4名である。
去年まで一緒だった杉本さんは、脊椎狭窄症の術後がよくなく、金沢の実家で療養中だ。
私も、網膜剥離の手術がうまくいかなくて、3度入退院を繰り返した。
何とか、眼鏡もかけず普通に仕事もこなしているが、何となく失明するかもしれないとも思った。
それでも、それなりに命あるかぎり、生きていくしかないと思っていた。
はた目には、元気にやっているが、いろいろと思いふさぎこみたくなるようなことがある。
4人で食事しながら杉本さんに電話したが、電話がつながらない。
紀野先生の奥様が「濱田さんが亡くなったのをご存じ?」と、私に耳打ちされた。
 
濱田さんには、紀野先生の七回忌以来、会っていない。
紀野先生と二人雑談していたとき「男は濱田みたい男が一番いい」と、私におっしゃってニコリとされた。
それ以来、私は、濱田さんとは親しくおつきあいしたいと思っていたのだが・・・。
先生が泣くなられてからは、会う機会は、ほとんどなくなった。
どうやら濱田さんは、脳梗塞で今年の三月に亡くなったということが、Facebookの書き込みでわかった。
 
しばらくすると、警察官時代仲の良かった佐藤さんが心筋梗塞で倒れたという知らせがLineで入った。
奇跡的に回復したとの追伸があったが、その後、なんの知らせもない。
 
8月に入ると、実家の近所に住む姉が、私の幼馴染の長男が癌で亡くなっったと伝えてきた。
亡くなったのは、ずいぶん前のことで、そういえば今年の3月下旬にFacebookで「息子の形見の自転車を磨いた。春になったら、この自転車でサイクリングに行こう」と書いていたのだが、息子が遠方に住んでいるのかと思っていた。
今、思えば、雪が降りしきる故郷の写真を掲載していたが、寂しくてつらくてしようがなかったのではと思うと、私の心も痛い。
 
何だか、私の心もふさいでしまいそうだ。
 
私自身は、死ぬときは死ぬのがいい。
命ある限り、それなりに生きていく、と、思っている。
 
小学5年生のときに仲のよかった女の子が脳腫瘍で亡くなったときには、私の様々な不幸も含めて、仏壇の中の阿弥陀如来の仏像の頭を叩いてみた。
 
本当に、神や仏様を恨みたくもなる。
 
幼くして若くして死んでいくものは、仏様からの使い、如来使だと、紀野先生がおっしゃたことがある。
何となく納得したものだ。
 
仏教については、人並以上に勉強もし、いまだにああでもないこうでもないと思っているが、仏様がちゃんと、この世にもあの世にもいらっしゃって、ちゃんと見守っていてくださるのではないかと思う。
仏の心は、愛とか慈悲に満ち溢れているから、死んでも大丈夫だと思う。
しかし、それが本当にそうだとわかってしまうと、みんなこんな世の中にはいたくもなくなるだろうから、死は恐れ悲しんだ方がよろしいのかもしれない。
 
先生が、私が持参していた「良寛詩集」に「迷っても悟っても仏のいのちのなか  死んだらまた会おうな」と書いてくださったことがある。
 
人間何をなそうがなすまいが、そこに違いはない。仏を信じ、仏様におまかせする生き方が大切なのではないかと思う。
おそらく仏というものを、しっかりと感じとれるようになったら、大らかな安心、自由な心、生きる喜びがわいてくるのではないだろうか。
 
 
 
 

今は亡き、わが師(紀野一義先生)の教えです。
いかに生きていけばよいのか、わからなくなったときのよりどころとしています。

   自誓
    一、心ひろびろと、さわやかに生きん。

    一、真実をもとめてひとすじに生きん。
      一、おおぜいの人々の幸せのために生きん。











2021.7   生老病死について(生まれる苦しみ) 

人間の大きな苦しみの最大の四つの苦しみが「生老病死」です。
生まれる苦しみ。
老いる苦しみ。
病気になる苦しみ。
死ぬ苦しみ。
 
老病死の三つは、誰にでもわかります。
しかし、生まれる苦しみは、ピンときませんね。
 
生む苦しみは、女性ならよくわかるでしょう。
生まれる苦しみは、記憶のない赤ちゃんだったから、誰も覚えていないということでしょうか。
 
 
それは、おそらくは、生まれる前は、ほとんどの人は、極楽浄土で生活をしており、その幸せな世界から「人間世界に生まれる」ことになり、その人間世界に生まれるということが非情な苦しみと恐怖だということではないかと思うのです。
もっとも人間世界とはいっても、人間に生まれ変わるのか、牛や馬、魚や虫なのか、草花なのかは定かではありません。
まあ、人間に生まれ変わったということは、ありがたいことなのかもしれません。
逆に、どうしようもないから、人間として苦しみ、少しは悟れということかもしれません。
 
仏教では、輪廻転生することを、今生でお終いにすることを強くすすめます。
生まれ変わることのないようにしなさいということです。
それは、今生で悟りのようなものを得ないといけないということでもあるようです。
 
死ねば、皆、極楽浄土で末永く幸せいっぱいというわけにはいかないのではないでしょうか。
いずれの生においてか、きちんと生きて、生きながら仏にならなければならないのかもしれません。
 
娑婆(しゃば)即(そく)寂光土(極楽浄土)といいます。
 
悟れば、この世は、そのまま、極楽浄土になるようです。
 
人間誰にも仏性がある、人間は本来、仏であるといいます。
 
心の奥の奥に、この仏性があり、こんな話しもどこか気になるのでは「ないでしょうか。




今は亡き、わが師(紀野一義先生)の教えです。
いかに生きていけばよいのか、わからなくなったときのよりどころとしています。

 

   自誓
    一、心ひろびろと、さわやかに生きん。
    一、真実をもとめてひとすじに生きん。
    一、おおぜいの人々の幸せのために生きん。

 




2021.6     「あかかやあかかや月」


あかあかやあかあかあかやあかあかや あかあかあかやあかあかや月・・・・これは、明恵上人の和歌です。あかあかというのは、明るいという意味で、明るい明るい明るい明るい明るい月、という解釈になるようです。確かに、夜が、真昼のような月明かりの夜があるものです。
何度か、そんな夜を過ごしたようにも思います。
最初、このあかあかを、赤い赤いという意味だと思い、真っ赤な夕焼けの中に浮かぶ月を思い浮かべたものでした。それはそれで美しい情景です。
詩の正確な解釈など、本当はどうでもいいのではないでしょうか。
その作品に、何かを触発されたり、感動を覚えれば、十分だと思います。
 
この和歌は、非常にシンプル単純明解で、時代の古さなどぜんぜん感じないです。
鎌倉時代のお坊様の和歌です。
 
明恵上人は、お釈迦様が大好きで、この身の一部をお釈迦様に差し上げたいと、片耳を切り落としました。
和歌山の海の近くの山中に住んでいたときには、山から眺める、島に恋をし、島に恋文を送ったことがあります。
島は、お釈迦様のお生まれになった天竺(インド)を流れる水が、巡り巡って、その島にも流れついています。銀色に輝く海、真っ赤な夕陽に染まる海、その海に浮かぶ島。
あまりの恋しさに、舟を出して、島に渡り、桜の木の下で楽しいひと時も過ごされたこともありました。
島で拾った、小石を終生大切にされ「もし私が死んで、誰もお前をかえりみないならば、飛んであの島に帰るがいいだろう」というような和歌も残しています。
 
松の木の上で座禅をしていらっしゃる絵が残されて、妙に、その絵が印象的です。
 
人間に恋しても、その恋はひと時のものです。
 
仏様や観音菩薩のような方に恋すれば、その恋は永遠に続くでしょう。
 
とはいえ、人間は、人間に恋するものです。
 
それが、たとえ、永遠ではなく、苦しみを伴うものであるにせよ、人は人に恋をします。
 
人を恋するとき、別れを恐れてはいけません。
 
勇気と忍耐をもって愛します。
 
そして別れるときは、水のごとくさらさらと、すべてを洗い流していきます。
 
いつの時代も愛すること恋することは、すならしいと思います。
 
ただし、執着するなよ、ということでしょうか。





今は亡き、わが師(紀野一義先生)の教えです。
いかに生きていけばよいのか、わからなくなったときのよりどころとしています。

 

   自誓
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    一、真実をもとめてひとすじに生きん。
    一、おおぜいの人々の幸せのために生きん。





2021.5  スマイル仏壇の営業再開のお知らせ
 
インターネット販売の責任者である私、野田が網膜剥離の再手術のため、一時休業していましたが、5/8(土)から、通常営業いたします。
休業のお知らせをしたところ、10名ほどの方から、励ましのメールをいただき、ありがとうございました。
やはり嬉しく拝読させていただきました。
 
思えば、この世とおさらばしてもいいかなと、記念に20才で詩集を自費出版しましたが、その詩集を読みかえしても「ゆるぎない真実を求めている」とか「世界中の人々を幸せにしたい」とか書いています。
 4月23日に65才の誕生日を迎えましたが、この入院中にあらためて、その思いについて考えてみました。
 
釈迦如来の悟りの目的は、何であったのか。意外とはっきりしていませんが、すべての人々を救うということであったと思います。
それができないならば、悟らないという誓願のもと、悟りを開かれたのだから、その時点で、人類は、いや、草木も含めすべてが救われているのではないか。
これは、20代30代のころの、私の漠然とした思いです。
 
わかりやすいのは、観無量寿経に書かれている阿弥陀如来の誓願で「私の名前を呼ぶものは、すべて救ってあげる」という。
ただし、親を殺すようなものは、お坊様を殺すようなものは除く・・・と、ただし書きはある。
 
法華経等に書かれている釈迦如来の誓願の場合には、このただし書きはないのではないかと思う。
 
釈迦如来は、そんなこと言っていないという方もいるだろうと思うが、般若心経に書かれているように過去現在未来の悟りを開かれた如来の中には、間違いなく、生きとし生きるすべてのものを救いたいという誓願をたてた上でで悟りを開かれた如来(仏)は、必ずいらっしゃると思う。
 
すでに私たちは救われているのだが、そのことがわからない。ということらしいのである。
 
つい最近まで生きていらしたインドの聖者、ニサルガッタ・マハラジは、世界平和を訴える若者の質問にこたえて「君は一人でも、本当に幸せにしたことがあるであろうか」と言っている。
 
確かに、私たちは一人の人間でも、自分の力だけでは幸せにすることはできない。
 
それでも、おおぜいの人々の幸せを願うことは大切だ。
 
人生を美しく生きる。愛にあふれた人生を生きる。優しさ、慈しみあふれた人生を生きる。
 
誰か、本気で人を愛しているうちは、人生はバラ色だ。
 
子供みたいなことを、言っているようだが、愛するものがあるうちは、幸せだ。
 
何となく、人間の醜さばかり目に付くと、人生つまらないですね。
 
もっともっと愛し愛される人間の存在も、とても大切かもしれない。 
 
 
 
 
 
今は亡き、わが師(紀野一義先生)の教えです。
いかに生きていけばよいのか、わからなくなったときのよりどころとしています。
 
   自誓
    一、心ひろびろと、さわやかに生きん。
    一、真実をもとめてひとすじに生きん。
    一、おおぜいの人々の幸せのために生きん。
 






2021.4    一時休業について
 
 4月1日に、私(野田)は、網膜剥離の手術をし、4月9日には退院したのですが、4月15日の検査で、また別な部位で網膜剥離が起きていることが判明しました。
 おそれいりますが、4/16~5/6まで、自社サイト(http://www.smile-stone.com)とヤフーショッピイングスマイル仏壇 https://store.shopping.yahoo.co.jp/smile-stone/は休業とさせていただきます。
 
 下記の楽天市場は、営業していますので、お急ぎの方はご利用ください。
 担当部署が違いますので、販売価格等は異なります。
 
【スマイル仏壇】仏壇・仏具・位牌の激安通販専門店 (rakuten.ne.jp)
 
 
 
 
 
 4月23日が65歳の誕生日で、これから黄金の70代に向かって、突き進む予定なのですが、いやはや、右目が失明するかも知れず、それでも、すべて受けいれる覚悟です。
 まだ親と子供を養っている身ですから、しばらくは、ふんばります。
 そして、私の一番大切な「人はいかに生きるのかをつきつめたい」「おおぜいの人々を幸せにしたい」という願望を、何とか成就したいと思います。
 
 私も、我が師を始め、立派な方々の生きざまを見たり聞いたり読んだりしてきました。
 どんなに立派なお方でも、病気になれば、それなりに悩むし不愉快な思いはあります。
 ただ、そこにとどまらない。
 自分なりにふんぎりをつける。
 病気や災難も、避けがたいところがありますから、やはり受け入れるしかなく、そして、明るく元気良く生きていくしかないですね。
 
 できることを、きちんちとやって、できないことはできないので仕様がないですね。
 できる範囲内で、できる限り、明るく元気よく頑張るしかないですね。
 
 今、大変な思いをしていらっしゃる方もいらっしゃいますよね。
 お互い頑張りましょうね。
 
 
 


今は亡き、わが師(紀野一義先生)の教えです。
いかに生きていけばよいのか、わからなくなったときのよりどころとしています。

   自誓
    一、心ひろびろと、さわやかに生きん。
    一、真実をもとめてひとすじに生きん。
      一、おおぜいの人々の幸せのために生きん。

 

