2026.5 「ありがとう」という言葉と意識のパワー
少しは、多くの人に役にたつことをお話ししたいのは、切なる望みだ。
自分の失敗談でも、それはそれなりに参考にはなるのだから、どんな話しでも、それはそれでよいのだと思う。
しかし、最近これは伝えておきたいなと思うことが一つある。
私の知り合いに
町田宗鳳という方が「ありがとう寺」という宗教団体を運営していらっしゃる。
当店を会員の方に紹介していただいているようなので、それとなく経歴や著書を拝見したが、かなりの方のようである。
「ありがとう寺」、なんともいえないネーミングのお寺である。
しかし、感謝の気持ちが大切なことや、ありがとうという言葉の波動が、非常に優れて高いことは聞いている。
そこで何となく、私の大嫌いな親父のことを「ありがとう」と、心の中で思って、親父の顔を思い浮かべたら、なんと、大嫌いな感情がほぼ完全に消えうせてしまった。親父との良い思い出の一つや二つが、走馬燈のように思い出されたのだ。
いまだに、その感情は継続している。99%嫌な思い出しかないような親父だったが、不思議なものだ。
つぎに私の身近にいて、いやな奴だなという思いがしている人間のことを「ありがとう」と心の中で思って、その人間を思い出すと、以前、初めて会って好感を感じていたころのことなどが、ふと思い出されて、いやなやつだという感情が消え失せてしまった。
また会って、嫌な面を拝見したら、また嫌になるかもしれないが、今のところ嫌悪感がまるで無くなっている。
次から次ぎへと、「ありがとう」と思って、その人々のことを思い出すと、不思議と良い思い出を思い出し、好もしい人に思えてくる。
声に出して「ありがとう」というのがもっといいのかもしれないが、心の中で「ありがとう」と思うだけでも十分な効果だ。
人間の、心というものは、おもしろいものだ。
簡単な実験がある。「目をつむってあなたの周囲にある赤い物を思い出してください」という。色々と思い出すが、せいぜい数点だ。ところが目を開けて周囲の赤いものを探して見ると、ここにもそこにも赤いものがある。見ているようで見ていなかったのだ。
こんどは、青い物を探しで、試してみてもいい。普段、何となく見ているから、そこにあるものでも、その存在に気づいていない。意識して初めて、その存在に気づくというわけである。
ふだん人間関係でも嫌いだと思えば、嫌いなことばかりが目に付く。好きになれば好きなことばかりが目につく。
人間なんて、そんなものだ。
嫌いな人間がいたら「ありがとう」と思って、その人のことを思い出してほしい。
そうすれば、嫌いだという感情は消えるか、少なくなりますよ。
今は亡き、わが師(紀野一義先生)の教えです。
いかに生きていけばよいのか、わからなくなったときのよりどころとしています。
自誓
一、
心ひろびろと、さわやかに生きん。
一、真実をもとめてひとすじに生きん。
一、おおぜいの人々の幸せのために生きん。