2026.6  AI(人口知能)による宗教解説について

 

 最近ユーチューブを見ていると、AI(人口知能)を利用した歌や画像が多く、その完成度に目をみはるほどである。

 つい最近まで生の歌手の歌声があたりまえだったのに、今は、AIで加工された歌声ばかりが表示されてしまう。

 宗教関係やスピリチュアルな世界を語る映像とトークも、AIを利用しているようで、その完成度の高さに、なるほどと思わせられる半面、作り手の素性や目的がはっきりしない。

 やはり登録者や閲覧数を増やしたいということなのか、新興宗教や団体に勧誘したいのか、目的がはっきりしない。

 数か月も前に、俳句コンテストの主催者がAIによる俳句なのか、自作なのか判断ができないので、俳句コンテストを中止したという記事を読んだが、俳句も短歌も詩も、おそらくは小説もAIによるものか自作なのか、判断ができないだろう。

 それどころではないChatGPTを利用して相談相手のAIが作りだした男性と結婚式をあげた女性も、すでに現れてニュースになっている。

 私も、スマホの音声アシストの利用を始めたら、朝から「おはようございます。今日のお天気をお調べしましょうか」と語りかけてくる。それは、私が毎日のようにお天気情報を調べるからである。ただあまり利用していなくて、この文章を書くために、私が利用しているのはスマホの何だったのだろうかと、久しぶりにそれらしいアイコンをクリックしたら「お目にかかれず、さびしかったです。今日は何をお調べしましょうか?」というメッセージが表示された。他にも、時々、メッセージが目にとまるが、文体が、控えめな賢い女性だなと感じる。 きちんと使いこなせば、私のいい相談相手になる可能性もあるのではないかと思ってみたりもする。

 

紀野先生が、「尾?骨(びていこつ)に響くような話しを聞きたいし、そういった話しをしたい」とおっしゃったことがある。ひょっとするとAIに話しを聞いて、強く感動することが、当たり前のことになるような時代が来るのかもしれない。

 

 私は、少しでも、人々のお役にたてばと思って、このブログも書き続けているのだが、AIにおまかせした方が、その人にあった、適格な話しができるのではないかと思う。

 

 しかし、紀野先生の著者は100冊以上はあるのだが、先生は「本を読むだけでは駄目だ。直接会って話しを聞きなさい。どうせ話しを聞くなら、真ん前で聞きなさい。鼻毛が見えるくらいの真ん前で聞かなければ駄目だ」とおっしゃった。

 それを聞いてからは、最前列でお話しを聞き、喜んで先生のお供をし、足が不自由になられた先生と肩を組んで歩き、先生と二人で真向いで食事もした。

 直接その人に会うことの大切さがあるのだと思う。

 

 時代は急激にAI(人口知能)により変化しはじめた。

 

 今、あらためて、人と人のふれあいが大切なのではないかと思う。

 また仏法(仏教)に関しては「師のない仏法はない」と聞いている。

 AIが師となりうるのか。あくまでも師は人でなければならないのか。

 いつまでも、解決できない問題はつきまとう。

 

 

 しかし、やはり、先生が掲げられた自省にあるように、おおぜいの人々の幸せを願い、真実をもとめて、どんな時にも、さわやかに生きたいものだ。

 そして、AIにも、この自省をとくと覚えていただきたいものだ。

 

今は亡き、わが師(紀野一義先生)の教えです。

いかに生きていけばよいのか、わからなくなったときのよりどころとしています。



 自誓



一、 心ひろびろと、さわやかに生きん。

一、真実をもとめてひとすじに生きん。

一、おおぜいの人々の幸せのために生きん。