2025.3 生老病死、生まれる苦しみ
仏教の教えの中に、大きな苦しみとして生老病死の四つがある。
生まれる苦しみ
老いる苦しみ
病む苦しみ
死ぬ苦しみ
この四つの苦しみで、どうもよくわからないのが、生まれる苦しみだった。
母親の生む苦しみならわかるが、父親には生む苦しみはない。
やはり、これは生まれてくる赤ちゃんの苦しみであって、それは母親の生む苦しみをはるかにこえている。
その苦しみが、まるで記憶にないのだが、その苦しみの記憶は大脳の奥深くに刻まれているのではないかと思う。
それと、もう一つ、生まれる苦しみらしきものがある。
それは、人間が弁栄聖者のおっしゃる一大心霊、朝比奈宗源老師のおっしゃる仏心から生まれてきていることが起因している。
私たちは、この地球に生まれてくるときに、全てを忘れてこの肉体に宿ることによって、初めて、強烈な苦しみ悲しみ喜びを感じることができるようになったということである。
生まれるまでは、様々な仏国土(慈愛に満ちた国とか星とか宇宙空間)で、のほほんと活動していたのではないかと思う。
それでは退屈でしようがないから、地球という恐ろしくも美しい星に、今までの記憶を完全に消しさって誕生した。
小説や映画の世界では、今一つ、感動に乏しいが、現実世界ではひしひしと様々な思いが体験できる。
これが、最高の楽しみではないか。
愛だけの世界では愛は愛でありえない。
汚れた世界でこそ、愛は光輝く。
地球は愛が光輝ける、稀なる星なのかもしれない。
まあ、そんなことを、思いながら、いや、これは、そうなのかもしれないと思いは深まっている。
死ねば、一大心霊の中や仏心の中に、または極楽浄土または天国に行くと思えば、死も悪いものでもない。
今は亡き、わが師(紀野一義先生)の教えです。
いかに生きていけばよいのか、わからなくなったときのよりどころとしています。
自誓
一、 心ひろびろと、さわやかに生きん。
一、真実をもとめてひとすじに生きん。
一、おおぜいの人々の幸せのために生きん。