 

 

021.3   執着しないことの大切さ

この頃、執着しないことの大切さを思っている。
ブッダのことば(スッタニパータ)の後半部分で、ブッダがしきりに執着することがなくなることの大切さを繰り返し繰りかえし語っていらっしゃる。
執着するな、執着するなと、おっしゃっているのである。

そういえば、達磨大師のあとをついだ慧可(えか)が、「最近、すっかり執着するということがなくなりました」と達磨大師に言ったとき
達磨大師は「すっかり何もかも忘れてしまったのではないか」とお聞きなりました。
慧可は「ところが、何もかも、はっきりはっきりしているのです」とこたえている。
達磨大師は「それは祖師方が通ってこられた境地であるから、大切にしなさい」とおっしゃっています。
慧可は達磨大師の弟子になるために、片腕を切り落として達磨大師に自分の意志の強さを見せたような、執着心の非常に強い人間です。
その人間が、物事に執着しなくなった。当然悟ろうなどという気持ちも亡くなったに違いない。
ところが、物事というか世界がはっきりはっきりと見えるようになったというのである。

無難禅師は、「生きながら死人となりてなりはてて、思いのままにするわざぞよき」と歌を作っていらっしゃる。
これは、わが身に執着するな、すべてに執着するなということである。

良寛さんの生き方も、名声や名誉、お金や財産などとは無縁の生き方で「死ぬときは、死ぬのがよい」とでも言わんばかりの暮らしぶりです。

我が師、紀野一義先生は「人からよく思われようなんて、そんなのは駄目だ」とおっしゃいました。
たったそれだけの言葉を肝に銘じても、普通に生きていれば嫌なことがたてつづきに起きたりします。
その嫌なことが、ケロッと忘れられる。いつの間にか、忘れている。
つまり執着しない生き方です。
これは、さわやかに生きる秘訣です。

私も、24才のとき「何者かになるためには、敢然とそれを守り押し通さなければならない」という格言を数年間壁に貼り付けて、肝に銘じたものでした。
心の底に、捨てきれないものがいくつかあって、それを思い出しては、何とかしたいと、あえいでみるのでした。

最近ようやく、そんな大切な思いも執着から解き放されたように思います。
執着するのもよろしいかとは思いますが、本来は、執着はよろしくないものなのです。
執着しないことの大切さを、一度考えてほしい。







今は亡き、わが師(紀野一義先生)の教えです。
いかに生きていけばよいのか、わからなくなったときのよりどころとしています。

   自誓
    一、心ひろびろと、さわやかに生きん。

    一、真実をもとめてひとすじに生きん。
      一、おおぜいの人々の幸せのために生きん。

 









2021.2   真理と真実
 
 先月掲載の「コロナとお坊さん」については、めずらしく数通のお礼や感想、励ましのメールをいただきました。
 どうもありがとうございました。
 直接、返信メールでお礼を伝えてたいとも思いましたが、この場をかりてお礼を申し上げます。
 少しでも、私のメールがお役にたつこともあればと、毎月、ああでもないこうでもないと、あれこれ考えてメールを書いています。
 一人の人でも、私のメールを読んで、良かったなと思えていただけたら、それで良いのです。
 不愉快な思いをしたり、心を傷つけられる方もいらっしゃるようですが、その場合は、ご連絡いただければメールを停止させていただいています。
 
 私は、毎月のメールの最後に、紀野一義先生の教えとして三つの自誓を掲載しています。
 その二番目が正しくは「真実を求めてひとすじに生きん」です。
 いつのまにか「真理を求めてひとすじに生きん」と記載していることがあるようです。
 たいした違いはないようですが、訂正しておきます。
 真理では、理論のようで、少しニュアンスが違います。
 真実は、理論ではないですね。


   自誓
    一、心ひろびろと、さわやかに生きん。
    一、真実をもとめてひとすじに生きん。
    一、おおぜいの人々の幸せのために生きん。

 
 
 真宗高田派の村田和上について、このブログでも何度か取り上げていますが、この村田和上という方は、浄土真宗のお寺に生まれながら、浄土真宗が嫌で、天台宗のお寺で修業をしたという方です。
 天台宗真盛派の管長にもなられたお方のもとで修業されたのですが、やはり、すっきりしないどころか、大地がぐらぐらゆれて立っておれないぐらい迷い、やはり精神を病んでもいらしたようです。
 そんな時、浄土真宗西本願寺派の七里和上の噂をお聞きになり、九州博多まで会いに行かれた。
 それで初めて、南無阿弥陀仏の信心ということがわかり始めた。
 七里和上という人物に会い、初めて念仏の信心がわかりはじめた。
 足掛け3年、三重と九州を行ったり来たり、それは、七里和上に会いたくてしようがないから会いにいくという。
 そして、念仏の信心というものがすっかりわかり、揺れ動いていた心がぴたりとおさまりました。
 ひどく迷っていたものが、信心決定、悟りのようなものを獲得したのですから、その体験が、念仏がよくわからない一般の信者には、とても心うつものがあったようです。
 この村田和上が七里和上にあったのが、村田和上が30歳過ぎ、七里和上が60歳過ぎでしょうか。
 
 そして、紀野先生が師と慕う臨済宗円覚寺派の管長である朝比奈宗源老師が、村田和上にあったのが、朝比奈老師が30歳過ぎのころ、村田和上が60歳過ぎのころ。
 人生というのは、不思議ですね。
 妙好人として有名な島根県の温泉津に浅原才一という人がいるのですが、なんと若いころ九州の博多に住んでいて、七里和上のもとで念仏を学んでいる。
 浅原才一と村田和上は、どうやら同じ年代を生きていたようです。
 七里和上の感化する、教化する力はすばらしいものがあったようです。
 
 紀野先生にも、七里和上のような人を感化する力がありました。
 現在も紀野先生を我師とあおぐ人の中に、宗派の管長さんや管長クラスの人たちがいらっしゃいます。
 紀野先生は、宗派にかかわりなく仏教をわかりやすく広められました。
 紀野先生のそばにいると、仏様はいらっしゃるのだと感じることができました。
 これは理屈抜きです。
 
 ある時紀野先生に、本にサインをしていただきました。
 
 「迷っても悟っても、仏のいのちの中。
  死んだらまた会おうな。」
 
 どうやら、死んでも、それで終わりではないようです。 
 
 仏というものを、または仏のような存在をどのように感じるか、信仰するか、とらえていくのかは、それぞれ、その宗教、宗派、指導者たちによって異なるのだと思います。
 朝比奈宗源老師は「キリスト教もイスラム教も、仏教の一つだよ」と、おっしゃったことがおありのようです。
 できる限り、良き師とのめぐりあいがあることを、お祈りします。
 あせることはない、じっくりとその時期を待ち、真実をもとめてひとすじに生きていきたいものです。
 正しい師は、生きることの喜びを教えてくれるそうです。
 自然と生きる喜びがわいてくるような、そんな教え、出会いがほしいものです。
 
 
 
 

今は亡き、わが師(紀野一義先生)の教えです。
いかに生きていけばよいのか、わからなくなったときのよりどころとしています。

   自誓
    一、心ひろびろと、さわやかに生きん。

    一、真実をもとめてひとすじに生きん。
      一、おおぜいの人々の幸せのために生きん。








2021.1 コロナとお坊さん
 
お客様のお話では、つい先日お母さまとお父様が1週間違いで亡くなったのことだった。
あとから亡くなったお父様はコロナで亡くなったのだが、戒名がなかなかもらえなかったとのことだ。
通常は、葬儀に間に合うように戒名を授与するのだが、 お坊様がいうには、葬式が終わらないと戒名がつけられないとか・・・・・。
いったいどいうことなのでしょうかと、お客様に聞かれて、私も、なんと答えていいのやら、「何か事情があったのでしょうね」と言って言葉を濁してしまった。
推測だが、コロナで亡くなったから、その亡くなった方や家族の方に近づくことを恐れて、戒名授与が遅れたのかもしれないと思った。
電話やFAX、メールでやりとりすれば、戒名授与はできたはずであるのだが・・・・。
話しによれば何代にもわたって、檀家としておつきあいのあるお寺である。
本来なら、亡くなった方のために枕経をあげたり、お通夜や葬儀にも参列いただかなければならない。
コロナだから、親族でもなくなった方に会うことはできないのは、承知している。
親族でも火葬した遺骨で死後初めて対面することになる。
でも、戒名を授与することは、問題なくできたはずである。
おそらくコロナで亡くなったと聞いて、そのお坊様は狼狽なさったのではないかと思ってしまう。
たまたま、このようなことが起きたということであろうか。
 
私の実家の旦那寺は、小さな貧しいお寺である。
たまに住職とは、お話しをするこがあった。
私が、中学生の頃だったであろうか、その住職が「県堺を超えたところに山深い村があるのだが、その村の檀家さんがらい病(ハンセン病)になった。
その家で葬儀が出た。親父は、わしが行かなくて、誰が行くと言って、半日以上かけて山を越え峠を越えて行きました」
ハンセン病といえば、当時は忌み嫌われた病気だったようです。
やはり、ハンセン病の患者の家には、お坊様でも行かない方がいたのではないでしょうか。
私の近所には、それなりに大きなお寺が多くありますが、これは私の小さな旦那寺を誇りに思うようになったきっかけのお話しです。
 
ちょうどその頃、尊敬もっし親しかった学校教師が、田舎づきあいで酒を酌み交わして返盃で、人の盃で酒を飲まなければならないのが嫌だと言っていました。
梅毒がうつるかもしれないし、汚くて嫌だというのです。
誰だって、病気に感染するかもしれないのは嫌なのはわかります。
普段は教師として、平等と平和と愛の権化のようなまあ、私の勝手な思い込みですが、尊敬し慕っていた教師ですが、やはりどこかすれ違うところがありました。
 
私は、あまり気にしたくないな。。
そういうう私のような人間のそばには正直近寄りたくないと思う人も多いでしょう。
もっとも、そんな私の内面は、誰も知りませんから、普通にやっています。
(実際にはマスクもつけているし手洗いも消毒もうがいも人並みにやっていますよ。)
 
我師(紀野一義先生)も、戦後復員して岡山県津山市で過ごしたときに、肺結核の親友二人、
一人は共産党員のミズシマシンジ、一人はクリスチャンで国文学の研究者であったミズタショウジロウ、その二人が肺結核で亡くなるまで何らかわることなく過ごされた。
ミズシマシンジ氏が、東京から津山に帰ってきた紀野先生を津山駅で出迎え、嬉しくてしようがないといった満面の笑みを浮かべている姿。
ミズタショウジロウ氏が、病室で研究論文を代筆してくれる紀野先生に「すまんなあ、すまんなあ」と何度となくあやまっている姿。
私は見ていたわけでもないのに、鮮明に思い出す。
色んな、出来事、ドラマがあるようです。
 
 
生き方は、人それぞれです。
どれがいいの悪いのはないと思います。
健康と衛生には十分注意しながらも、おおらかに生きていきたいものです。







今は亡き、わが師(紀野一義先生)の教えです。
いかに生きていけばよいのか、わからなくなったときのよりどころとしています。

   自誓
    一、心ひろびろと、さわやかに生きん。

    一、真理をもとめてひとすじに生きん。
      一、おおぜいの人々の幸せのために生きん。









2020.12  「年末を迎えて」

今年をふりかえっても、すべての過去をふりかえっても、ほんの少し精神的に成長したかもしれない程度である。
真実、真理をもとめてきた自覚は人一倍あったようには思うが、なんとも情けない状態である。
最近「仏陀のことば」(スッタ・ニパータ)中村元訳を読みかえしているのだが、悟りというか、清らかな心というか、安心の心というか、そのようなものを得るためには、学問や思想や哲学や宗教によってはならない。戒律も教義にもこだわってはならないようだ。
あるがままを見るような、まったくこだわりや執着のないような、状態が必要のようだ。
仏陀の教えには、非常に多くの戒律があったように思うが、仏陀は何ものにもとらわれない心を非常に大切にされたようである。
読めば読むほど、そうなのかと思うが、なんと表現していいのかわからない。
ただ、般若心経に書かれているように、過去現在未来の如来(仏)が、衆生(すべての人々)を救うために、このうえない悟りを開かれたということは、何となくわかるような気がするのである。
だから、衆生は悟らなくても、安心しなさい・・・、といっても、安心などできるわけがなく、多くの人々は、不安と悲しみ恐怖におそわれてしまうのだが・・・。
それを何とかしたいというのが多くの仏の願いだったのではないか。
それなのに、どうも、この世の中、救われているようには見えないのだが・・・。
諸法実相、本来、いいも悪いもないので、ただそれを思うのは人それぞれ個人の思いだから、苦しみも悲しみも、不安も、結局は個人の勝手な思い込みにすぎない。

いつまでも、こんなところで、どうどうめぐりをしていても、しようがない。

老いてくれば、そろそろお迎えも近いのだから、すっきり生きればいいようなものだが、すっきりした年寄りにあまりお目にかかれない。
先日たまたま仕事の関係で電話した年配の男性は、いきなり「野田さーん。野田さんなの」と、初対面なのに旧知の知り合いのような感じだったけれど、本当に会えばどんな人なのだろう。
私が、毎月書く、このブログを読んで、なるほどね、そんなこともあるよなと思ってくださっているのだと思う。

