2024.5 釈尊の最後の言葉
紀野一義先生の著書を読むと、釈尊の最後の言葉は、パーリ語で書かれた古い経典「大般涅槃経(だいはつねはんぎょう)の中に記録されているようである。パーリ語では、下記の表記になるようである。

(ヴァヤダンマー・サンカーラー、アッパマーデーナ・サンパーデートウハ)
紀野先生は、これを「比丘(びく)たちよ、汝らに告げよう。こころ(サンカーラ・行)は移ろい易いものである。見落とすことなく、その中に居よ」と訳していらっしゃる。この訳は、中国人が訳してきたところと違うようである。釈尊の弟子たちも、いつも釈尊がおっしゃっていた諸行無常と諸行壊法とは同じであると思い込んだようである。でも釈尊が言われたのは諸行壊法であり、わざわざ大般涅槃経の中で諸行壊法と書かれているのだから、そこには重要な意味があるようである。
難しいことは、さておいて、釈尊の最後の言葉は「こころは、うつろいやすいものである。そのこころを、じっと見つめていなさい」と、私は、解釈した。
このことに関連して、下記の私のブログを読み返して、我ながら、非常に大切なことを言っているなと思い、再度掲載さえていただく。
私自身が、私の書いた文章を読んで、なるほどと思うのだから、誰かしら、ある人々もなるほどと思われたかもしれないし、また、あらたに、なるほどと思われる人がいるかもしれないことを期待して・・・。
2022.1 自分自身を知るということ
良寛の漢詩の中に、「おのれの心を知れ」ということばが出てくる。
たとい万巻の書物を読破したところで、真の言葉一つわきまえていることに劣る
その真の言葉とはなにか、ありのままにおのれの心を知れということだ。
デルフォイのアポロンの宮殿の奥に掲げられている、秘密の格言は、「汝自身を知れ」だ。
明治時代の浄土真宗の僧であり哲学者であり教育者であった清沢満之は、浄土三部経の中にある「自当知」(みずからを知れ)という言葉に出会い、以後、自分自身を知ることに一生をかけた人である。
その弟子の暁烏敏も自当知、(自分自身を知ること)(自分の心を知ること)に全力を尽くした人である・・・・・・。
※自分自身を知る、自分の心を知る、自分自身を見つめていくことは、非常に大切なことのようだ。
今は亡き、わが師(紀野一義先生)の教えです。
いかに生きていけばよいのか、わからなくなったときのよりどころとしています。
自誓
一、 心ひろびろと、さわやかに生きん。
一、真実をもとめてひとすじに生きん。
一、おおぜいの人々の幸せのために生きん。