2026.2 全ての存在には実態がないということについて
スッタニパータ(仏陀ことば)の最終章は「彼岸にいたる道の章}である。
この中で気になる言葉がある。
この世に存在するものには、実態がない、空であるということばである。
そして執着するな。
既存の教えにも執着するなという。
この最終章が般若心経を生み出したのかもしれない。
最近ユーチューブでは、AIが作成しているのか量子のもつれという言葉を使って、この世界は実態がないということをしきりに語っている。
確かに、この世の存在は、リアルな夢を見ているような状態なのかもしれない。
夢をコントロールできれば、理想的な夢を見ることもできるだろうし、それを応用すれば、この現実世界も理想的な世界に変更でlきるかもしれない。
このような思想は、すでにあって、いろんな形で、語られている。
なぜ、そのようなことを、しきりに語るのであろうか。
その目的が不明で、何だか、頭が混乱して、いやな気分になる。
道元禅師の悟りは「身心脱落」(しんじんだつらく)の境地だ。
身と心が無くなれば、あとに何が残るか。
魂というものが残る。
魂というものをしっかりととらえたら、それは悟りなのだろう。
道元禅師は「悟りには迷いはない」と、おっしゃっている。
迷ってばかりの私には、うらやましい限りである。
また、道元禅師は三世の諸仏が悟られた、その中には衆生(私たち)の悟りも含まれている。
これを疑ってはならない。
なぜなら、疑うことは三世の諸仏をそしることになる、とおっしゃている。
そこまで、はっきりいわれると、信じないわけにはいかないと思う。
仏の誓願は「衆生無辺誓願度」(すべての生きとし生けるものの幸せである)
過去現在未来の仏たちは、まちがいなく悟り、その中に、私たちの幸せも含まれているのだと思う。
これを疑ってはいけないと、道元禅師はおっしゃっているのである。
やはり、私たちは、本当は救われているのであり、またはいずれは救われる存在なのである。
問題は、今、この現実世界で、悩み苦しむ人々をどう救うのかということである。
その問題を、何とか解決していきたいものだ。
今は亡き、わが師(紀野一義先生)の教えです。
いかに生きていけばよいのか、わからなくなったときのよりどころとしています。
自誓
一、心ひろびろと、さわやかに生きん。
一、真実をもとめてひとすじに生きん。
一、おおぜいの人々の幸せのために生きん。