私もいまだに人生いかに生きていくのかがわからない。

でも私は、あまり歳を感じたことがない、いまだに子供のとき、少年のときとあまり変化していない。

最近、紀野先生の「生きるのが下手な人へ」という本が復刊されたが、その冒頭の一章のテーマは「人間いかに生きようが、何をなそうがなすまいが、たいした違いはない」ということであった。
山本周五郎の「虚空遍歴」という作品が紹介されているのだが、周五郎の座右の銘である「人間の価値は、何をなしたかではなく。何をなそうとしたかである」に対する紀野先生の山本周五郎へのメッセージでもある。山本周五郎は、紀野先生のメッセージを知り、是非紀野先生に会いたいという電話をなさったが、会う直前で病に倒れられてしまった。
お会いになっていれば、どうなっていたのだろうかと、残念でならない。

紀野先生の会には、これといった戒律とか規律はなかった。
何事にもとらわれていないような、真実をもとめ、仏をうやまい、おおぜいの人々の幸せを思う心があったのだと思う。


今は亡き、わが師(紀野一義先生)の教えです。
いかに生きていけばよいのか、わからなくなったときのよりどころとしています。

   自誓
    一、心ひろびろと、さわやかに生きん。

    一、真実をもとめてひとすじに生きん。
      一、おおぜいの人々の幸せのために生きん。












2020.11  衆生本来仏なり
 
 白隠禅師の座禅和讃は冒頭「衆生本来仏なり」(しゅじょうほんらいほとけなり)で始まる。
 私たち人間は本来誰でも仏だというのである。
 そのことに気付かず、多くの人間が苦しみあえいでいることがはかないことだという。
 私の子供の頃にも人には皆誰にも仏性があるということを、どこかで聞いたことがある。
 仏性があるのに、その人間がとんでもない悪事をはたらくのはどういうことなのか。
 なぜ仏性があることが、わからないのか。
 仏性があることがわかったら、どうなるというのか。
 もしわかれば、すてきな心もちで、にこにこ日々を過ごすのではないかと思うが、でも毎日にこにこしているようでは、なんとつまらない人生ではないか。
 誰でもが、極楽浄土や、天国に生まれたいと願うが、私は、少し違う。
 もし極楽浄土で長く生活したら、それはそれは退屈でしかたないのではないだろうか。
 疲れた時、しばし、極楽浄土で休憩ということなら、これほどありがたいことはない。
 そうして、また、人間界にもどってきて、ああでもないこうでもないと、のたうちまわりながら、こんな汚れきった世界で美しく生きることの喜びをかみしめたい。
 この醜い世界で美しく生きることは非常に難しいから、美しい心をもった人間に出会える喜びはひとしおだ。
 
 山本空外先生の言葉であったと思うが「一一各各性」(いちいちかくかくせい)というのがある。
 この言葉は、一つの個性と個性が、その個性の繊毛の先と先が触れ合って、電気がぴりぴりと流れるような人との出会いがすばらしいということだった。
 そのためには個性がなければ、駄目である。
 いつも人まねばかりして、人目を気にしてばかりの生き方では、ちゃんとした個性は芽生えない。
 やはりいくつもの苦難をのりこえ、それでもかわらないような不変の心のようなもの。
 そういった不変の心とか個性を持った人間と人間が出会い、心と心がふれあい、しびれるような出会いがほしいものだ。
 やはり人間世界の方が、おもしろいに違いない。
 せっかく、このどうしようもない、どろどろとした人間の中で、しっかりと生きて、一輪の花をさかすことができたら、どんなに素敵だろう。
 
 そのためには、お釈迦様がしつこく言われたように執着をなくすことだ。
 家、親、子供、兄弟姉妹、妻、夫、恋人、お金、名声、様々な欲望に執着しないことだ。
 欲は起きてあたりまえ、そこに執着しないことだ。
 自分の命にも執着しない。
 自殺しろと言っているのではない。自殺は色んなことに執着して行き詰まってしまうからなのだと思う。
 執着しなくなれば、逆に自由な心が手に入る。
 
 良寛さんのように乞食坊主の生活は執着がなく、良寛さん自身は自由でのびのびとした心でいらしたのではないかと思う。
 
 そうして、良寛さんや執着をなくした人には悟りのようなものがおとづれるのではないだろうか。
 
 私は、悟りとか極楽には、それほど興味はないが、真実をしりたいという思いは深い。
 
 お釈迦様の最後の言葉の解釈も様々だと思うけれど、「心はうつろいやすい。その心をじっと見ていなさい」と紀野先生は解釈されたのだと思う。
 また最近、この自分の心をじっと見るということが非常に大切なのではないかと思うようになったのである。
 
 じっと自分の心を注意してみていると、何かが見えてくるのではないだろうか。
 
 衆生本来仏なり。
 
 そんなことも、そうなのかと思えるような日がくるのではないかと思うのである。
 
 本当に、いかに生きていけばいいのか、わからないことだらけである。
 とりあえず紀野先生の言葉を心に留めながら、生きるだけでも、十分である。
 


今は亡き、わが師(紀野一義先生)の教えです。
いかに生きていけばよいのか、わからなくなったときのよりどころとしています。

   自誓
    一、心ひろびろと、さわやかに生きん。

    一、真理をもとめてひとすじに生きん。
      一、おおぜいの人々の幸せのために生きん。














2020.10  紀野一義先生の「生きるのが下手な人へ」が復刊
 
 昭和49年に光文社から出版されベストセラーになった「生きるのが下手な人へ」が文響社から復刊されました。
 この本のベストセラーにより、詩人の相田みつお、坂村真民さんが広く知られるようになったことは特筆すべきことです。
 この本に登場する多くの人は、当時はあまり知られていない人たちですが、不器用ながらも自分の人生を生き切った人たちです。
 生きたくても病気で死んでいく人たちが多いのですが、その病によって、見えないものが見えるようになり、病に感謝するような生き方があります。
 自ら死にたいという思いは多くの人にあろうかと思います。
 生きていることと、死ぬことは、ちょとしたことで、どちらに転ぶかは、運命的かもしれません。
 生きたくても、死ななければならない人が大勢います。
 死にたくても死ねない人もいれば、事故や自殺であっけなく死んでいく人もいます。
 
 私も、何度か死にたいと思う年月を過ごしたことがあります。
 ひょとしたら死んでいたかもしれないと思うし、ちょとしたこと、どうでもいいようなことが心の支えになって生き続けています。
 生きている以上生き抜かなければならないという、紀野先生のメッセージがあります。
 どうせ死ぬ気なら、一度死んだつもりで、もう一度生きなおしてほしい。
 いろんなしがらみも、どうせ死ねば切れるのだから、生きているうちにしがらみなど切ってしまえばいい。
 完全に断ち切れなくても、少しはたちきれるでしょう。




 
 「生きるのが下手な人へ」が「うんこ漢字ドリル」で有名な文響社から復刊




 
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2020.09  水色と石ころ

 

日の暮れた街々のてっぺんには

なぜか水色の空がはてしなく広がっていた

僕はずっと向こうの星に

きれいな娘が住んでいるかもしれないと思うと

だんだんと 小さな点になり

石ころの中の原子のような気になった

そして つつましく生きようと思った

何もかもが僕の心に生きている

僕はせせこましく飛躍することなどよして

心に感じるものだけを愛そう

なぜか 石ころさえもが愛くるしいのだ

 

※確かこの詩は以前も取り上げたような気がする。僕にとっては、思い出深い詩なのです。

 

この言葉(詩?)を書いたのは、昭和50年のちょうど今自分の9月、少し秋らしくなりはじめたころのことだったように思う。

警察学校の寮の土曜日の夜の屋上で、一人夜空を見ていた。

わけあって3か月の追加処分で外出外泊禁止中のことだった。

土曜日の夜は、校内にも寮にも日直と寮当番以外は誰もいない、寮の屋上。

不思議に青く澄みわたった夜空をながめながら、遠い星の向こうに、美しい娘が住んでいるかもしれない、と思った瞬間、自分のどうしようもないちっぽけさを感じた。
時々、遠くに住む、美しい娘の姿も思ってみたりもした。

 

最近別れた女性が、その娘ではなかったのかと、別れたあとになって、つくづくそう思い、世の中の無常、非情を思いもするのである。

まっ、しようがないよな。

 

何がおきようが、どう生きようが、人間の人生なんてたかがしれている。

 

何をなそうが、何もできなかろうが大きな宇宙から見れば、チリほどのこともない。

 

そのチリほどもない人生を、ああでもない、こうでもないと、日々、悶々と生きるバカらしさ。

 

自分のやりたいことは、しっかりやりなさいよ。

 

思いきりよく、生きなさいよ。

 

でも大切なのは、人々の幸せを願う気持ちですよ。

 

我師の、自省(自誓)の言葉を繰り返しながら、これでも、人目にはさわやかに生きています。

 

 

 今は亡き、わが師(紀野一義先生)の教えです。
 いかに生きていけばよいのか、わからなくなったときのよりどころとしています。

   自誓
    一、心ひろびろと、さわやかに生きん。
    一、真実をもとめてひとすじに生きん。
    一、おおぜいの人々の幸せのために生きん。









2020.08  「生きながら死人となりてなりはてて 思いのままにするわざぞよき」について思う
 
「生きながら死人となりてなりはてて 思いのままにするわざぞよき」とは、1603年関ケ原の戦いのあった頃に生まれた無難禅師の道歌である。
大名の宿となった本陣の家に生まれ、50歳を過ぎて出家し、73歳で亡くなり良寛禅師のように寺の住持になることもなく庵で過ごした禅師である。
良寛は、1758年生まれで、大名主の家に生まれ20歳頃に出家しているが、どことなく、共通点があるような気がする。
私が大好きなのは、良寛さんだが、無難禅師も良寛さんのような人物に出会ったら、どうなっていたのだろうか。
 
男というものは、どこか厳しい修行でもしないと、人間として一人前になれないような思いがある。
生きながら死人となりてなりはてて・・・。確かに、徹底して執着のない世界のようでなるほどと思うが、さて、そんなこと誰にもできないだろうと思ってしまう。
そんなに気張らなくても、もっと、簡単に素敵に生きれないものだろうか。
 
良寛さんが「子供には、マコトがある。だから、子供が好きだ」とおっしゃたように、誰もが子供であったのだから、何とか、子供の頃の心を、もう一度再現できないものだろうか。
 
生きるということが大変で、世間は大人になることばかり、子供に教えているが、大人は子供に学ばなければならないのかもしれない。
 
そして最後は赤ちゃんの姿に、多くを学ばなければならないのかもしれない。
 
子供の心を少しでも取り戻せば、なんと、空が青いことよ。
 
不思議だよな、子供の頃も、結構つらい日々だったのに、まだ、あの頃が光輝いていた。
 
何と、情けない日々・・・・。






 今は亡き、わが師(紀野一義先生)の教えです。
 いかに生きていけばよいのか、わからなくなったときのよりどころとしています。

   自誓
    一、心ひろびろと、さわやかに生きん。
    一、真実をもとめてひとすじに生きん。
    一、おおぜいの人々の幸せのために生きん。

2020.7  「南無地獄大菩薩」
 
 南無地獄大菩薩(ナムジゴクダイボサツ)の言葉は、白隠禅師の言葉で、白隠禅師直筆の書も多く存在するようです。
 何が、地獄がそんなにありがたいものであろうか。嫌な言葉だと思います。
 白隠禅師は子供の頃、お寺で地獄の話しを聞き、自分は虫や魚をたくさん殺したから、絶対地獄に落ちるだろうと思い、怖くて怖くてしようがなかったようです。
 そして地獄に落ちないためには、お坊さんになるしかないと思って、お坊さんになったようです。
 そして深い悟りの境地に達して、生きるも死ぬも地獄も怖くなくなったということです。
 地獄の恐怖を感じなかったら、お坊さんにもならず、深い悟りの境地も得ることができなかったのですから、地獄は何ともありがたい存在だったわけです。
 それも地獄が仏様のようにありがたいということらしいので、何ともいいがたいですね。
 白隠禅師は、ノイローゼというか鬱病というか、禅病というか、精神を病んだことがおありです。
 それを何とか克服して、大悟は三度、小悟は数えきれないほどだそうです。
 悟りも一度で終わるものではないと知り、少し唖然とします。
 そして、地獄はなんとありがたいものか、地獄があってこそ、地獄が悟りへの道だというばかりの境地のようです。
 
 日々、平々凡々と過ごしていると、知らぬ間に欲にからまれ、あれがほしい、これがほしい、もっとほしいと、欲の追及で日々が過ぎ去り、あっという間に、死を迎えます。
 死ぬ直前になって、死んだらどうなるのだと思っても、怖くて怖くてしようがなくなっても、ちょっと手遅れですね。
 早い時期に、死にたいとか死にそうなほどの悲しみや苦しみに出会うことは、人を変えるチャンスに違いありません。
 いかに生きるのがよいのか、死んだらどうなるのか、死んでもくいのない生き方をしたいものです。
 
