2025.11 誰にも始めも終わりもわかりはしない
イエス・キリストが磔(はりつけ)の刑で死ぬまえに「神よ!神よ!なぜ、私を見捨てるのですか!」と、叫んだことは聖書に書かれている。
ソクラテスは、自ら毒を飲んで死ぬときに「死が永遠の眠りであるのであれば、それも良い。死後に審判を受けるのであれば、審判を受けてみたい。あの世で、すぐれた人物に出会えるのであれば、問答してみたい。いずれにせよ、死は決して悪いものではない」とも言っている。
道元禅師も「始めも終わりも、誰にもわかりはしない」といっている。
どう考えても、この世界の始まりと、終わり。人間の死後のことも、はっきりとは、誰にもわかりはしない。
わかりはしないが、道元禅師は「死んだら中有(中陰)というところに行く。その期間は長くても四十九日だ」とはっきりおっしゃている。この期間に次ぎの生を受けるか、別の世界に入っていくらしい。
お釈迦様は、きちんと生きていけば、今生で悟るか、二度と生まれかわることはないとおっしゃている。どうやら生まれかわらないことの方が、上等のようである。
死んで、天国や地獄や極楽浄土に行くのか行かないのやら。
死後に審判を受けるのやら受けないのやら、わかりはしない。
死ねば、永遠の眠りであるのかどうか、完全に無となるのやらならないのやら。
何度も生まれ変わり、生きる苦しみを味わうものなのか。
私は、何度でも生まれ変わって、色んな経験をした方がおもしろいと思うのだが・・・。
紀野先生は、戦争中、特攻隊員として死んでいく中尉さんが酒場で大暴れした時、その中尉さんをなだめたあと、「紀野さん、死んだらどうなるのか教えてほしい」と聞かれ「死んだら、それぞれの今までの業によって、次のお父さんお母さんのもとに生まれる」とこたえていらっしゃる。その中尉さんは、翌日、出撃し、紀野先生の部隊にお別れの挨拶で、何度も低空飛行して敬礼して飛び立って行ったそうである。紀野先生も、軍刀を抜き、その刀を振って見送ったという。
私も、普通なら輪廻転生するのではないかと思う。
やはり今生で解決できなかった思いは、次の生につながっていくのではないだろうか。
だから何か人生の問題があったら、やはり解決していかなければ、何度も何度も同じあやまちを繰り返してしまうかもしれない。
まあそういうわからないものの中で、人間は生きている。
わからないからこそ、人生はおもしろい。
わかってしまえば、なんと、人生はつまらないことか。
そういうものかもしれない・・・
今は亡き、わが師(紀野一義先生)の教えです。
いかに生きていけばよいのか、わからなくなったときのよりどころとしています。
自誓
一、
心ひろびろと、さわやかに生きん。
一、真実をもとめてひとすじに生きん。
一、おおぜいの人々の幸せのために生きん。