2026.1 70代に突入する、新年をむかえた
ついに、70代に突入する、新年をむかえた。今年の4月23日で70歳となる。
昨年末から、何だか気が重い。なぜなら、あいかわらず、「人間、いかに生きるか」という問題が、解明できそうにないからである。
外で酒を飲むことは、ずいぶんと少なくなったのだが、家でアルコール分9%の缶酎ハイを1本、ウィスキーでボトル三分の一位を水割りで飲み、そのうえ時間があれば、ワインを数杯飲むような生活を続けていたら、昨年末から1月中旬まで、大腸がきりきり痛み、胃はむかつくようになってしまった。ひょっとして、大腸癌にでもなったかなと思うと、やはり、気持ちが塞いでしまった。
病院で検査を受けようかなと思ったが、とりあえず、市販の胃腸薬を飲んでいたら、痛みがとれたので、ただの胃腸炎だったのかもしれない。
体調不良で、おかげさまというか、酒の量もずいぶんとへって、酒もそんなに飲みたいと思わなくなった。
若いころ「何者かになるためには、敢然と、それを守りとうさなければならない」という格言を、我が座右の銘としていたのだが、何を守りとうそうとしたのかというと「書く」という行為である。
ところが、いざ書こうとすると、これがなかなか書けない。
中学を卒業するころから、漠然と小説家になりたいと思っていたのだが、高校時代は詩や俳句が全国紙に入選するようになり、文芸部からも声をかけられ短編小説を書いていた。
20才で安芸文学の同人になり、同人会に出席しながら、小説とか文学というものについても、それとなく学んだ。
地方の同人誌だが、群像新人賞、文学界新人賞などを受賞している人も数人いたし、芥川賞候補になった人もいた。
数年前から、その安芸文学を主催していた岩崎清一郎さんが、体調をくずし、2年前には岩崎さんの訃報を聞き、安芸文学も自然消滅した。
同人の多くは、昭和一桁生まれだったので、訃報を聞いたり、老人ホームに入所していらっしゃるらしいという、風の便りを聞くのみである。
芥川賞候補にまでなった女性も、その数年後には書くことをやめて、安芸文学も退会したし、私より2才年上のUさんも、大学時代から小説新潮や太宰賞の最終候補になったりで、将来を期待されていたのだけれども、おそらく30代の半ば位から、小説は書いていないのではないかと思う。
Uさんは地元新聞社の文化部にも長く在籍していたのだけれども、新聞記者と小説を書くという行為は、なかなか両立しにくいようである。
この地元新聞社には、私もずいぶんとお世話になり、実力以上の評価もいただいたのだが、その期待にそうことなく、何も書かない日々が続いた。
50才になったとき、そろそろ小説を書かないと、書けないまま、一生を終わってしまうと思い。その他の事情もあったのだが、会社を退職した。
妻は結婚する前には、いざとなれば、妻が私を食べさせてあげるといったこともあったのだが、PTA役員の仕事に熱心で、あげくのはては妻の浮気で、退職した年の夏には妻と離婚した。
その年は、25年間も親しくつかえた上司が膵臓癌で亡くなり、新しく働き始めた会社でも、私が、不正行為をしていると疑いをかけられたりして、精神的にも非常に不安定な日々を送った。
電車のホームを歩いていると線路に身体がすいこまれそうになったこともある。
思えば、いろいろなことがあったが、その時の、感情がうまく思い出せない。
遠い過去の出来事ということだろうか。いや、最近は一週間前のことでさえ、遠い過去のようだし、未来も特別に何ら期待もない。
常日頃から、「執着しない」ということを、肝に命じてきたからだろうか。
そうはいっても、かねてより70代になったら、それまでの経験を十分いかして、「おおぜいの人が幸せに生きるための方法」を、何とか見出したいと思うのである。
何だか、この四月には、新入生として、どこそこかの学校に入学するような、妙な気持ちである。
不安と期待に、胸が少しときめいている。
ということで、何かよい話しがあれば、皆様にも伝えていきたいと思うのである。
今は亡き、わが師(紀野一義先生)の教えです。
いかに生きていけばよいのか、わからなくなったときのよりどころとしています。
自誓
一、心ひろびろと、さわやかに生きん。
一、真実をもとめてひとすじに生きん。
一、おおぜいの人々の幸せのために生きん。