 子供の時から地獄を恐れ、死を恐れ、いかに生きていくのが良いのかを考えさせられることは良いことかもしれません。
 甘い優しさだけでは、人間も腐ってしまう可能性があります。
 やはり人は、時には、この世の地獄を見て、経験して、目をさましたり、人生を深めていきます。
 
 ああ、南無大地獄。
 地獄のような経験はしたくもないのですが、長い人生には、必ず地獄のような苦しみがおとずれることがあります。
 その経験が人を成長させてくれることを祈ります。
 
 私も、最近、ある人との別れがあり、どうしようもない悲しみにつつまれ、何とか立ち直りつつある最中です。
 お互い、がんばりましょうというところでしょうか。



白隠禅師の書


















2020.6   「言葉を 書き話すということについて」
 
 
二十歳の時に、この世の形見にと思って詩集を自費出版した。
そのあとがきに、「書くことから遠ざかることを恐れている。自己の主張を求めている。自己の肯定、肯定される。
多くの人から、いや、一部でも、それに納得する価値があれば。いや、真実を求めて。

ゆるぎない真実を求めて。いつかは賞賛される真実と、自己だけでも満足のできる真実を求めて、安らかなるうぬぼれの許しを求めて。

そのために自分は、書くという行為から遠ざかることを恐れている。」と書いている。

 

あれから44年、書くという意志はあっても、ほとんど書きもせず、あいかわらず迷いの中を生き続けている。

よく言えば、迷いながらも、それなりによく生きてきたものだ。

 

最近の作家の小説等はほとんど読まないし、読もうという気持ちもわかないが、毎月知人から送られてくる通信誌を興味深く読んでいる。

お会いして姿形を見ているだけでは、とてもわからない、その人となり、考え方、生き方が伝わってくるのだ。

また、その人の友達の手紙なども紹介されているが、びっくりするほど、その友達の人の内面や考え方生き方も、よくよく伝わってくるのだ。

書き手がすばらしいということでもあるのであろうが、書くということの大切さをあらためて思わされる。

 

 

ゲーテは、どんな低俗な小説でも、言葉であれば、必ず少しは光輝く何かがあると言っている。

蓮如上人は「ものを言え、ものを言え、ものを言わぬはおそろしきなり」と言っている。

 

ことばを書き、ことばで語るということには、大切な何かがある。

見ただけではわからない。

言葉にして、書き、語ることによって、ものごとは深められていく。

 

沈黙も、ものすごくいいと思うのだが、沈黙したままでは伝わらない。

短い言葉でもいいから、書き、語らねばならない。

 

 

「はじめに ことばあり ことばは神とともにあり ことばは 神なりき」

このように、聖書にも書かれているではないか・・・。

 

 

 

 今は亡き、わが師(紀野一義先生)の教えです。
 いかに生きていけばよいのか、わからなくなったときのよりどころとしています。

   自誓
    一、心ひろびろと、さわやかに生きん。
    一、真実をもとめてひとすじに生きん。
    一、おおぜいの人々の幸せのために生きん。










2020.05   「オマエモシヌゾ」 ある教育者の言葉
2020.6   「言葉を 書き話すということについて」
 
 
二十歳の時に、この世の形見にと思って詩集を自費出版した。
そのあとがきに、「書くことから遠ざかることを恐れている。自己の主張を求めている。自己の肯定、肯定される。
多くの人から、いや、一部でも、それに納得する価値があれば。いや、真実を求めて。

ゆるぎない真実を求めて。いつかは賞賛される真実と、自己だけでも満足のできる真実を求めて、安らかなるうぬぼれの許しを求めて。

そのために自分は、書くという行為から遠ざかることを恐れている。」と書いている。

 

あれから44年、書くという意志はあっても、ほとんど書きもせず、あいかわらず迷いの中を生き続けている。

よく言えば、迷いながらも、それなりによく生きてきたものだ。

 

最近の作家の小説等はほとんど読まないし、読もうという気持ちもわかないが、毎月知人から送られてくる通信誌を興味深く読んでいる。

お会いして姿形を見ているだけでは、とてもわからない、その人となり、考え方、生き方が伝わってくるのだ。

また、その人の友達の手紙なども紹介されているが、びっくりするほど、その友達の人の内面や考え方生き方も、よくよく伝わってくるのだ。

書き手がすばらしいということでもあるのであろうが、書くということの大切さをあらためて思わされる。

 

 

ゲーテは、どんな低俗な小説でも、言葉であれば、必ず少しは光輝く何かがあると言っている。

蓮如上人は「ものを言え、ものを言え、ものを言わぬはおそろしきなり」と言っている。

 

ことばを書き、ことばで語るということには、大切な何かがある。

見ただけではわからない。

言葉にして、書き、語ることによって、ものごとは深められていく。

 

沈黙も、ものすごくいいと思うのだが、沈黙したままでは伝わらない。

短い言葉でもいいから、書き、語らねばならない。

 

 

「はじめに ことばあり ことばは神とともにあり ことばは 神なりき」

このように、聖書にも書かれているではないか・・・。

 

 

 

 今は亡き、わが師(紀野一義先生)の教えです。
 いかに生きていけばよいのか、わからなくなったときのよりどころとしています。

   自誓
    一、心ひろびろと、さわやかに生きん。
    一、真実をもとめてひとすじに生きん。
    一、おおぜいの人々の幸せのために生きん。



 
 哲学者の西田幾多郎の弟子であり、真宗の傑僧である暁烏敏の弟子でもあった毎田周一という教育者に「オマエモシヌゾ」という言葉があります。
 毎田周一の弟子達は、その言葉を仏壇に貼りつけて、毎日わが身を省みていたようです。
 
 浄土真宗の蓮如上人は、「信心が起きません。どうすれば、信心が起きますでしょうか」と尋ねる弟子に「明日、死ぬと思えばよい」と応えています。

 一休禅師は、正月早々からドクロを杖にさして「ご用心、ご用心」と京都の町を練り歩いたそうです。
 
 私たちは、日々何となく生きています。
 いずれは死ぬことはわかっていますが、日々を真剣には生きていません。
 限りある命を、もう一度自覚して、悔いのない日々を送りたいものです。
 遠慮ばかりしていたのでは、もったいないですよ。
 やりたいことがあれば、しっかりやった方がいいですよ。
 
 女優の岸恵子は、去年の87才の時だと思いますが、「自分は年寄りだと感じたことはない」と語っています。
 彼女は、見た目もずいぶんと若いですね。
 「私は、本当は心配性であるんだけども、気持ちは明るい方に向いています」とも語っています。
 矛盾しているようですが、確かに誰でも本当は弱いのですが、そこをどうやって、勇気をもって生きていくかということではないでしょうか。
 岸恵子さんには、老齢の恋や生きる喜びを、演劇や小説の中で今後も表現してほしいですね。
 
 そして、もっともっと、多くの老齢の人々に活躍してほしいですね。
 
 私もがんばりますよ。
 私の人生、これからです。



 今は亡き、わが師(紀野一義先生)の教えです。
 いかに生きていけばよいのか、わからなくなったときのよりどころとしています。

   自誓
    一、心ひろびろと、さわやかに生きん。
    一、真理をもとめてひとすじに生きん。
    一、おおぜいの人々の幸せのために生きん。









2020.4  新型コロナウイルスと仏壇店
 
私は、インターネット販売だけでなく協力会社の実店舗の営業も手伝っています。
やはりお年寄りの来店は、めっきり減少して、若者が祖父母や親に代わって、位牌や線香の購入で来店というがケースが増えています。
新型コロナは、重症の肺炎を引き起こしますから、お年寄りは特に注意が必要です。
しかし、若者も、新型のウイルスですから免疫力というか、抗体がまるでない状態ですから、やはり、お年寄りと同じくらい注意が必要です。
100年前の第一次世界大戦のさなか、スペイン風邪という流行性感冒(インフルエンザ)で世界中の死者は戦争による死者を上回り、正確な統計がないようですが
1700万人〜7000万人といわれています。
それに匹敵するような危険をはらんでいるのが、今回の新型コロウイルスです。
急激に患者が増えていますが、医療機関が対応できない状況になると、本来なら助かった人も命を失う危険性があります。
十分な医療体制の確保や、今後は重症患者優先の入院治療も必要になろうかと思います。
国の対策が、布製マスクの配布というレベルでは、あまりにも素人の対策で、適格な指導力を疑いたくなります。
もともと政治家の指導力は、それほど期待できないにしても、それぞれの専門家の適格な意見はどのようなものなのでしょうか。
どこかに、しっかりとこの危機を乗り切る名案をお持ちの方もいらしゃると思うのですが、なかなか日の目を見ることはないのでしょうね。
今回の新型コロナウイルスの問題を、非常におさえ込んでいる台湾には、優秀なる人材が活躍しているようです。
この件については、マスコミでも一部報道されているので、良き事例として今後大いに取り上げられればいいなと思っています。
たった一人の人材でも、国を救うことができると思うのですが、はたして、今の日本にも救世主は現れるのでしょうか。
 
どれだけの被害が出るかは想像がつきませんが、いずれは収束します。
一度ウイルスに感染すれば、抗体ができ、同じ病気にはかかりにくくなります。
しかし、それが1、2年で有効な解決策となるのか、早い時期に特効薬やワクチンが開発されるのか。
 
私も、糖尿病でインスリン治療をしている身の上ですから、感染したら、重症化しやすいのでしょうが、ほとんど気にしていません。
やはり死ぬときは死ぬんでしょうね。
やりたいことは、まだまだ山ほどあるのですが、死んだら、来生へ持ち越しですかね。
 
ナマンダブツ、ガハハハ・・・。失礼。




 今は亡き、わが師(紀野一義先生)の教えです。
 いかに生きていけばよいのか、わからなくなったときのよりどころとしています。

   自誓
    一、心ひろびろと、さわやかに生きん。
    一、真理をもとめてひとすじに生きん。
    一、おおぜいの人々の幸せのために生きん。








2020.3月   泣きながら生まれ、笑いながら死ぬ
 
インドの聖者ニサルガダッタ・マハラジが「私は泣きながら生まれ、笑いながら死んでいく」と言っています。
マハラジは、般若心経の説く「色即是空」、心も身体も地球も宇宙も実態がないという世界を説いているようです。
時間も空間もない世界があり、ただ「私はある」という感覚に至りなさいと言っているのではないかと思います。
禅宗でいう悟りの世界に近いのかと思うのですが、その世界は愛と慈悲に満ちた至福の世界だと言います。
 
悟りというものは言葉では表現しきれない世界のようですが、良寛さんの悟りは「まぶしいまでの光に満ちた世界」のようです。
その良寛さんは、悟ったからと言って、悟りすました顔をした奴は好きではないと言っています。
確かに、3歳年下の幼なじみでもあり、仏法の弟子でもあった三輪佐一が47才で結核で死んだときには、良寛さんは嘆き悲しんで病の床に臥せてしまいます。
我師、紀野一義先生も「悟ったから、親が死んでも泣かないなんていう奴は好きになれない」とおっしゃたことがあります。
本当に悟った人は、「暑ければ暑いといい、寒ければ寒いという。普通の人とちっとも変わらないよ」とおっしゃいました。
その悟った人とは柴山全慶老師や朝比奈宗源老師のことでもあり、紀野先生本人の生き様でもあったように思います。
 
悟ったら悲しみがなくなるのかといえば、そうではないようです。
ただ、悲しいまま、それはやがては癒えていき、悲しみが心を研ぎ澄ませてくれるということでしょうか。
 
お釈迦様は、「私にも欲がある。最高の幸せを求めている」とおっしゃいました。
 
お金を儲けたり、出世したり、王様のような権力者になったり、美しい娘たちに囲まれ、音楽や踊りに酔いしれるようなものよりはるかなる幸せ。
無私の愛と愛がふれあい共鳴するような世界。
そのためには、自分自身が無私無欲で人を愛せるようにならなければ、より深い幸せはつかめそうにない。
 
ところで、ニサルガッタ・マハラジは、「私はある」という感覚の世界は、愛に満ちているという。
死についても、身体や頭や心が消滅するだけで「私はある」という感覚は、永遠であり、時間も空間もない世界だという。
多くの西洋人がニサルガダッタ・マハラジに質問をして、マハラジは懇切丁寧に答えている。
西洋人には、どうやらマハラジの教えが、まるでわからないようである。
それが1冊の本「I AM THAT」(私はある)にまとめられている。
マハラジと西洋人の問答を読みながら、日本人なら、マハラジの言っていることがもっとわかるだろうにと思う。
ましてや禅宗のお坊様が、マハラジの教えを聞いたら、「そうだ、そうだ」と言ってくれるのではないかと思った。
 






 今は亡き、わが師(紀野一義先生)の教えです。
 いかに生きていけばよいのか、わからなくなったときのよりどころとしています。

   自誓
    一、心ひろびろと、さわやかに生きん。
    一、真理をもとめてひとすじに生きん。
    一、おおぜいの人々の幸せのために生きん。










2020.2   「黄金の70代」


我師、紀野一義先生は「黄金の70代」ということをおっしゃたようです。
何人かの70代の紀野先生の真如の会の仲間も、そういっていました。
私は、直接、その言葉を聞いていないのですが、何かの著書にも書かれていたようにも思います。
そういえば、確かに、先生の100冊以上の著書のうち70代での著書も多いようです。
 
