202508 我が師の13回忌法要
9月25日、26日に高野山の三宝院にて紀野一義先生の十三回忌法要が行われる。
真如会の京都支部が中心となって、西日本を中心に真如会の仲間が集まることになる。
私も久しぶりに昔しの仲間に会いたいので、出席することにした。
東京方面は、十三回忌法要を年末に、うちうちでやることになるのではないかと思うから、大勢の仲間が集まるのも、これが最後かもしれない。
年齢も八十、九十の人が多く、すでに訃報を聞くのみの方も多くなった。
六十、七十で亡くなった、私の良き先輩も多く、語り合える友も少なくなり、思えば、さみしいものである。
私のパソコンのトップ画面は、紀野先生が八十九才の時のお写真で、毎日、何時間とお目にかかっているし、先生の講話の録音は、ちょくちょく繰り返し聞いている。
いまだに、先生のお書きになった本も、あやこれやと読み直しているので、先生を身近には感じているが、直接、お話しができない。
相談しようと思っても、相談もできない。
もっとも相談らしい相談をしたのは、妻との離婚問題をどうするのが良いのかとお伺いしたときだっただけのようにも思う。
私は先生にお会いして、そばにいるだけで、何となく幸せだったのだから、ありがたいひと時であった。
先生のご臨終には、先生の奥様からお呼びいただき、先生を看取ることができたことも、幸せなことだったのかもしれない。
先生がお亡くなりになった12年前は、実母が100才で6月に亡くなり、11月には実父が81才亡くなった。
何日に死んだのか、日にちが思い出せないのだが、先生のご臨終が12月28日午後10時53分であったであろうことは、なぜか覚えている。
私は、生まれも複雑で、人知れずさみしい思いをしながら生きてきたのだが、そんな話しを先生と奥様と私でお酒を飲みながら、食事をしているときに酔ってしゃっべたら、先生の顔がぽっと赤くなった。
先生は、そばに近づくのも恐いような面もあるけれど、本当に、心優しい人だった。
先生のお母さまの春子さんが、ひじょうに優しいお母さまであったことは、真如の会員の方ならよく知っているけれども、その血は先生にまちがいなくながれている。
先生は、真如の会も、自分が面倒見れるほどの規模でよいとのお考えだったから、数百名の会員しかいなかった。
「真如の会は、子供に継がせることもなければ、会員の誰かに継がせるということもない、私が死んだら、それでおしまい。」と、おっしゃった。
人生は、この教えを聞けば、それで幸せになれる、というものではないと思う。
仏は、人それぞれに対応して教えをとかれた。
いかに生きるかとか、悟りとかいうものは、結論づけられるものではない。
だから仏の教えや生きざま、すぐれた仏法者の教えや生きざまから、各自が学び、それぞれに自分の道を生きていくことになるのだろう。
なかなか難しいけれど、どうしようもないときほど、肯定、肯定、絶対肯定。人生を肯定して生きていくということも、先生の大切な教えだったのかもしれない。
今は亡き、わが師(紀野一義先生)の教えです。
いかに生きていけばよいのか、わからなくなったときのよりどころとしています。
自省
一、心ひろびろと、さわやかに生きん。
一、真実をもとめてひとすじに生きん。
一、おおぜいの人々の幸せのために生きん。