お亡くなりになる前年の90才までは、毎月、鎌倉の大仏、池上本門寺、四谷の安禅寺、谷中の全生庵、本行寺と講話がありました。
それぞれが、30年、40年、50年も継続されてきたのですから、この世の移り変わりとは異なって、変わらぬ真理があってのことと思います。
 
先生が、50代の頃にお書きになったものを読むと、「仏様に、お願いしてあるから90才まで生きるだろう」と書かれています。
先生が85才の頃からは、10メートル歩いては、一休み、また一休みで、それぞれのお寺に講話にお出かけになることも大変になりました。
最初は、先生の左脇に手を差し入れて、一緒に歩いていたのですが、先生の脇下は汗でびっしょりでした。
その頃の講話では、戦争中の話しを何度も何度も繰り返しなさいました。
戦争中何度も何度も死んでいたかもしれないのに、不思議と先生は危機を乗り越えていきます。
どう考えても、目に見えない仏様が、紀野先生を守り、紀野先生も守られていることを、しかと感じられたということなのかも知れません。
街中の、ふとした、地蔵様にも先生は手を合わせられます。
それが、89才になられた頃から、地蔵様には手を合わせられることはなくなりました。
四谷の安禅寺の入り口には「たんきり地蔵」という大きく立派な地蔵様がいらっしゃいます。
この地蔵様にも手を合わせられることはなくなりました。
その頃は、一緒に食事をしていても、誤嚥で非常に苦しくせき込み息もできなくなりそうなくらい苦しまれることが何度もありました。
私は、なぜ、「たんきり地蔵」に手を合わせることをおやめになったのかがわかりませんでした。
こういうときこそ、手を合わせ、いつもの先生らしく「よろしく頼みますよ」とお願いされるのが、いいのではないかと思ったものでした。
でも、それは、90才までは生きそうだから、もうそろそろいいですよ、ということだったのかもしれない。
するべきことは、なしおえ、語るべきことも語り終えたということだったのかもしれません。
どれだけの人間が、先生の教えを理解できたのかは、定かではありません。
しかし、いずれは、先生の教えをはっきりと理解するものが現れるでしょう。
 
ところで「黄金の70代」と、先生はおっしゃり、先生は70代に十二分な活躍をなさいました。
 
私は、今年64才。
 
あっという間に、70代に突入します。
 
何とか「黄金の70代」を、立派に生き抜きたい。
 
そのためには、今の一日を、そうおろそかにはできない。
 
日々「黄金の70代」に向かって鍛錬しなければならない。
 
皆様もいかがでしょうか。
 
そんなに努力したり、才能や能力が必要だということではないと思います。
 
ちょっと、その気になるだけで、人生は輝きはじめるのではないでしょうか。
 
 
 
 

 今は亡き、わが師(紀野一義先生)の教えです。
 いかに生きていけばよいのか、わからなくなったときのよりどころとしています。

   自誓
    一、心ひろびろと、さわやかに生きん。
    一、真理をもとめてひとすじに生きん。
    一、おおぜいの人々の幸せのために生きん。










2020.1   「ないものねだりと絶対肯定」

私が小学校の3、4年生の頃だと思いますが、お寺の本棚にあった紫色の表紙の仏教童話全集を読みました。
いくつかの話しを、妙に覚えているのですが、その中の一話に「金剛石(ダイヤモンド)」の話しがあります。
ある若者が貴重で高価な金剛石を求めて、旅に出ます。
しかし、金剛石を見つけることもできずに、年老いて故郷に帰ったところ、なんとその金剛石は故郷の谷川の中にあったというのです。
 
この話しがふと私の脳裏によみがえることがあります。
私は、大切なものを見落としているのではないか。
大切なものをどこかに置き去りにしているのではないか。
 
たまに子供たちに接することがありますが、何でもない普通の子供の、またすばらしさに、どきりとさせられることがあります。
良寛さんが、「子供には、まことがあるから好きだ」とおっしゃったことを、しみじみと感じたりもします。
その子供たちも、いつしか、普通の大人になっていきます。
 
「流れ流れて東京を、そぞろ歩きは軟派でも、心には硬派の血が通う・・・」
二十歳の頃から、なぜかこの歌を口ずさんでいましたが、本当に、広島の山奥から東京に流れついてしまいました。
 
無意識のうちに、心が求めているものが、現実を作りだしているのかもしれません。
 
ゆるぎない真実というものを、求めてきたように思うのですが、それは、意外と、自分のすぐそばにあるのかもしれません。
 
それが見えない。
見えてしまえば、それで終わりなのか。
知らないからこそ、おもしろくもあるのかもしれない。
 
何しろ、悟ったりして、悩みの一つもなくなったりしたら、人生はどんなにつまらないだろう。
極楽浄土のように、美しく楽しく限りない喜びに満ちただけの世界なんて、想像しただけで、退屈でぞっとする。
 
やはり、人間世界で、悩み苦しみ、その中で、人の真心に触れることの方が、はるかに嬉しい。
 
あるお坊様が、不満の多い男におっしゃいました。
 
「おまえの女房は、おまえにちょうどいい」
「おまえの子供は、おまえにちょうどいい」
「おまえの会社は、おまえにちょうどいい」
 
笑っちゃいますよね、確かに多くの人は、ないものねだりで、日々は不満や愚痴が多くなりますが、何もかも、本当はちょうどいいのかもしれません。
我師の、教えの基本は、肯定、肯定、絶対肯定です。
 
そんなことはできない。
そうですね。
それも含めて肯定。
 
諸法実相。
すべてはあるがまま。
それを、いいとかわるいとか思うのは人の心です。
その心を変えれば、悪いことも良くなります。
 
それができるようになるには、やはり賢さや、想像力も必要かもしれません。
もしくは、バカになりきることです。
バカになりきることも難しいですね。
せめて、子供の頃の無邪気さを思い出して、心ひろびろとさわやかに生きたいものです。


 今は亡き、わが師(紀野一義先生)の教えです。
 いかに生きていけばよいのか、わからなくなったときのよりどころとしています。

   自誓
    一、心ひろびろと、さわやかに生きん。
    一、真理をもとめてひとすじに生きん。
    一、おおぜいの人々の幸せのために生きん。






2019.12   サンタクロースとキリストとブッダ
 
 もうじきクリスマスです。
 63才の私も子供の頃、我が家の煙突があまりにも細くて、サンタクロースが入ってこれないのではないかと心配したことを思い出します。
 我が家の娘など、小学5年生でも、今年はサンタクロースが来ないかもしれないと、真顔で心配していたことも思い出します。
 最近はクリスマスのプレゼントも、ご縁がなくなりました。
 
 サンタクロースもキリスト教の聖者の名前のようですし、キリストもブッダ(釈迦)も実在の人物です。
 キリストは、様々な奇跡を行い示しました。
 ブッダは、神通力を持つものと、何らかの事情で競われたことがあるようですが、神通力を使うことは否定されています。
 仏教は、特別な力を求めず、人間として、この世に生き、さまざまな苦労をして、いかに生きるのがよいのか、自分なりにしっかりと考えなさいということでしょうか。
 
 どうやら、この考え、思い、創造するということは非常に大切で、知識の世界を超越しています。
 そして愛とか慈悲といった心が大切で、これなくしては、より深く良いものは生まれないようです。
 
 キリストは、隣人を愛せよと言いながら、私は子供と親を分かつために来たとも言っています。
 子供が、クリスチャンになり、仏教徒の親と対立して別れても、なるほどと説明がつくわけです。
 仏教でも出家するときには、恩愛を絶つと誓います。
 
 ブッダは、執着してはならないとしつこく説いていますが、かたや、動物のサイのように、もくもくと自分の道を突き進めと言います。
 
 何だか、矛盾していますよね。
 しかし、この矛盾したままで、何となくそうなんだと思いますし、本当に、そうなんだろうと思います。
 
 私は、縁あって仏教を勉強していますが、世界平和にも仏教の教えは非常に役にたつと思います。
 仏教の基本は「衆生無辺誓願度」で、生きとし生けるものをすべてを救うということです。
 絶対できないと思えることを、誓い、仏となるにはおそらく、この誓いが成就したということなのだろうと思います。
 じゃあなぜ、今も、人は病み、老い、死に、苦しむのでしょう。
 なぜ、世界から戦争はなくならにのでしょうか。
 あなたは、いったい何をしていますか。
 
 インドのある聖者(ニサルガダッタ・マハラジ)が言いました。
 「ところで、君は、一人の人間でも本当に幸せにしたことがあるのかね」
 
 いやはや、確かに、一人の人間だって幸せにしたとは言えない。
 
 昔から、慈母に敗子ありとも言います。
 
 慈しみ大切に育てたのに、どうしようもない子供が育つものです。
 
 本当に何がよいのかわかりません。
 
 良寛さんは、しばらく縁にしたがって生きるだけ、と言っています。
 
 少し暗い話しになりました。
 
 我が師(紀野一義)先生の教えは「絶対、肯定。肯定!肯定!肯定!」
 
 「ええなあ!ええなあ!ええなあ!」の生き方です。
 
 どんなことも、肯定しようと思えば、肯定できます。
 
 肯定できないのは、少し、想像力が足りないのですかね・・・・。





今は亡き、わが師(紀野一義先生)の教えです。
いかに生きていけばよいのか、わからなくなったときのよりどころとしています。

   自誓
    一、心ひろびろと、さわやかに生きん。
    一、真理をもとめてひとすじに生きん。
    一、おおぜいの人々の幸せのために生きん。







2019.11  
臥薪嘗胆(がしんしょうたん)と法然上人
 
 
臥薪嘗胆(がしんしょうたん)は、復讐を成功するために苦労に耐えるという意味を持つ、中国の故事成語である。紀元前5世紀のの国家間の戦争に由来する。この成語の現在確認できる初出は、「嘗胆」のみならば『史記』巻41越王勾践世家であるが、「臥薪嘗胆」と揃った形では蘇軾1037年 - 1101年)の詩『擬孫権答曹操書』中の句「僕受遺以来、臥薪嘗胆』(11世紀後半に成立)に求められる。明治時代日本において、三国干渉が発生した時に、ロシア帝国に復讐するために耐えようという機運を表すスローガンとして広く使われた。(ウィキペディアより)
 
 臥薪嘗胆の言葉を初めて知ったのは、高校の漢文の授業でした。
 復讐するために、その恨みの気持ちを決して忘れてはならないと、とげとげしい薪の上で寝る、苦い肝を舐める。そのたびに恨みと復讐を思い、心に刻み込む。当時は、男なら、そのぐらい気力がないといけないぐらいに思いもし、なかなかの名言だとも思っていました。
 でも何とも、末、恐ろしいような言葉です。
 仇(アダ)をとる、仇をかえす。仇討ち。それが、美徳とする考えが確かにあるのです。
 
 今、韓国がしきりに反日で、国をあげて、日本への恨みを返そうとしています。
 つい最近の日本も第二次大戦中は「鬼畜米英」と、アメリカやイギリスを恨み、目の敵にしていたのです。
 
 台湾や朝鮮半島も日本の統治下に、同じようにあったのに、台湾の人々は日本人に非常に好意的です。
 しかし朝鮮半島の人は、日本人に非常に恨みを抱いています。
 それは台湾にいた日本人が、台湾の人々のために非常によく心も身も尽くした結果だろうと思います。
 朝鮮半島でも、朝鮮の人々に非常によく尽くした人々もいたのですが、やはり、それ以上に、虐げたことが多かったのであろうと思います。
 それと長い歴史の中で、いうにいえない複雑な思いもあるのでであろうとは思います。
 
 詩人の坂村真民さんは、戦争中朝鮮半島で女学校の教師をなさっていました。
 教え子を命がけで守っていらっしゃいましたから、教え子たちは坂村真民さんのことを戦後も慕っています。
 教え子さんの多くは、日本のことを決して悪くは思っていらっしゃらないことだと思います。
 朝鮮半島では、坂村真民さんような人が少なかったということでしょうか。
 
 坂村真民さんと我師である紀野一義先生は、親しい間柄でいらしたのですが、紀野先生は戦争中は台湾で工兵の将校として過ごされました。
 台湾は沖縄と並んで、米軍が上陸拠点として重要視した拠点ですから、爆撃がすごく、その結果不発弾もすごい量でした。
 紀野先生の所属する連隊の不発弾処理の専門部隊は、その不発弾処理に失敗して、壊滅状態でした。
 台湾の農民の多くは、不発弾が危なくて、農作業もできない状況があったようです。
 しかし軍は「不発弾にさわるべからず」という通達を出すだけであったようです。
 そこで紀野先生は、その通達も無視して、農民のためにも、不発弾の処理を行いました。
 その数1752発。
 特殊な爆弾もあったようですし、それでなくても一発の爆弾の処理は命がけです。
 三度ばかりは、爆弾の信管をぬいた瞬間にグサリと信管の針が紀野先生の指に突きささったことがあったようです。
 そのように現地の人々のために、命がけでで尽くした日本人も多くいるのです。
 
 
 ところで法然上人の父上のことですが、今の岡山県の県北で税を徴収するお役人であり侍でいらしたようです。
 税を徴収する役目柄、どうしても人の恨みをかうこともあったようです。
 その恨みによって、法然上人の父上は、敵対する侍によって、殺されてしまいます。
 子供の法然上人もその場に居合わせていたようですが、臨終の言葉は「決して仇討ちなどはしてはならない。このようなことが起きないようにすることが大切だ」というようなことをおっしゃたようです。
 仏教では「恨みは恨みによってはなくならない」と教えています。
 法然上人が出家なさったのも、父上の思いがあればこそのことであろうと思います。
 
 世界には、色々な宗教も思想も教えもあります。
 残念ながら、その教えは、どこかで対立したり、争いのもとになります。
 
 しかし、仏教の大前提は「衆生無辺誓願度」で、生きとし生けるもののすべての幸せです。
 お釈迦様は「恨みは恨みによってではなくならない」と教えていらっしゃいます。
 真の仏教を学ぶことが、世界平和につながることを祈ります。
 
 

 今は亡き、わが師(紀野一義先生)の教えです。
 いかに生きていけばよいのか、わからなくなったときのよりどころとしています。

   自誓
    一、心ひろびろと、さわやかに生きん。
    一、真理をもとめてひとすじに生きん。
    一、おおぜいの人々の幸せのために生きん。






大麦小麦二升五合(おおむぎこむぎにしょうごんごう) 2019.10
 
 
年配の方なら大麦小麦二升五合のおまじないの言葉は、どこかでお聞きになった方も多いのではないでしょうか。
正しくは、金剛般若経に出てくる言葉で「応無所住而生其心」(おおうむしょじゅにしょうごしん)といいます。
意味は「まさに住するところなくして、その心を生ぜよ」ということで、鈴木大拙博士は「どこにも根を生やさないで心を起こせ」といわれたようです。
おまじないの言葉ということで、何によく効くおまじないの言葉なのかは知りませんが、確か落語でも、このおまじないの言葉が出てきたように思うのですが、インターネットで調べてもわかりませんでした。
どうやらお婆さんが、大麦小麦二升五合(おおむぎこむぎにしょうごんごう)と、このまじないをとなえて占いをすると、非常によくあたるのだが、お坊さんから正しくは「応無所住而生其心」(おおうむしょじゅにしょうごしん)と教わって、その通りにとなえると、まったく占いがあたらなくなったという笑い話のようです。
 
こういったことは、確かにありますよね。
 
学者や知識人は、学術的に言ってそれは間違っているいないと言いますが、それは、あくまでも学問、知識の世界のことです。
 
好きだ嫌いだ、信じる信じない、真実真如等の世界は、そういった学問知識とは遠いところにあるのではないでしょうか。
 
それで大切にしてほしいのは、自分自身の感性とか心の方ということでしょうか。
 
本当に、自分が好きなものとは何でしょうか。
 
私たちの日々は、色んなしがらみにからまっています。
 
自分の心を見失っている状態から、本来の自分の心を取り戻すには、とらわれの心や執着を捨て去ってみることが大切だということではないでしょうか。
 
おそらく、そのような意識を持つことによって、新しい世界が開けてくるのではないでしょうか。
 
私が、大麦小麦二升五合「応無所住而生其心」のことに興味をもったのは、禅宗の六祖である慧能が、五祖から直接一対一で金剛般若経の講義を受け、応無所住而生其心の言葉に触れたときに悟ったということを知ってからです。
 
樵(きこり)であり文字の読み書きができない男(慧能)が、金剛般若経のお経を聞いただけで出家しようと思い、たった一人の母を捨て、出家しても僧にはなれず、臼引きの寺男のまま、一晩の講義で悟ってしまったという。
 
応無所住而生其心の言葉が、天地をひっくり返すほどの威力があったということなのです。
やはり、これは、すごい言葉なのだろう。
おまじないであろうが、大麦小麦二升五合であろうが、この言葉は心にとめておかなければならない。
 






 今は亡き、わが師(紀野一義先生)の教えです。
 いかに生きていけばよいのか、わからなくなったときのよりどころとしています。
   自誓
    一、心ひろびろと、さわやかに生きん。
    一、真理をもとめてひとすじに生きん。
    一、おおぜいの人々の幸せのために生きん。

自未得度先度他(じみとくどせんどた)  2019.9


自未得度先度他(じみとくどせんどた)は、道元禅師が正法眼蔵の中で述べていらっしゃる言葉だ。
自分は彼岸にいかなくても他の人をまずは彼岸に渡してあげなさい。
自分が悟ってもいないのに、他人を彼岸に渡すことはできなかもしれないと思うかもしれないが、その思いを起こすことが大切なのだという。
また自分はそろそろ悟って彼岸にも行けるようにもなっても、自分は彼岸には行かず、他人を彼岸に渡してあげることが大切なのであるともおっしゃっている。
このような自未得度先度他(じみとくどせんどた)の心を起こすこと、それが悟りそのものであるともおっしゃっている。
自分よりも人々の幸せを願うことができるようになれば、それは悟りの世界でもあり、すばらしいことなのである。
 
優しさとは優越感だと言い切った先生がいらしたが、多くの優しさは優越感とか、ゆとりがあってのことだと思う。
でも、そうではない優しさもある。
本当に心根が優しくて、困っている人がいれば助けずにはおれない人がいる。
助けることによって、自分がぼろぼろになっても、助けずにはおれない人がいるものだ。
 
私は、15年ほどまえ、神田川沿いを1時間歩いて通勤していたことがある。
神田川と中央線が交差するところに小さな陸橋があったのだが、その下にダンボールを寝床にしたホームレスがいた。
妙に顔が色白く、澄んだ目をしていたので、ただものではないと思っていたのだが、案の定、見るからにヤクザとわかる男が「オジキ、頼むからアパートかマンションに住んでくれ。お金は何とかする・・・」
どうやら、最近刑務所を出所して、以前の組に帰ることもせず、ホームレスの生活を送っているようであった。
ある日そんなことは知らない、近所のおばちゃんが、「あんた、ごはん食べているの。大丈夫・・・」とダンボールの中の男に声をかけているのである。
そんなに裕福には見えない、ただのおばちゃんが、本当に心配して男に声をかけているのである。私は、その声を聞きながら通りすぎたのだが、人間の確かな優しさに触れたような心温まる思いだった。
こんなおばちゃんがいる限りは、人間も捨てたものではない。
 
自分と他人の区別もなく、ごく自然に他人の幸せを願えるようになれば、それはもう悟りなのだと思う。
自分がぼろぼろになってまで、他人の面倒は見れないと思うかもしれないが、本当に、自未得度先度他(じみとくどせんどた)の気持ちなれたら、その人自身も幸せだと思う。
決してぼろぼろになったりはしない。
その人のまわりに素敵な世界が生まれるに違いない。
決して、ぼろぼろにはならない。
きずつくのは、やはり、自分というものに執着があるからなのだと思う。
自分と他人の区別がつかなくなり、みんなの幸せを願えるようになれば、本人も周囲の人も、それは浄土に住むような幸せということではないだろうか。
 
そのような人が、一人二人と増えていかなければならない。
 
 








 今は亡き、わが師(紀野一義先生)の教えです。
 いかに生きていけばよいのか、わからなくなったときのよりどころとしています。
   自誓
    一、心ひろびろと、さわやかに生きん。
    一、真理をもとめてひとすじに生きん。
    一、おおぜいの人々の幸せのために生きん。

自未得度先度他(じみとくどせんどた)  2019.9


自未得度先度他(じみとくどせんどた)は、道元禅師が正法眼蔵の中で述べていらっしゃる言葉だ。

自分は彼岸にいかなくても他の人をまずは彼岸に渡してあげなさい。
自分が悟ってもいないのに、他人を彼岸に渡すことはできなかもしれないと思うかもしれないが、その思いを起こすことが大切なのだという。
また自分はそろそろ悟って彼岸にも行けるようにもなっても、自分は彼岸には行かず、他人を彼岸に渡してあげることが大切なのであるともおっしゃっている。
このような自未得度先度他(じみとくどせんどた)の心を起こすこと、それが悟りそのものであるともおっしゃっている。
自分よりも人々の幸せを願うことができるようになれば、それは悟りの世界でもあり、すばらしいことなのである。
 
優しさとは優越感だと言い切った先生がいらしたが、多くの優しさは優越感とか、ゆとりがあってのことだと思う。
でも、そうではない優しさもある。
本当に心根が優しくて、困っている人がいれば助けずにはおれない人がいる。
助けることによって、自分がぼろぼろになっても、助けずにはおれない人がいるものだ。
 
私は、15年ほどまえ、神田川沿いを1時間歩いて通勤していたことがある。
神田川と中央線が交差するところに小さな陸橋があったのだが、その下にダンボールを寝床にしたホームレスがいた。
妙に顔が色白く、澄んだ目をしていたので、ただものではないと思っていたのだが、案の定、見るからにヤクザとわかる男が「オジキ、頼むからアパートかマンションに住んでくれ。お金は何とかする・・・」
どうやら、最近刑務所を出所して、以前の組に帰ることもせず、ホームレスの生活を送っているようであった。
ある日そんなことは知らない、近所のおばちゃんが、「あんた、ごはん食べているの。大丈夫・・・」とダンボールの中の男に声をかけているのである。
そんなに裕福には見えない、ただのおばちゃんが、本当に心配して男に声をかけているのである。私は、その声を聞きながら通りすぎたのだが、人間の確かな優しさに触れたような心温まる思いだった。
こんなおばちゃんがいる限りは、人間も捨てたものではない。
 
自分と他人の区別もなく、ごく自然に他人の幸せを願えるようになれば、それはもう悟りなのだと思う。
自分がぼろぼろになってまで、他人の面倒は見れないと思うかもしれないが、本当に、自未得度先度他(じみとくどせんどた)の気持ちなれたら、その人自身も幸せだと思う。
決してぼろぼろになったりはしない。
その人のまわりに素敵な世界が生まれるに違いない。
決して、ぼろぼろにはならない。
きずつくのは、やはり、自分というものに執着があるからなのだと思う。
自分と他人の区別がつかなくなり、みんなの幸せを願えるようになれば、本人も周囲の人も、それは浄土に住むような幸せということではないだろうか。
 
そのような人が、一人二人と増えていかなければならない。
 
 



 今は亡き、わが師(紀野一義先生)の教えです。
 いかに生きていけばよいのか、わからなくなったときのよりどころとしています。
   自誓
    一、心ひろびろと、さわやかに生きん。
    一、真理をもとめてひとすじに生きん。
    一、おおぜいの人々の幸せのために生きん。






 2019.08  「火の車 作る大工はなけれども 己がつくりて 己が乗りゆく」
 
 この狂歌というか和歌は一休さんの教えのようです。
 火の車というのは地獄で鬼が引く火ダルマの車で、この世で悪いことをした人間が火の車に乗せられて、うめき苦しむ姿が絵になって伝わっています。
 この世には、火の車はありませんが、人の心が作りだす火の車は、数多くあります。
 一般的には、会社が火の車、家計が火の車といった具合によく使います。
 経済的に大変で、火の車に乗ったような苦しみを味わっているということでしょうか。
 会社も個人も、経済的に行き詰れば、倒産や破産ということです。
 倒産や破産となれば、贅沢もできなければ、名声や名誉も失うでしょうし、経済的にも精神的にも大変ですね。
 ただ、それはそれ、それがどうしたというのでしょう。
 倒産した破産したからといって、飢え死にするようなことはありません。
 貧乏にはなるでしょうが、生活は十分やっていけるでしょう。
 ただし、贅沢して、人から羨ましがられるような生活をしてきた人は、貧乏な生活なんて耐えられないでしょうね。
 非常に苦しい思いをすると思います。いつの間にか、金銭欲、名誉欲名声欲の価値観が正しいと洗脳されてきたのですから・・・。
 もともと貧乏であれば、破産しようがそれほど生活が変わるわけではありませんから、苦しみも少ないでしょうね。
 
 
 良寛さんのように、小さな庵に住み、一汁一菜の生活に十分満足できれば、貧乏なんて何でもないですね。
 盗人に間違われて、生き埋めにされそうになっても、死ぬときは死ぬと、あわてもせず。
 縁にまかせて、仏の道を歩く姿は、すがすがしい。
 また酒も好きでたしなむほどにはお飲みなり、鮒の昆布しめなども喜んでお食べになった。
 遊郭にも托鉢に出かけ、遊女と親しくなってオハジキをして遊ぶ良寛さん。
 これが僧であるということに執着すれば、飲む、打つ、買うなどの世界には近づきもしなかったであろうと思う。
 まるで執着がないから、気のむくまま、縁に任せて、唯一、大きく違うのは仏の教えを大切されたことだろう。
 苦しむのは、執着するからです。
 執着することを離れれば、自由にのびのびと生きれるのではないでしょうか。
 仏(仏陀)は、スッタニパータの中で執着を離れよと、なぜかしつこいまでに語っておられる。
 
 執着のおおもとは、金銭欲であり、名誉名声欲であり、食欲性欲である。
 これらの執着を離れることを、修行していかなければ、本当の安心や自由はないのではないかと思う。
 
 言葉にすれば簡単ですが、実践するのは難しいでしょう。
 ただし、誰もが幸せに生きるにはという問題に対して参考にはなるはずです。


 今は亡き、わが師(紀野一義先生)の教えです。
 いかに生きていけばよいのか、わからなくなったときのよりどころとしています。
   自誓
    一、心ひろびろと、さわやかに生きん。
    一、真理をもとめてひとすじに生きん。
    一、おおぜいの人々の幸せのために生きん。 







   「絶対肯定の生き方」   2019.7


人間いかに生きるのが良いのか、ということについて我師(紀野一義先生)にお伺いしたことがあります。

この問題については、なかなか結論が出ないということでした。
人それぞれに、その生き方は違うということでしょう。
ただ、人からよく思われようという思いでは駄目だとおっしゃいました。
 人間だから人から良く思われたいと思うのは、あたりまえだ。だが、自分がいいと思ったら、人からどう思われようが、自分がいいと思う生き方をしなければ駄目だとおっしゃいました。
 我師に言われましたので、やはり、身にしみて大切な言葉として覚えています。
 この人から、良く思われたいという気持ちは、何でもないようで、ささいなことのように思われますが、人の行動や生き方を左右しているのかもしれません。
 もっとも、自分がやりたいことも、したいことも、本当は何をしたいのかも、はっきりしないのですから、生き方以前の問題もありそうですが・・・。
 良寛さんは、悟りというものは、その手順があったり、教えたり言葉にすることのできるものではないと言っています。
 やはり、自分なりに、道なき道を歩いて見つけ出すものらしいのです。
 そんな難しいことは、誰にでもできることではありません。
 我師の教えの基本は、誰にでもできる、「肯定」の世界なのかもしれません。
 例えば、片目を失明して嘆き悲しむ人。
 まだ、片目が見えると感謝する人。
 さらには、片目を失って、今まで見えなかったものが見えてきたと、新しい発見をして人生を深める人。
  (確かにこのような経験をした詩人や女優がいました)
 どんな不幸せに見える事も、見方、考え方を変えれば、幸せな気持ちになれます。
 そうはいかないと言ったらそれまでです。
 どうしたらいいんだと言われたら、やはり、想像力、気づき、賢さ・・・ですかね。
 ソフトバンクの孫正義さんの講演を聞いていたら、孫さんは買い物をする喜びがなくなったとのことでした。
 何しろ買おうと思ったらデパートのビルごと買えるのです。
 そう思うと、買い物の喜びがなくなったのだそうです。
 私のように100円ショップで、お気に入りの商品を見つけて、あれも買ってこれも買ってなどといった喜びはなくなったということなのですね。
 私たちは、いつもないものねだりで、自分にあるものを見落としているようです。
 今、見えていないが実はある良いものに、少しは気付かなければなりません。
 肯定、肯定、絶対肯定。
 ええなあ  ええなあ
と、肯定していく生き方。
完全にはできないけれど、できる限り肯定していく生き方。

我師には、この肯定する生き方の大切さも教わったように思います。

※この文章を書いたあと、紀野先生の「法華経を読む」という著書を読んでいたら「娑婆即寂光土」についてのページが最初に目に飛び込んできました。私利私欲のない人々の幸せを願う生き方をしていると、この世がそのままで浄土のように美しい世界に見えるようになるとのことです。

 


 今は亡き、わが師(紀野一義先生)の教えです。
 いかに生きていけばよいのか、わからなくなったときのよりどころとしています。
   自誓
    一、心ひろびろと、さわやかに生きん。
    一、真理をもとめてひとすじに生きん。
    一、おおぜいの人々の幸せのために生きん。 
 







  「家族の問題について」  2019.6.

最近家族のひきこもり等が起因となる殺人事件が立て続けに発生しています。
多かれ少なかれ家族には、何か社会問題も引き起こすような要素はあるものです。
今はないと思っていても何十年の歳月の中に、犯罪に手をそめてしまうような身内は必ず出現するものかもしれません。
当然、その被害者になることもあります。
私の父親も祖父母に溺愛されたことが原因の一つでしょうが、わがままで内弁慶で酒癖は悪く年柄年中トラブルが発生していました。
私が小学校3年生頃のとき、秋祭りで泥酔した父親を祖父が抱きかかえて家に連れ帰り、真っ暗の土間から座敷に引き上げるとき、
「おまえさえいなければ、この家はうまくいくんだ」と吐き捨てるように言ったことを、なぜかはっきりと覚えています。
当時祖父は、農協の組合長でもあり町議会議員でもあり、ある意味町の有力者であり、こ苦労人でもあり、人格者でもあり、熱心な真宗の門徒でもあったのです。
慈母に敗子(はいし)ありといいますが、祖母も初めての長男であり、私の父のことを特別に溺愛したようです。
そのことが他の兄弟にとっては、納得のいかないことだったかもしれません。
祖母はいつもトシユキがトシユキがと我が父のことを心配していました。
トシユキは利行と書き、仏教用語では他を利するという意味があるようですが、真逆で自分のことばかり考えて我儘な性格でした。
他人からよくしてもらって当たり前、よくしてくれない人間はこの野郎!といった感じで、自分が一番生意気なのに、あいつは生意気だと、よく言っていました。
その父親の息子が私ですから、私も、かなりどうしようもない人間の一人にすぎないと思います。
 
私が、子供の頃のことですから、時効といえば時効なのですが、金属製の容器に入った注射器が縁側の戸袋の隙間から出てきたことがあります。
私はその頃、子供向けの昆虫採集用の注射器を使っていたので、それがほしくて大喜びして祖父に聞いたところ、祖父は激怒しました。
どうやらそれは、父親が覚せい剤を打つのに使用していたのではないかと思います。
祖父にとっては、父は手に負えない、どうしようもない息子ですし、私にとっては、早く死んでくれればいいような父でした。
こんな父親でも、晩年は孫やひ孫に囲まれ、幸せな最期を迎えたことは、一つの事実なのです。
 
50才前半で脳梗塞で倒れ、その後もあいかわらず酒も飲み、危篤状態に陥ったのは、数回以上。
80歳で危篤になり、本当にこれが最後だというので、しぶしぶ広島の実家に帰ったら、意外と元気そうで、あと2、3年以上は生きそうだったので、父親に「何だ、元気そうじゃないか。あと2、3年は生きそうだね」と言ったら、酸素吸入器のマスクをつけた顔で、うん、とうなづいていました。
5分も父親のそばにいなかったと思います。
しかし、父親の目が、あまりにもきれいに澄んでいたので、私は、どきりとしました。
中学1年生のときに、初恋の女性に会って、その目の美しさにドキリとしたように、父親の最期の美しい目にドキリとしました。
私にとっては、その目の美しさが驚きでもあり、父親がおそらくは、美しい気持ちの境地にいたって最期を迎えてくれることが、嬉しくもあり安心でもありました。
親子というもの、家族というものは複雑であり、ややこしくもあり、大変な存在ではあります。
 
仏門に入るときには、各宗派、共通した誓願があるはずです。
その一つが恩愛を断ち切るということです。
恩愛とは親子や家族等の恩や愛情を断ち切るということです。
仏門とは、真理を求める門でもあると思います。
真理は、親子の愛とか、夫婦の愛とかは断ち切らなければ到着できないということでしょう。
本当の幸せ、喜び、ひいていえば、人類の幸せには、親子の愛、夫婦の愛、家族の愛も断ち切ることが必要ということだと思います。
そして断ち切った上、皆が仲良く、わきあいあいと生きていくということではないでしょうか。
 
こんなことは、誰も結論づけては言えないし書けません。
 
わが師が「迷っても悟っても 仏のいのちの中  死んだら また会おうな」と書いてくださったことがあります。
 
どんな間違いを犯そうが、どんな犯罪の被害者になろうが、どんなことが起きようとも、気持ちを切り替えれば、悩みも半減します。
それぞれお悩みの方、どうか気持ちや考えを切り替えて生きてください。
 
 
 

 今は亡き、わが師(紀野一義先生)の教えです。
 いかに生きていけばよいのか、わからなくなったときのよりどころとしています。

   自誓
    一、心ひろびろと、さわやかに生きん。
    一、真理をもとめてひとすじに生きん。
    一、おおぜいの人々の幸せのために生きん。


  2019.5   苦難苦労について(ある殺人事件の被害者の思い)

先日インターネットで、親族が殺害される被害にあった女性の記事を読みました。
多くの人が知っている事件でもあるのですが被害者と名字が違うので、自分から被害者の家族だと名乗らないない限り気づかない人も多いようです。
しかし、今あえてその被害者の家族であることを名乗ろうとしている理由を彼女は述べています。
その事件が起きるまで、被害者も家族も誰もがうらやむような幸せな家族だったのです。
被害者の母は、殺人事件の被害にあったということが、不幸せの象徴のようなものであり、みじめさを感じていたようです。
被害者の姉でもある女性は、母の気持ちに疑問を感じます。
それまで母の期待通り、ある意味、優秀な娘を演じてきて、それなりに幸せであったのですが、母が被害者の子供の一人に障害があり、殺害されるのはその子供だけでよかったのにというような愚痴をこぼしたようです。
このあたりの事情は、私も正確に覚えていないので、間違っていたらおゆるしください。
そのときに、その女性は高齢でもある実の母が間違っていると初めて母に反発したようです。
立派で裕福な家庭に育ち、その過程を守ってきた大切な母の考えにも誤りがあると思ったのです。
というより、心の中で母の考えと決別されたのではないかと思います。
その母も亡くなったことにより、できれば忘れたい殺害事件の被害者として、その事実を隠すことなく、被害者の家族として生きていきたいという決意を最近されたようです。
被害者とは名字も違うのですから、自分から名乗らなければ、人は気づかないものです。
しかし、それは、何かが間違っていると感じられてたのでしょう。
おそらくは、被害者になることがみじめであるとか、障害のある子供がいることが恥ずかしい存在だと思うような母親の考えというか感覚が間違っているとことを強く自覚されたのではないでしょうか。
私は、彼女が立派だと思いました。
でもそおらくは、殺人事件の被害者の家族になったという出来事がなかったら、彼女もごく平凡で幸せそうな人生をすごされたことだと思います。
平凡であること、人よりも裕福であること、優秀であることが決して、人間として幸せとはいえないと思います。
無難に幸せに生きたいと思いますが、人生は必ず、どうしようもない苦難がやってきます。
誰だって死にます。
病気にもなります。
それに匹敵するようなどうしようもない苦難も必ずやってくるものです。
やはり、そんな苦難も乗り切り、笑顔で生きていけるようにならなければなりません。
 
ちなみに、私も、高校1年生の時に祖父がライフル銃で殺害されました。
全国紙の新聞一面にも出ましたし、NHKの全国放送でも流れました。
祖父は製薬会社を退職して倉庫の管理人をしていたのですが、職業が労務者と紹介されたことが妙に腹立たしいような恥ずかしいような思いがしたこともはっきり覚えています。
私とは、その祖父の家に下宿していたのですが名字が違うので担任の教師でも気づかなかったようです。
私もあえて、私の祖父が殺害されたことは、ほとんど話した記憶がありません。
その直後には、両親は離婚すると騒ぎ、私もガソリンスタンドでバイトを始めたり、家出をして警察に保護されたりと色々とありました。
 
その女性は甥にあたる障害児のことも少し話していますが、私の息子は、仮死状態で生まれて3週間、集中治療室にいました。
私にとっては、何とか生きてほしいことだけが願いでした。
脳に障害が出る可能性を聞いていましたが、小学校はダウン症や自閉症の子供さんたちと同じ支援学級です。
もっとも私より頭もいいし性格もいいのですから、あまり心配はしていません。
今は本人の希望で大手パン屋さんに勤めています。
心配なのは、東京芸大に行っている娘ですが、やはりかなり繊細なのか、情緒が安定していません。
ウツだとか死にたいとか言うし、暴れることもありますが、正直あまり気にしていません。
できることはそれなりにしていますが、娘は不満だらけのようです。
今後も、なにが起きるかわかったものではありません。
 
こんなとき、やはり、お釈迦様の教えやすぐれた仏教者や我が師の教えや生きざまは参考になります。
特別に信心とか信仰とかのレベルは必要でもなく、十分、役にたつ教えはあるものです。
艱難辛苦は汝を珠にす。
 
 

 今は亡き、わが師(紀野一義先生)の教えです。
 いかに生きていけばよいのか、わからなくなったときのよりどころとしています。

   自誓
    一、心ひろびろと、さわやかに生きん。
    一、真理をもとめてひとすじに生きん。

2019.4月   「かわいいヘビの話し」


4月23日で63歳になる。
63年間もあっという間のことだ。
これから先、何年生きるのかしれないが、またあっという間にすぎていくのだろう。
心は10代のころと少しも変っていないように思うが、2年前だか中学校と警察学校の同期会に出席して、多くの初老の顔と顔を見ると、どう考えても歳をとったなと思う。
おまけに私の身体がやけにデカイ。まわりの友が小さく見える。
なにしろ、少年時代青年時代55ロ前後だった私は、80キロ前後になっていた。
この半年少し反省して今は70キロを切っているが、あと5キロはやせようかと思う。
いずれ故郷に帰ったら、マツタケ採りに山に行かねばならない。
30才のとき、65キロだったけど久しぶりにマツタケ採りにに行くと、子供の時に毎日のように登った山がきつくてしようがなかった。
おまけに朝5時前で暗闇の山道を四つん這い状態で登っていたら、目の前にマムシがドクロをまいていた。
獣道になっていて野ネズミでも待ち構えていたのだろうか。
マムシも驚いたたろうが、私も驚いた。
幼少の頃は、ヘビの赤ちゃんをビンに入れてペットのようにして遊んだことがある。
畳の上を、くねくねと動き回る、かわいいおもちゃだった。
それを見て、近所のお姉さんが、ギャーと驚くので不思議でしようがなかった。
赤いマダラ模様もあって、マムシの子だといって近所の大人に谷川に捨てられてしまった。
マムシに噛まれると死ぬこともあるし、ずいぶん痛いのだろうと思うと、やっかいな存在である。
家の藏に住みついているアオダイショウは2メートル近くはあったが、ツバメのヒナを食べてしまうので叔父が棒で叩き殺してしまったことがある。
その死体を谷川に流したのだが、ヘビの身体が大きくて長いものだから小さな堰にひっかかって、何日も白い腹を空に向け、水の流れに揺れていた。
そのヘビにも子供がいたかもしれないし、小さな子ヘビを残して、さぞかし心残りであったかもしれない。
それどころか、ツバメのヒナを食べたのは、別のヘビではなかったかと思うのである。
確かにあのヘビの白い腹は恨めしそうだった。
ちょうど、あの頃、「ヘビ女」、「ヘビ少女」というウメズカズオの怖い漫画があって、夜道を歩くのが怖くてしようがない時代でもあった。
忍者ごっこをして、石垣をよじ登っていると、冷たいコンニャクのようなものが指先に触れた。ヘビが石垣の穴でドクロを巻いていたのだ。
石垣から飛び降りるわけにもいかず、そーと下まで降りたことを覚えている。
いやはや、ヘビにはなぜか、遊びに夢中になっているときに、出会う。
「用心しなさいよ」と教えてくれているのだろうか。
 
良寛さんがヘビを見たら、どうなんだろう。
五合庵などは、近くに川というか谷川があるので、マムシもいればヘビもそれなりに庵の中にも出入りしたかもしれない。
「あれあれ、いらっしゃいませ。こんな何もないところにようこそ」と微笑まれただろうか。
子供などいれば、わざと怖がって見せて、子供達が大笑いするのを喜んで、何度も何度も怖がったふりをして飛び跳ねたのだろうか。
 
仏陀(釈迦)の言葉を集めたスッタニパータという経典にはヘビの章があり、「ヘビが成長して脱皮するように、成長して古い皮は脱ぎ捨てよ」ということが繰り返し繰り返し説かれている。
ヘビという存在は、仏教の教えの中でも引用されることが多い。
私自身はヘビに対する思いが、変遷している。
かわいいヘビが気味悪いヘビになり、どうも好きになれないヘビが、また、この頃なつかしくもあるヘビとなっている。
それは私の勝手で、ヘビはヘビなのである。
多くのことは、その人間の勝手な思いこみで、良くもなればなれば悪くもなるのである。
ヘビを見てにっこり微笑むような人間になれたら、私も一皮むけたかもしれない。
 
 
 
 

 今は亡き、わが師(紀野一義先生)の教えです。
 いかに生きていけばよいのか、わからなくなったときのよりどころとしています。

   自誓
    一、心ひろびろと、さわやかに生きん。
    一、真理をもとめてひとすじに生きん。
    一、おおぜいの人々の幸せのために生きん。
















  2019.3.14  他人を気にしない、自分を気にしない生き方

 

お釈迦様はスッタニパータという経典の中で、しつこいくらい執着を捨てよとおっしゃっています。

完全に執着を捨てることができたものが、悟り、永遠の安心を得ることができるのです。

執着を捨てるということは、なかなかできそうでできないですよ。

しかしできる限り執着しない生き方をするということであれば誰でもできるのです。

 

赤ちゃんや、子供達はこの執着心が少ないですよね。

昨日のこともすっかり忘れて、いや、ついさっきのこともすっかり忘れて、今を生きている。

その瞬間に楽しいことがあれば、思い切り笑い、痛みや悲しみを感ずることがあれば、思い切り泣き叫び生きている。

幼くても、おもちゃに執着したり、おいしい食べ物にも執着したりと、徐々に執着して、それが得られないと不満で苦しくもあろうかとは思いますが、大人に比べれば、はるかに執着心がない。

だから世界中の子供は、どんな環境にいても笑顔が素敵なのでしょう。

 

紀野先生に、人間いかに生きるのがよいのかという質問をして、お話しをしていただいたときに、「人からよく思われようなんて、そんなのは駄目だよ。自分がいいと思えば、それでいいじゃないか。そりゃ誰だって、人からよく思われたいと思うのは、あたりまえだ。しかし、そんなことでは駄目なんだ」とおしゃいました。

 

私の身の回りを見渡しても、人目を気にしすぎて、がんじがらめになっている人が多い。

今の自分に満足できていない人が多すぎる。

それは他人と比較するから、不満が出ることが多いのです。

日々、こうして生きていることだけでも肯定できて満足できれば、これほどの安心と幸せはない。

 

良寛さんというお坊さんは一生、乞食で一間での生活です。

破れ笠に、ボロボロの僧衣を着ていたものだからドロボーと間違われて、生き埋めにされそうになっても、なるがままに身を任せた人です。

藩主から寺を寄進すると言われても断った人です。

子供達とは、時間を忘れて夢中になって遊んだ人です。

なぜ子供が好きかといえば、子供達にはマコトがあるからとこたえています。

書家の書とか、料理人の料理というのは好きでないといっています。

自分が好きなものは好き、嫌いなものは嫌い。

同じ仏門の僧にも友達はいましたが、漢詩の中では痛烈な批判をしています。

しかし、その批判の心も、少しもひきづったようすはない。

良寛さんの漢詩の中には、ただ縁にまかせて生きるのみという言葉があります。

これは執着のない生き方です。

 

私も、できる限り、執着は捨てて、生きていきたい。

自分の命にも執着せず、生きるときは生きる。死ぬときは死ぬ、と思い定めて生きていきたい。

 

 





 今は亡き、わが師(紀野一義先生)の教えです。
 いかに生きていけばよいのか、わからなくなったときのよりどころとしています。

   自誓
    一、心ひろびろと、さわやかに生きん。
    一、真理をもとめてひとすじに生きん。
    一、おおぜいの人々の幸せのために生きん。










    2019.2   野の花の風と陽光

我が師である紀野一義先生の師である朝比奈宗源老師の晩年「紀野さん、生きるってことは大変だな」とおっしゃった。
「その時、風が吹き抜けた。その風をおやじの風という。」と、紀野先生は書き留められた。
おそらく朝比奈老師にも紀野先生にも予期しないような大変な出来事があったのではないかと思う。
それは人知れず、家族に関わることが多いのではないだろうか。
どちらにせよ。
生きるっていうことは、大変なんだと思う。
ましてや平凡な人間が生きることは、さらに大変で、皆さんどうのように困難を乗り切っていらっしゃるのだろうか。
生きていることがつまらなく思えるような日々の中で、先日、ふと、素敵な人にめぐり逢った。
ただ、何気ない会話をしただけなのだが、世間ずれしていない清楚な娘さんだった。
その時、私の心をかすかに風が吹き抜けた。
その風を「野の花の風」と私は書き留めることにする。
 
紀野先生が「風を感じるとき、愛が近づいている」とおっしゃたことがある。
 
おそらく、彼女の人生にも色々な苦難があったに違いないが、それを感じさせない優しい女性だった。
そのような女性に会えたというだけで、まだ、人間捨てたものではないなと思う。
もっともっとそんな人達に会いたいし、そんな人達をしっかりと守ってあげたいなと思う。 
男同士でも、顔を見るだけで、その人間の生きざまはわかるような気がする。
なかなかいい男やいい女にはめぐり逢わない。
翻って、自分はどうなんだ、と思う。
出会えただけで誰かのはげみになるような、そんな人間になりたい。
そんなときに、ふと、思い出すことがある。
中学1年生の12月、なぜか人気のない隣りのクラスにいて、なぜか一人の少女がいて、「野田君、私何もできないけれど、野田君を応援しているから・・・」と言って走り去った少女がいた。
それが誰だったのか、はっきりと思出せないまま、何十年もたち、ある日、ひょっとして、あの時の少女は、あの娘だったのだと思いあたった。
彼女は、ずいぶんとおとなしく、リンゴのように赤いほっぺが印象的だが、まるで目立たない同級生だった。
話したことは一度もなかったはずだ。
私は、生来の正義感の強さから、よけいなことにちょっかいを出して、色んなトラブルをかかえていた。
もううんざりだと思っていたころだ。
「野田君を応援しているから・・・」その時は、その唐突な言葉を、何とも感じず、すっかりと、忘れてしまっていたのに、ふと、数年前、その彼女に会ったとき、あの時の同級生は彼女だったのだと思った。
あいかわらず直接話しをしたことはないが、少し離れたところから彼女の姿を見たとき、あの時の彼女だと思った。
彼女も少し私を見ていたかもしれないが、彼女の姿が、冬なのに春の陽光に包まれていた。
彼女が、今も、「野田君を応援している・・・」かどうかは、わからない。
おそらく彼女自身も、そんなことは忘れているだろう。
何でもない思い出が、ある日、輝きはじめるということもあるのである。
 
思い出も、上手に思い出すと、光輝くものである。






 今は亡き、わが師(紀野一義先生)の教えです。
 いかに生きていけばよいのか、わからなくなったときのよりどころとしています。

   自誓
    一、心ひろびろと、さわやかに生きん。
    一、真理をもとめてひとすじに生きん。
    一、おおぜいの人々の幸せのために生きん。














      2019.1月   「三惚れ(サンボレ)」


 去年の正月は、激しい頭痛で、一瞬このまま脳梗塞か何かで死んでしまうのかと思ったことを、つい先日のことのように思い出す。

 この頃は、なぜか10代20代の頃の友達や、先輩、上司のことを思い出すことが多い。

 私が19歳から24歳までの警察官であった頃、毎月1回署長訓示日があった。

 警備出動や訓練入校などで欠席することも多かったが、30回以上は署長訓示を聞いただろうか。

 でも、その内容はさっぱり覚えていない。

 ところが、たまたま次長(副署長)であった渡辺良文氏の代理の訓示は2回とも覚えているのである。

 その一つが三惚れ(サンボレ)である。

 渡辺次長の実家は広島の山間部にあるのだが、村の駐在所に新しく赴任してきた巡査が、畑で農作業をしていた老婦人に

「こんなに寂しくて不便なところに、よく住んでいらっしゃいますね。」

と声をかけたというのだ。

 その老婦人は、その村で生まれ、その村を愛して、その村で一生を終えていくのである。

 老婦人の心は、その巡査の言葉にひどく傷ついてしまったようである。

 その話しが、人の口から人へと伝わり、渡辺次長の耳にも入る。

 

 そして署長の代理での訓示で、昔から言われている言葉として「三惚れ」の話しをなさった。

 

 一、仕事に惚れる。

 二、土地に惚れる。

 三、女房に惚れる。(人に惚れる)

 

 読んで字のごとく、よけいな説明はしなくてもよいと思う。

 

 人間が生きていく上で大切なことは、そんなに難しい言葉で表現されているわけではない。

 ただ、そのことができているかどうか、時には、自分自身を点検してみることも大切だと思う。

 

 人の心に残る言葉。

 人の心に残る人。

 人の幸せを願っているような人の言葉は、人の心に残りもし、人を動かす力もあるものだ。

 

 渡辺良文次長は、警察署長の後、県警本部の刑事課長を最後に定年退職された。

 今も、ご健在なら90歳前後である。

 私は、時々、渡辺次長の顔と言葉を思い出す。

 仏教の祖師方やすぐれた仏教者の言葉にふれる機会も多いが、渡辺次長の姿と言葉も私の心に刻まれている。

 こんなお話しをすれば、渡辺次長の方はびっくりされるであろうが、人間というものは、見ていないようで見ており、見ているようで見ていないものである。 







 今は亡き、わが師(紀野一義先生)の教えです。
 いかに生きていけばよいのか、わからなくなったときのよりどころとしています。
   自誓
    一、心ひろびろと、さわやかに生きん。
    一、真理をもとめてひとすじに生きん。
    一、おおぜいの人々の幸せのために生きん

















2018.12   転んだらともに転んでニッコリ

スマイル仏壇も経営は大変です。

給料も払えないのに、無給で仕事を手伝ってくれるお嬢さんがいたりで、何とかやっています。

仏壇仏具位牌を販売しながら、仏教にまつわるお話しをさりげなく伝えていく。

そのことが、人々の幸せにつながるのではないかと思っています。

 

その仕事を無給で手伝ってくれているお嬢さんが、面白い話しを聞かせてくれました。

「昨日の夜、5歳と3歳くらいの兄弟が道路を歩いていたんです。

 そうしたら3歳くらいの男の子が前を歩いていて転んだんです。

 5歳くらいのお兄ちゃんがかけよって起こしてあげるのかと思ったら、そのお兄ちゃんも弟の横に

転んで、弟を見て笑っているんです。何なんですかねえ」

 

私は、この話しを聞いたときに、即座に思い出したのは龐居士(ほうこじ)と娘の霊照(りんしょう)の話しです。

龐居士は、全財産を大河の中に捨てて在家のまま出家した居士です。

その龐居士の語録は今も伝わっているそうですが、